ラファエルの遺書
剣を抜いたアントワーヌの叫び声により、法廷内は悲鳴とどよめきに包まれた。
「静粛に……!静粛に……!」
裁判官は必死に呼びかけるも、法廷のどよめきは収まらなかった。その場から逃げ出す者、頭を抱えうずくまる者――。裁判官は慌ててガブリエルの方を向いた。
「げ、原告、けけけ、決闘裁判を受けますか……?」
ガブリエルはいたって冷静を装ったまま、答えた。
「受けません。法廷の秩序を乱すこの者の退廷を要求します」
(何を馬鹿なことを言っているんだあのアントワーヌという男は。我々にとって勝ちの決まっている裁判なのに、決闘裁判を受けてこちらに何のメリットがあるのか。第一これは刑事事件だ。原告は検察官である俺。何のために俺が命を張って戦うと言うのだ?)
「警備員……!警備員……!」
裁判官が声を挙げると、五名ほどの大柄の警備員がすぐにやってきて、暴れるアントワーヌを取り押さえた。アントワーヌは抑え込まれながらうめき声をあげた。
「この腰抜け検察官め……!」
アントワーヌは法廷の群集に見守られながら連れ出されていった。ルイーズをはじめとしてシャルルやアリス、証人の面々はその様子を唖然として見つめていた。傍聴席の群集からは安堵のため息が漏れた。
裁判官はアントワーヌが法廷の外へと連れ出されたのを確認すると、額の汗を拭って言った。
「ふう……とんだ邪魔が入りましたが……どこまでいったんでしたっけ?」
「検察側最後の証人の反対尋問です」
ガブリエルは平然と裁判官に向かって答えた。
(これで、陪審員のルイーズに対する心証は最悪だ。あの兄あっての妹。元々どう考えても勝てる裁判だったが、もうこれで決まったな)
裁判官が弁護人であるアリスの方を向いて言った。
「弁護人、それでは反対尋問をどうぞ」
「ええと、どうしようかしら?」
ガブリエルは思った。
(そしてこの弁護人ときたもんだ……さすがの俺もルイーズが哀れに思えてくるな)
その時、ガブリエルはアリスと一瞬目が合った。――違和感。
(今、あいつこちらを見てニヤつかなかったか……?)
「おい、弁護人、貴様今俺を見てニヤついたか?」
「……私には何のことか分かりませんが」
アリスは肩をすぼめて言った。ガブリエルの脳内で警鐘が大きな音で鳴り始めた。
(よく考えればこの展開……どこか既視感があるぞ。思い出せ。よく考えろ……)
ガブリエルの脳内データベースが急回転を始めた。データベース内のある項目に達した時、ガブリエルの背筋に悪寒が走った。
(第二法廷包囲事件……!)
第二法廷包囲事件とは、今から約二十年前に起きた事件である。とある侯爵が裁判中に剣を抜いて決闘裁判を申し出、原告側に拒否された後に法廷の外に警備員によって連れ出された。
問題はここからである。怒り狂った侯爵は武器を持った手勢を集め、法廷に戻ってきて周囲を包囲したのだ。裁判では侯爵側が圧倒的に不利だったにも関わらず、法廷に踏み込まれることを恐れた裁判官と陪審員は、脅しに屈し侯爵側の被告人を無罪にした。
恐らく、ただ法廷が包囲されただけであったなら、裁判官と陪審員は脅しに屈しなかっただろう。その前に剣を抜き、怒り狂った本気の侯爵を見ていたから、武力を持って法廷に踏み込まれることが現実味を帯びて感じられたのだ。
今回、アントワーヌが剣を抜いて法廷外に連れ出されるまでの流れは、「第二法廷包囲事件」と全く同じ展開だった。
熱を帯びたガブリエルの脳内データベースは、さらに記憶の奥底にある詳細情報を引き出そうとしていた。
(第二法廷包囲事件で侯爵が法廷から連れ出されてから手勢を集めて法廷を包囲するまでにかかった時間は約二時間……!今回もしこれが計画されていたことだとするなら――ここから比較的近い市内に手勢を待機させているかもしれない。早ければ一時間もあれば包囲が成立する可能性がある……!)
ガブリエルは陪審員席に目を向けた。そこにはシャルルが澄まし顔で座っていた。
(シャルル・アルノー……先ほどまであれほど大変なことが隣の席で起きていたというのに、今の平然としたあの表情はなんだ!やはり、アントワーヌの親友である奴も計画の一部。くっ、抜け目のない奴等だ。まさか元々法廷で争う気が無く、武力行使するつもりだったとは……!しかしこの程度で天才検察官ガブリエル様の裏をかけると思うなよ……!)
「裁判官!」
ガブリエルが裁判官に向かって言った。
「第二法廷包囲事件をご存じですね?狂人アントワーヌ・ドゼーからの法廷への侮辱を避けるため、審理の短縮を要求します。一時間以内に判決まで終わらせるのです」
法廷中がざわめいた。裁判官は考え込み、再び額の汗を拭ってから言った。
「分かりました。今後の一時休廷要求は禁止とします。また証人一人当たりの証人尋問を、反対尋問と合わせて五分に制限しましょう。弁護人、あなたもそれでよろしいですか?」
「え……あ、はい」
アリスが答えた。ガブリエルは思った。
(時間稼ぎに粘ってくるかと思ったが、案外あっけないな)
裁判官がアリスに向かって言った。
「それでは反対尋問を」
「ええと、無しでいいですわ。お急ぎのようですし」
「検察側最後の証人ですがよろしいのですか?」
「はい、構いませんわ」
(なんなんだこいつは?)
ガブリエルは益々訳が分からなくなってきた。反対尋問はアントワーヌのために時間を稼ぐ絶好の機会のはずだ。
裁判官は口を開いた。
「よろしい。それでは弁護人側の証人尋問を」
「あ、ええと、あいにく証人の用意がなく……」
ガブリエルは驚愕した。
(証人の用意がないだと!)
ガブリエルは思った。なんとおかしな裁判なのだろう。もはや今起こっていることはガブリエルの想定の範囲を超えていた。
「ええと、じゃあ今まで出ていただいた証人の方々に順番にもう一度出ていただくのはどうでしょう……?構いませんか?」
「すでに出た証人に……?まぁ、いいでしょう」
裁判官含め、傍聴席の人々も白ける中、中年で小太りのメイド、サーラが再び証言台に上がった。サーラは飽きれた表情でアリスを見ると、口を開いた。
「ええと、私はこれ以上何を証言すればよろしいのでしょうか……?」
「あ、ちょっとその前にですね……」
アリスはポケットの中から何やら紙切れを取り出した。
「証拠品と言えるかどうか分からないのですが、こちら被害者の書斎に隠された金庫に入っていた物です」
(なんだと……?聞いてないぞ!)
ガブリエルは思った。
(……まぁ何が出て来ても被告人の有罪は動かない。まだ包囲まで時間はある。ここは好きにしゃべらせてやるか)
「それでは書いてある内容を読み上げます」
アリスは続けた。
「私の死後、万が一ルイーズ・ドゼーが私を殺した罪で有罪となった場合、ベルトラン家の遺産は全てルイーズ・ドゼーが相続することとする。――ラファエル・ベルトラン」
ざわざわ……ざわざわ……法廷内が大きくざわめいた。




