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裁判を前に

 翌朝、アリスは鼻先を通る焼けた小麦の香りに目を覚ました。目が徐々に慣れ、朝の光に満ちた寝室が見え始めると、夫のシャルルが寝室のテーブルに朝食を用意している姿が目に入った。


 アリスが身体を起こして見ると、テーブルの上には、熱々のパンが焼きたてのまま、ふんわりと蒸気を立てていた。パンの隣には、深緑色の葉を添えた、果物の盛り合わせがあった。熱々のホットミルクと淹れたてのコーヒーの香りが、ダメ押しのスイッチを押したかのように、アリスのお腹がぐう~と大きな音を立て、アリスは真っ赤な顔をしながら慌ててお腹を押さえた。


「やだ、私ったら!」

「やあアリス、目が覚めたかい?」

「シャルル様……まぁ、なんて素敵な朝食。おはようございます」


 寝室の窓からは、紅葉に色づく庭園が見え、柔らかな風が木々の香りとともに部屋に流れ込んできた。この風に誘われるように、小鳥たちがさえずり、その歌声が朝の空気をさらに華やかにしていた。太陽の光がゆらめくカーテンを透過し、部屋に美しい二人のシルエットを映し出していた。


(私……幸せですわ)


 アリスがネグリジェのままベッドから降りてテーブルの席につくと、完璧な朝食の向こう側には精悍な顔つきのシャルルがアリスに優しい眼差しを向けていた。


「昨日は大変だったね」


 シャルルは包帯で巻かれたアリスの左手を見て言った。


「いえいえ、これくらい。ルイーズさんとアントワーヌさんの心労に比べれば……」

「何か僕にできることはあるかい?」


 アリスはパンに手を伸ばしながら頭を切り替えて考えた。


「ラファエル・ベルトラン侯爵邸の使用人全員、それからラファエルさんの義妹であるクロエさんについて調査していただけますか?生い立ちから、人間関係、銀行口座の状況まで、できるだけ詳細を」

「分かった。全力を尽くそう」


 アリスはホットミルクを口に運ぶと、再び考えてから言った。


「それから、ラファエルさんが亡くなる直前の、ルイーズさんとの法的関係についても」

「ああ、お安い御用だ」


 シャルルはアリスを見つめて言った。


「それで……勝算はありそうかい?」

「現状は正直に言ってかなり分が悪いと思いますわ。状況証拠が揃っている上に、ラファエル・ベルトラン侯爵邸におけるルイーズさんの評判はとても悪いものですから……証言台に上がる侯爵邸関係者の証言は全員一致でルイーズさんを攻撃するはずです。陪審員の心証はとても悪くなるでしょう。何か一撃で全員の証言を崩す方法を考えないと……ただ」

「ただ……?」

「ルイーズさんは犯人ではありません。それには私、確信を持っていますわ」


 シャルルは考え込んでから言った。


「決闘裁判にでも持ち込めればいいのだが」

「決闘裁判……ですか?」

「ああ、古い慣習で最近はあまり聞かないけどね。被告人が非を認めず、両者合意すれば、互いの名誉のため法廷でなく決闘によって決着をつけることもできるんだ。剣豪のアントワーヌがルイーズさん側の代理人として決闘裁判に持ち込むことができれば、絶対に負けないよ。ただ今回の場合、刑事事件で原告が検察官のガブリエル・マルタンになるから、原告が決闘裁判に合意することはないだろう」

「面白いですね……念のため調べておきますわ」


***


 アリスがその日、調べものを終えて屋敷の廊下を歩いていると、使用人のポールが物陰に隠れてコソコソとしているところを発見した。


「あら、ポールさん。今日はそんなところでかくれんぼですか?」

「しーっ!しーっ!」


 ポールは左手の人差し指を口に当てながら、右手の人差し指で廊下の奥を指差した。廊下の奥に、エマが拭き掃除をしている姿が見えた。ポールが懐から手紙のようなものを出してアリスにこっそり見せた。


「ほら、エマが中々振り向いてくれないから、今日から作戦を変えようと思ってさ。女性はラブレターに弱いって言うだろ?これを渡せばエマもイチコロさ!」

「はぁ、私はどちらかというと正面からドーンと来られるのが好みですが……ちなみにどんな内容が書いてあるんです?」

「昨晩寝ないで書いたんだ!ほら見てくれよ」


 ポールがエマ宛のラブレターをアリスに手渡すと、アリスはそれを開いた。


 その瞬間――アリスの全身を電流が駆け抜けた。今まで断片的だったピースが盤面にはまってゆく……そして最後のピースがはまり、アリスは逆転の勝ち筋が盤上に現れるのを感じていた。


(もし私の仮説が正しいとすれば……)


「ポールさん、折り入ってご相談があるのですが……」

「……えっ?なに?」


***


 薄暗い書斎の中で、ガブリエル・マルタンはストレートのウィスキーを片手に葉巻をくゆらせながら、物思いに耽っていた。


 左側の壁一面には今まで彼がギロチン台へと送ってきた相手の顔写真が不気味に並び、右側の壁一面には彼の復讐リスト――彼がオベール=バシュラール家の没落に関連したと信じる、アルノー家、ドゼー家の面々の顔写真、あるいはネームプレートが並んでいた。


 ガブリエルはルイーズ・ドゼーの顔写真を見ながら思った。


(ようやく右の壁の一人目を左の壁に移す時が来たな)


 ガブリエルは悦に浸っていた。しかし、彼にはどうしても分からないことがあった。


(しかしなぜアルノー家当主夫人が弁護人を務めるのだ?)


 ガブリエルはアリスについて調査をしたが、アリスは弁護士資格も持っていなければ、過去に誰かの弁護を担当した履歴すらもなかった。ガブリエルはダーツの矢を構えると、「アリス・エマール・アルノー」と書かれたネームプレートに向かって投げつけた。矢は見事ネームプレートへ深々と突き刺さった。


(フン、どうでもいい。これほど簡単な裁判は稀だ。どのように弁護をしようが、結果を覆すことは不可能。せいぜい法廷で足掻き、恥ずかしい思いをするがいいさ)


 間もなく、裁判の幕が上がろうとしていた――。

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