前を向いて
本日二回目の更新です。これで一旦法廷のお話は一区切りです。
アリスは手紙を開いて掲げると、口を開いた。
「こちらは筆跡鑑定も済み、遺言書として認められている物です。少し不思議な手紙ですがこれが何を意味するのか分かりませんので……証拠品として扱うかは裁判官の方にお任せしますわ」
「い……異議あり!」
ガブリエルの叫び声が法廷内に響き渡った。
「この期に及んで新証拠など、真贋を判断する時間も足りず、認められません……!」
(一体なんなんだあの手紙は……!)
ガブリエルの額から一筋の汗が流れ落ちた。
「……いいでしょう。検察側の主張を認めます。私にもこれが何を意味するのか分かりませんし、証拠品として受理はしないこととします」
証言台に立ったままのメイドのサーラは明らかに動揺しているように見えた。アリスはサーラに向かって言った。
「ええと、サーラさんでしたね。ディナーの際、ルイーズさんに屋敷で捕まえたネズミの肉を手料理で振舞われたとのことでしたが、サーラさんも召し上がったのですか?」
サーラは額に浮いた脂汗を拭きながら言った。
「あの……ええと、私は……私は食べておりません」
「ルイーズさんがネズミをシチューに混入されている様子はご覧になりましたか?」
「い、いえ……見ておりません」
「それでは、単に誰かから聞いた話をお話しされたのですね」
「はい……そうです」
「誰からこの話を聞いたのですか?」
サーラは凍り付いたように固まった。
「い……異議あり!」
慌てた検察のガブリエルが叫んだ。
(証言の仕方が先ほどとまるっきり異なるではないか!)
裁判官はガブリエルを制して言った。
「続けなさい」
サーラは唇を震わせながら言った。
「ええと……よく思い出せません」
「事件当時あの屋敷には本当にラファエルさんとルイーズさん二人きりだったと断言できますか?」
「いえ……断言はちょっと……」
「ありがとうございました。質問は以上です」
法廷がどよめく中、アリスは陪審員に向けてにっこりと笑った。裁判官が言った。
「五分経過しました。弁護人、次の証人を」
(しまった……!俺としたことが反対尋問するのをすっかり忘れていて五分経ってしまった……!)
ガブリエルは明らかに苛立ち、貧乏ゆすりを始めた。
続いて白髪の執事ジュードがフラフラとよろめきながら証言台に上がった。
「ジュードさん……でしたっけ?服を泥で汚されたり、靴を隠されたりといったことは日常茶飯事とおっしゃっていましたが、ルイーズさんがその『子供のようないたずら』をしているところを実際にご覧になったことがありますか?」
「……いえ、話に聞いただけでございます」
「ラファエルさんは一方的に殴られてよく顔に青あざを作っておられたとのことですが、実際にルイーズさんが殴っているところを?」
ジュードはカラカラの口から掠れる声を振り絞って言った。
「いえ……見たことはございません。もしかしたら転んで怪我をしただけだったのかも……」
「ありがとうございました。質問は以上ですわ」
ガブリエルはパニックになった。アリスに手番が代わってから、証人たちが急に自分が尋問した時の証言と全く方向性の違う証言を始めたのだ。
(一体全体、どうなってるんだ……?)
裁判官がガブリエルに向かって言った。
「検察官、反対尋問はよろしいですか?」
「は、反対尋問……はい、しますします!」
「残り一分です」
ガブリエルは焦りで全身の毛穴から汗が吹き出した。
「裁判官……い、一時休廷を要求します!」
「審理短縮のため、一時休廷要求は禁止したはずです。検察の要求を却下します」
(やっちまった……!!)
ガブリエルは全く想定していない展開に脚がガクガクと震え出した。
「残り十秒です」
「ちょ、ちょっ待っ!!」
「五分経過しました。弁護人、次の証人を」
アリスがガブリエルに向かって指を差すと言った。
「検察の方の顔色が悪いようですが、大丈夫でしょうか……?やたらと老け込んでしまって汗もかいているように見えますわ」
ガブリエルは必死に呼吸を整えると言った。
「大、丈、夫、デス……」
(クソがッ!あのアマ俺様のことをナメやがって!!)
「それでは、最後の証人ですわ。クロエさん、お願いします。」
クロエは先ほどの泣き腫らした悲しみの表情から一転して、無表情で証言台に上がった。
「婚約破棄されたルイーズさんが『ラファエルなんか殺してやる!』と叫んでいたのを聞かれたとのことでしたが、いつ頃か覚えていらっしゃいますか?」
「ええと……その……空耳だったかもしれません」
傍聴席が一斉にどよめいた。皆呆気に取られてクロエを見つめた。
「シチューは、本当にルイーズさんしか作らないのですか?」
クロエは視線を宙に泳がせながらゴクンと一度息を飲みこんで口を開いた。
「ええと……そういえばお義兄様もシチューを作ったことがありましたわ……!オホホホホ……そうですわ!自殺という線も考えられますわね」
「……自殺?」
「は、はい!あくまで可能性としてあるということで……オホホホホ!」
法廷が静まり返り、クロエの笑い声が不気味に響き渡った。
「……ありがとうございました。質問は以上です」
裁判官はガブリエルに向かって言った。
「反対尋問をどうぞ。残り二分です」
ガブリエルは自分に言い聞かせた。
(平常心……平常心だ……!俺は天才検察官ガブリエル!そう俺は天才なのだ!ワッハッハ!)
ガブリエルが口を開いた。
「クロエさん……その、シ、シチューとおっしゃいましたね?」
「……はい」
「シ、シチューはお好きですか?」
「……はい、まぁ、人並みには」
「ボクも大好きです」
(お、俺の口は何を言ってるんだ?それに「ボク」なんてママン相手にしか言ったことないのに!)
ガブリエルの脳内回路は完全にショートし、それきり言葉が続かなかった。裁判官がアリスに向かって言った。
「時間一杯です。弁護人、最後に何かありますか」
アリスは裁判官と陪審員たちを交互に見てから言った。
「疑わしきは罰せず……という言葉がある通り、有罪になるには一片の疑問もあってはなりません。皆さんお分かりの通り、この方々の証言は全く当てになりません。第三者による犯行の可能性もあれば、自殺の可能性もあります。そして……皆さんあの遺言書について考えてみてください。自らを殺した相手に全財産を相続するでしょうか?」
アリスはルイーズ、裁判官、陪審員たちの順に目を移し、ほほ笑むと言った。
「私からは以上ですわ」
***
無罪――。世間をにぎわせた裁判は予想に反する幕切れとなった。
「アリス、また君に救われたな」
シャルルがアリスに言った。
「いえいえ、お二人の名演技のおかげですわ。手紙を見せた後、全員が混乱しているうちに全ての証言を崩すことが肝だったのです。そのためには審理の短縮が必要でした。一時休廷されて時間を与えてしまうと証人同士で相談されてしまいますし、検察官のガブリエルさんも冷静になってしまいますからね。そうしたらどんな展開が待っていたか分かりません」
「それで、結局事件の真相は何だったんだい?」
アリスはゆっくりと語り始めた。
「私の考える真相はこうです。クロエさんと今日証言台に上がった使用人のお二人は、多額の借金を抱えていました」
アリスはさみし気な表情を浮かべながら、続けた。
「ラファエルさんは……何かのきっかけでクロエさんたちが考えた遺産目当ての暗殺計画について気付いたのです。恐らく婚約破棄の当日に。もしかしたらラファエルさんは、ルイーズさんに婚約破棄を告げる時点ですでに毒を盛られたことに気付いていて、助からないと感じていたのかもしれません」
シャルルは目を閉じてアリスの話に聞き入った。
「そして元々の計画ではルイーズさんもまとめて殺される予定だった――ルイーズさんは長期間ラファエルさんと共に暮らして来た婚約者ですから、内縁の妻として遺産の分与を主張できる可能性があります」
アリスは続けて言った。
「そのため、ラファエルさんは皆の前で婚約破棄を告げ、ルイーズさんを暗殺のターゲットから外そうとしたのです。しかし皮肉なことにクロエさんはそこでルイーズさんを都合よくラファエルさん殺しの犯人に仕立てあげることを思い付いた」
シャルルは頷くと、口を開いた。
「それで、アリスはいつ真相に気が付いたんだい?」
「金庫の中を見た時ですわ。そこで最近までラファエルさんとルイーズさんの間でやり取りされたラブレターの山を読んで、ルイーズさんが犯人でないと確信したんです。私にはルイーズさんが演技であの大量のラブレターを書いていたとはどうしても思えなかった。そしてルイーズさんが犯人でないとしたら……屋敷の他の人々が口裏を合わせて嘘をついている以外にないと思ったのです。だから動機を探るため、シャルル様に銀行口座の調査などをお願いしたのです」
「しかし、あのラファエルさんの遺言書の威力は凄かったな」
「ああ、この手紙ですか?」
アリスはポケットから手紙を取り出すと、シャルルに手渡した。シャルルはそれを開くと、驚愕の表情を浮かべた。
「こ、これは……!うちのポールの文字じゃないか!」
アリスは頭をかいた。
「あら、やっぱりシャルル様には分かってしまいました?ポールさんの筆跡がラファエルさんにとても似ていたので、この手紙を作ることを思い付いたのです。証拠として受理されなくてよかったですわ。私文書偽造で訴えられていたかもしれません」
「これは……まんまと一本取られたね」
「まぁ、噓はついていないのですが……有罪無罪、どちらに転んでも遺産はルイーズさんのものでしたから」
シャルルは困惑の表情を浮かべた。
「どういうことだい……?」
「金庫には実は一通だけ、ラブレター以外の書類があったんです。クロエさんは見落としていたようですが」
アリスはポケットからもう一枚書類を取り出した。それは婚姻届の控えだった。
「ラファエルさんが『婚約破棄の書類』としてルイーズさんにサインさせた書類は、実は婚姻届だったのです。夫が亡くなった場合、遺産は全額を妻が相続します。ラファエルさんが死の直前、法的にルイーズさんと婚姻関係になったことは、役所の記録でも確認できました」
「そうだったのか……自分が死ぬ前に婚姻を成立させて、全遺産をルイーズさんに相続しようとしたんだね」
シャルルは空を見上げた。自分だったらどうするだろう。ラファエルと同じ行動を取るだろうか。
「ところでアリス、真犯人たちを警察に突き出さなくてもいいのかい?」
「ああ、そちらは心配しなくても大丈夫だと思いますわ」
***
裁判後、裁判所の裏手には三つの人影があった。クロエと証言台に上がった二名の使用人たちである。
「罪をルイーズになすりつけることには失敗したけれど、わたくしがお義兄様の唯一の親族。遺産がわたくしたちの物になることは変わりないわ。大丈夫、何一つわたくしたちに繋がる証拠はないもの。この件は自殺で片付けられておしまいよ。誰もわたくしたちの犯行だと気づくことはないわ」
「いやーしかしびっくりしましたよ。まさかあんな手紙が出てくるとは」
「ほんとほんと!嫌になっちゃうわよねぇ。あんなに緊張したのは初めてよ~」
三人はニヤニヤとしながら話し合っていた。クロエが口を開いた。
「しかし、あのヘボ検察官、ケッサクだったわよね~汗を滝のように流しながら、『ボクもシチュー大好きです』なんて」
三人はどっと笑った。
「……本当にヘボかどうか、試してみるんだな」
三人がギョッとして振り返ると、検察官ガブリエルが鬼のような形相でそこに立っていた。三人は凍り付いた。
「揃って俺のことを騙していたとはな。法廷でこんな侮辱を受けたのは初めてだ。まとめてギロチン台へ送ってやるから覚悟しておけ」
ガブリエルが凍るように冷たい声で言い放つと、クロエは呆然とした表情で、足元からその場に崩れ落ちた。
***
判決から一か月後、浜辺で夕日を見ながら、ルイーズ・ドゼーは砂の上に体育座りをして物思いに耽っていた。ラファエルが亡くなり、裁判を経て真相を知ってから、もうどれくらい泣いただろう。
(ラファエル様のために、私がしっかりしなくちゃ)
ラファエルは、ベルトラン家をルイーズに託したのだ。これからルイーズはベルトラン家当主として、家を守っていかなければならない。ルイーズは愛しい眼差しで腹部をさすった。そこにはラファエルとの新たな命が宿っていた。
「さぁ、この子のためにも。前を向くのよ、ルイーズ」
立ち上がったルイーズの左手の薬指には、ダイヤモンドが夕日を受けて紅く輝いていた。
(つづく)
数ある小説の中ご覧いただき、またここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!読んでくださる温かい皆さまが全てのモチベーションの源です…!
法廷ものにチャレンジしたくなって今回のエピソードを書いたのですが、今までのお話と比べてちょっとややこしかったかもしれません。もし少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。ご感想や今後の展開の希望など、ありましたら是非いただけると嬉しいです!すこーしだけ休んで続きを書く予定です。




