裁判開始
本日二回目の更新です。
「ラファエル・ベルトラン侯爵が不審死、婚約者による殺人か――」
新聞に記事が掲載されて以降、そのニュースは瞬く間に国中を駆け巡った。凛々しい侯爵ラファエルと、美女であるその婚約者ルイーズの写真が新聞に掲載されると、その話題はさらに燃え上がった。その裁判とルイーズが有罪判決を受ける様子を一目見ようと、国家裁判所前は傍聴席を求める人々の列が周囲一キロメートルにも及んだ。
国を代表してルイーズを有罪にしようとする検察官は、ガブリエル・マルタン。IQ200、勝率100%の敏腕で知られ、今まで何十人もの人間をギロチン台へと送ってきた。今回は特に憎きドゼー家が相手とあって、復讐心を燃やしている。
(しかし今回の事件は裁判をするのも馬鹿馬鹿しいほど明らかだ。フン、さっさと終わらせてルイーズ・ドゼーをギロチン台へと送ってやろう)
こんな事件を引き受ける弁護人がどこにいるのか?通常であればそう誰もが思うような、結果の明らかな裁判だった。弁護人は被告人ルイーズの兄アントワーヌの親友であるシャルル・アルノーの妻、アリス・エマール・アルノー。ガブリエルは最終的に、一つの結論に達していた。
(有力な弁護士で弁護を引き受ける者が誰もいなかったため、お友達のところにお鉢が回ってきたんだろう。だが、俺は相手を見くびることはしない。どんな相手だろうが全力で潰す)
やがて、弁護人アリスが法廷に入ってきた。法廷内が傍聴人たちの声で一斉にざわついた。
(ざわざわ……どこかの令嬢……?しかもやたら若いぞ。なんなんだこれは……ざわざわ)
そのどう見ても弁護士に見えない、令嬢のような恰好をしたアリスは、周りを見渡しながらウロウロしていた。アリスは高いところに座る裁判官に聞いた。
「あの……弁護人の席はどちらでしょうか?」
「……あちらの席です」
「ありがとうございます!」
アリスが法廷内をキョロキョロしながら歩く様子を見て、今まで幾千もの弁護人と対峙してきたガブリエルは、その脳内コンピュータを回転させていた。
(これは演技じゃない。この女はマジでド素人だ。誰かの弁護を担当したことがないどころか、法廷に入ったことすらないのだろう。ククク、これは早く終わりそうだ)
続いて黒い喪服に身を包み、やつれた表情のルイーズ・ドゼーが法廷に入ってくると、裁判官に会釈をして被告人席へとついた。傍聴席には、ルイーズの兄であるアントワーヌ・ドゼーや、シャルル・アルノーの姿があった。
検察官ガブリエルはすぐに陪審員と裁判官へ向けて冒頭陳述を始めた。
「本日検察官を務めるガブリエル・マルタンと申します。ええ……この事件は皆様ご存じの通り明々白々でございます。事件当時、ラファエル氏とルイーズ氏の暮らす屋敷には二人以外に誰もおりませんでした。その日婚約破棄を突き付けられたルイーズ氏が逆上しラファエル氏に毒を盛った。それ以外に考えられません」
(ざわざわ……その日に婚約破棄を突き付けられていただって……!)
法廷内がざわついた。裁判官がそれを制するように言った。
「静粛に」
検察官のガブリエルは続けて言った。
「本日はその罪を証明するためにここに参りました。その美しい仮面の下に隠れた狂気を暴いてみせましょう。ギロチンによる死刑を求刑します」
裁判官がアリスに向かって言った。
「弁護人、続けて冒頭陳述をお願いします」
弁護人と呼ばれたアリスは集中していなかったのか、よろめきながら慌てて立ち上がった。
「あ……私はアリス・エマール・アルノーと申します。夫の友人であるアントワーヌ・ドゼー様より妹さんの弁護を引き受けて欲しいとご依頼をいただきまして。初めてですので上手くできるか分かりませんが、よろしくお願いいたします。ルイーズ様には先日お会いしましたが、とってもいい人です!その疑惑を晴らせるように頑張りますわ」
法廷内にはどこからともなく失笑が漏れた。この国では、弁護士でなくとも被告人の弁護は可能である。しかし、ここまでド素人のような人間が弁護を担当するのを誰も見たことがなかった。ガブリエルは思った。
(今のは冒頭陳述か……?ただの自己紹介じゃないか、ふざけやがって)
「それでは検察側から1人目の証人を」
裁判官の声が法廷に響き渡った。中年で小太りのメイドが一人前に出てきた。検察官のガブリエルはメイドに向かって言った。
「それではお名前とご職業、被害者とのご関係をお願いいたします」
「はい、サーラと申します。ベルトラン家でメイドを始めて二年目です」
「被害者はどのような方でしたか?」
「ラファエル様は……誰にでも優しく……ううっ!優しいあまりにあのような悪徳令嬢の牙にかかってしまって……!」
「悪徳令嬢とは?」
「ルイーズ様……いえ、ルイーズに決まっております!常日頃我々に嫌がらせをしてはほくそ笑むような卑しい女です!」
「具体的にどのような嫌がらせを?」
「ディナーの際、屋敷で捕まえたネズミの肉を手料理にしてラファエル様の義妹クロエ様に振舞いました」
(ざわざわ……)
法廷内がざわついた。ルイーズはうつむいていた。傍聴席、シャルル・アルノーの隣で、ルイーズの兄、アントワーヌは怒りに拳を震わせていた。
「なるほど。事件当時、あなたはどちらへ?」
「屋敷の離れにおりました。金曜の夜は、いつもラファエル様はルイーズと屋敷で二人きりで夜を過ごされます。婚約破棄の当日ではありましたが、どうしていいか分からないので使用人は皆いつものように離れにおりました」
「つまり、事件当時被害者と共にいたのは被告人だけだったということですね?」
「ええ、その通りです」
「質問は以上です。ありがとうございました」
裁判官が弁護人であるアリスの方を向いて言った。
「反対尋問をどうぞ」
「……反対尋問、ですか?いえ、必要ありませんわ」
検察のガブリエルはポカンとした表情のアリスを見て思った。
(このド素人が!さっさと終わらせて一杯飲りに行くとしよう)
続いて、白髪の執事が前に出てきた。ガブリエルは口を開いた。
「続いて二人目の証人尋問を始めます。お名前とご職業、被害者とのご関係をお願いいたします」
「ジュードと申します。ベルトラン家で執事三年目。ラファエル様とは仲良くさせていただいておりました。まさかあのような素晴らしい方が……」
「被告人との関係はいかがでしたか?」
「私とルイーズですか?あのような悪徳令嬢とは口も聞きたくありません。子供のいたずらのようですが、服を泥で汚されたり、靴を隠されたりといったことは日常茶飯事でございました」
「被害者と被告人の関係はいかがでしょう?」
「そりゃあもう、喧嘩ばかりでしたよ。ラファエル様は一方的に殴られてよく顔に青あざを作っておられました」
(ざわざわ……)
また法廷内がざわついた。アントワーヌは傍聴席で顔を真っ赤にして歯ぎしりをしていた。
「それは被告人から?」
「そうとしか考えられません。屋敷でラファエル様に暴力を働くような人間はルイーズ以外はおりませんから」
「質問は以上です。ありがとうございました」
裁判官が弁護人であるアリスの方を向いて言った。
「弁護人、それでは反対尋問をどうぞ」
「あ……ええと、大丈夫です!」
検察のガブリエルは、そのアリスの様子を見てあきれ果てた。
(やれやれ、法廷を侮辱するのもいい加減にしたまえ!)
執事のジュードが下がると、続いて泣き腫らした様子の令嬢が崩れ落ちそうになりながらゆっくりと前に出てきた。
「それでは検察側から最後の証人尋問を始めます。お名前とご職業、被害者とのご関係をお願いいたします」
「ぐすん……クロエと申します……。ベルトラン家では……ラファエルお義兄様と兄妹の関係でおりました」
「義理の妹でいらっしゃる?」
「はい、血のつながりはありませんが、本当の兄と思っておりました……」
クロエの両目から大粒の涙が零れ落ちると、傍聴席からは同情のため息が漏れた。
「被害者と被告人の関係をご存じですか?」
「はい……とても仲が悪く、特にあの事件の日は……婚約破棄されたルイーズが『ラファエルなんか殺してやる!』と叫んでいたのを聞きました」
クロエは言い終わると、ルイーズの方をキッと睨んだ。法廷がどよめく中、ルイーズは目を丸くして呆然とクロエの方を見つめていた。
「凶器となった毒物の入っていたシチューに心当たりはありますか?」
「はい、シチューはルイーズの得意な手料理です。というよりも馬鹿の一つ覚えのようにルイーズはそれしか作れませんでした。例のネズミの肉を混入させたのもシチューでした。ルイーズ以外にこの屋敷でシチューを作る使用人はおりません」
「質問は以上です。ありがとうございました」
クロエは会釈すると、陪審員たちの方を向きながら叫んだ。
「暴力に訴えるなんて、許さない!どうかこの悪徳令嬢に正義の鉄槌を!」
その時、傍聴席からガタッと大きな音が聞こえ、法廷中の視線が集まった。
「貴様ァッ!!!!」
鬼の形相のアントワーヌが傍聴席から立ち上がり、腰の短剣に手をかけ、今まさに柵を越えて斬りかからんかという勢いで、クロエのことを睨みつけていた。
「おい、アントワーヌ、落ち着け!剣を抜くな!」
シャルルが止めに入ろうと声を挙げたが、アントワーヌの耳には入らなかった。アントワーヌは半ば抜刀しながら絶叫した。
「裁判長!この者たちは公の場で我が妹を、我々ドゼー家を侮辱したッ!かくなる上は鉄と血によって妹の容疑と汚名を晴らすッ!!」
アントワーヌの握りしめる短剣の抜き身が、キラリと光った。剣は抜かれた。アントワーヌは目を血走らせながら叫んだ。
「……決闘裁判だッ!!」




