ヴァロンタン・オベール
アリスはそれからしばらく経ったある日、手紙を書いていた。アリスはウジェーヌの結婚式を目撃したあの日から時間が経つにつれ、その決意をさらに強固なものにした。何よりも父親のルイを悲しませてしまったことが、アリスにとっては一番辛いことだった。
(可哀想なお父様……。私たち親子を裏切った者に必ず復讐を。そしてお父様にもう一度笑顔を)
「ご当主さま、お手紙が届いております」
オベール家の大きな屋敷で、白いウェスタンスーツを着たメイドが、身なりの整った風格ある髭を蓄えた人物に話しかけていた。届いた手紙は、アリス・エマールから、オベール家当主ヴァロンタン・オベールへのものだった。ヴァロンタンはウジェーヌをアリスから略奪したベアトリスの父である。ヴァロンタンは、そんな物破いて捨て置け、と言おうとしたところで止まった。
(嫌な予感がするな……)
ヴァロンタンは手紙をメイドから受け取って読んだ。手紙は非常に丁寧に綺麗な字で書かれていた。お伝えしたいことがあるので二人きりでお話ししたい、という内容だった。
ヴァロンタンは逡巡した。婚約者を奪われたアリス・エマールが我々を恨んでいるのは間違いないだろう。何か良からぬことを企んでいるのではなかろうか、と思った。
(私はウジェーヌの子を妊娠しています。このことを公開されたくなければ、慰謝料をお支払いください)
きっとこんなところだろう。いつもの汚い女の手口だ、とヴァロンタンは思った。
「いいぞ、汚い女の顔を拝んでやろう」
ヴァロンタンは、オベール家の資本が入った街はずれの小ぎれいなレストランを指定してアリス・エマールと会った。ヴァロンタンはアリスの態度に拍子抜けした。アリスは恨みなどみじんも見せず、愛嬌があって美しく、快活で聡明な女性で、ヴァロンタンは感銘すら受けた。
「君の身に起きたことは残念だったな。若い者同士のことだ、どうか気を落とすんじゃないよ」
「いえ、いいのです。起きたことですから」
「それで、伝えたいという話はなんだね?」
「その……言いづらい話なのですが」
アリスは言おうかどうしようか迷っているようだった。
「その、私のエマール家が財政的に厳しいのはご存じでしょうか?」
「ああ、そのことなら知っている」
(来るぞ、「私はウジェーヌの子を妊娠しています」だ)
「実はアルノー家当主のシャルル・アルノー様をご紹介いただきたいのです」
オベール家当主、ヴァロンタンはまたも拍子抜けした。シャルル・アルノーは元々ベアトリスと婚約していたが、ウジェーヌからベアトリスへの婚姻申し込みに伴って婚約破棄された男だった。アルノー家は以前、この国で屈指の大変な名家だったが、前当主が亡くなった後を若くして引き継いだシャルル・アルノーが病にかかって寝たきりだったため、急速に没落してしまった。
(なるほど、没落貴族同士お似合いかもしれないな。シャルル・アルノーには内心申し訳ないと思っていたところだ。これは都合がいいかもしれん)
「それで、君がシャルル・アルノーに嫁ぐ手伝いを私にして欲しいと?」
「いえ、私はシャルル様にお会いしたこともありませんので……。恥ずかしながら私の父は高齢で働けず、もう生活するお金にも困ってしまっておりまして。私のこの境遇を笑われずに働ける場所を探しているのです。住み込みで使用人でもなんでもさせていただければ」
使用人……?ヴァロンタンはまたも驚かされた。この女はどこまで欲がないのだろう。ここまで聡明な美しい使用人であれば我が家も欲しいと思ったが、さすがに事がややこしくなりそうなのでやめた。
「ふむ、そのくらいお安い御用だが……本当にそれだけのために私に会おうと思ったのかね?」
「はい……おかしいでしょうか?」
「いや……大丈夫だ。分かったよ任せなさい」
(それだけのために?後悔しないといいけれど)
アリスは復讐への第一歩を踏み出した。