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ウジェーヌ・バシュラールとの出会い

主人公アリスの生い立ち回その二になります。

 アデレードと同じ、「高貴な」という意味の名を授かったアリスは、小さい頃あまり外で活発に遊ぶ方ではなく、エマール家の書庫に入り浸って本ばかり読んでいた。アリスは本の匂いが好きだった。本とは過去の偉人達が知恵を授けてくれる、魔法のような物だと思った。だがそんなアリスの様子を見て、父親のルイはいつも不機嫌だった。


「い、いいかアリス、れ、レディは賢くなる必要などないんだ。し、爵位を継ぐ嫡男にどうしたら気に入られるかだけ考えて、は、花嫁修業に励んでいろ」


 ルイは、アリスが生まれた時に脳出血で倒れた影響で、スムーズに話せなくなり、杖をついて歩くのがやっとだった。屋敷では大体いつも酒に酔っていて、家業も次第に破綻し始めた。エマール家の経済的状況は日に日に苦しくなっていったが、ルイは厳しい家計の中からでも貯金を取り崩してはなんとかアリスに家庭教師を付け、礼儀作法や針仕事、絵画、バレエなどの教育をし、花嫁修業を積ませた。


 アリスは花嫁修業についてはあまり好きにはなれなかった。アリスが興味を持っているのは、世の中を動かしている経済の仕組みだったり、鳥はどうやって空を飛んでいるのかということだったり、空のもっと上の世界がどうなっているかということだった。しかし、父親が喜んでくれる顔が見たいという一心で、アリスは花嫁修業にも真面目に取り組んだ。


 アリスは厳格な父親のことが好きだった。世間一般で言えば毎日酒に酔っている父親がいい親と言えるはずもなかったが、酔いながら今は亡き母親ジョゼフィーヌとの思い出を楽しそうに語る父親が好きだった。いつもは厳格な父親も、ジョゼフィーヌの話をする時は優しい父親そのものだった。


(私が生まれてきたせいで、お父様の愛するお母様が失われてしまったのだわ)


 アリスは自分の出産を機に母親が亡くなったことを知ってから、幼心に罪の意識を感じることがあった。アリスが父親にそのことを話そうとすると、決まって父親はとても悲しい顔をしてきっぱりと言った。


「お、お前のせいではない。こ、この話はやめなさい」


 アリスは思った。


(私がお母様の代わりになって、必ずお父様を幸せにするわ)


***


 アリスが十二歳になったある日、ルイはアリスを家の外へと連れていった。


「き、今日はとても大事な日だから、し、静かにしているんだぞ」


 アリスは借り物の白いドレスを着せられた。初めて着る素敵な余所行きの服に、アリスはとても嬉しい気分になった。家の外に止まった馬車に乗り込んでしばらく進むと、馬車はアリスが今までに見たこともないほど大きい、立派な煉瓦造りのお屋敷の前に到着した。すでに豪華な門の前で白髪の執事が待っており、ルイとアリスを出迎えた。


「バシュラール家へようこそお越しくださいました、ルイ・エマール様。そちらはお嬢様ですね」

「アリス・エマールと申します」


 アリスが緊張しながら答えると、執事はにっこりとほほ笑んだ。


「ようこそ、アリス・エマール様」


 アリスは、生まれて初めて大人扱いされたような気がして、嬉しかった。ルイとアリスはその後、暖かな空気の漂う芝生の広がる庭を抜け、眉間に深い皺の刻まれた威厳と風格を漂わせるバシュラール家の当主オーギュスタンに挨拶をした。ルイは実はこの日、オーギュスタンに借金の依頼をしに来たのだった。


 アリスはそこでルイと別れ、父親と別室に通されて、用事が終わるまでそこで待つように言われた。そこにはアリスと同じくらいの年の青い髪をした少年がいた。


 少年は丸眼鏡をかけた白髪の老人とテーブルを挟んで座り、ポーカーをしているところだった。黒い服を着たメイドが二人に手札を配っていた。アリスは少年の斜め後ろの椅子に腰をかけた。アリスからはカードの札が良く見えた。


「おや、勝利の女神がいらっしゃったかな?」


 白髪の老人はアリスをチラリと見て言った。少年はゲームに集中しているようで振り返らなかった。アリスが来てからしばらくゲームが続いたが、少年側のチップはみるみる減っていった。さらに少年は6666Aの6のフォーカードという好手で勝負をかけたものの、白髪の老人によるKKKKQのキングのフォーカードに負けるという不運があった。


「今月もウジェーヌの小遣いは没収かな?」


 白髪の老人が言うと、少年の顔は斜め後ろからでもそうと分かるほど真っ赤になった。黒い服を着たメイドは先ほどのプレイが終わったカードをテーブルの端へ下げると、手持ちの残りのカードから再び二人に手札を配った。そこで少年の手にまたも勝負手がきた。ジャックのフォーカードである。


「レイズ!」


 少年が言い、テーブルの上のチップを追加で前に押し出した。自分の手に自信がある時は、レイズすることで賭け金を引き上げることができる。白髪の老人はニヤリと笑い、チップを押し出しながら言った。


「レイズじゃ」


 少年の手が小刻みに震え出した。少年は最後のチップに手をかけたが、やがてその手を引っ込めると、手札を伏せて勝負から降りようとした。これで負けたら今月の全ての小遣いを失ってしまう。それだけは絶対に避けなくてはいけない。その時、後ろから声が聞こえた。


「あの、レイズですわ」


 アリスだった。ウジェーヌと呼ばれていた少年がびっくりした顔で振り返った。その時、黒い服を着たメイドがアリスの方を向いて言った。


「あの、お客様であっても勝負中に声を出すのは禁じられておりまして……」

「まぁまぁ、いいじゃないか。エマール家の客人だそうじゃ」


 白髪の老人が口を開いた。


「どうする、ウジェーヌ?あの子はレイズと言っておるぞ」


 ウジェーヌは女の子がレイズと言った手前、降りるのが恥ずかしくなった。ウジェーヌがぼそりと言った。


「……レイズ」

「ハッハッハ!これはいい。それじゃあワシも、もう一度レイズじゃ」

「お、お爺様、もう今月のお小遣いが無く……!」

「来月の小遣いがあるじゃろうて」


 ウジェーヌという名の少年は、明らかに狼狽していた。手に汗を滴るほどにかいていて、チラチラとアリスの方を見た。


「あの、君、どうすればいいかな……?」


 ウジェーヌが青ざめた顔で聞いた。アリスはぽかんとした顔をしていた。


「その……もちろんレイズですわ」

「……じゃ、じゃあレイズで」


 ウジェーヌは消え入るような声で言った。


「ワッハッハ!こりゃいいわい。コールじゃ」


 白髪の老人は喜んでコールすると、持っていた手札を開いた。フルハウスだった。強力な役ではあるが、ウジェーヌのフォーカードが上の役のため、ウジェーヌの勝ちである。


「や、やった……!!」


 ウジェーヌは震える手で手札を開き、席から立ちあがると、くるりと振り返り、アリスの手を取って喜びを爆発させた。ほとんど負けそうな状態から一気に二か月分近い小遣いを手にしたウジェーヌは最高の気分だった。白髪の老人がアリスの方へ歩み寄り、握手を求めながら言った。


「バシュラール家、先代当主のジョセフじゃ。楽しい勝負をありがとう。お嬢さんの名前は……?」

「あの、名乗るほどの者ではございませんが……」


 アリスは頬を赤らめて言った。


「私の名は、アリス・エマール。ルイ・エマールの娘ですわ」


***


 ウジェーヌは興奮冷めやらぬ様子で、アリスの手を取って屋敷の庭園で散歩していた。アリスは男性に手を繋がれたのは初めてで、顔から火を噴きそうだった。ウジェーヌはアリスより二歳年上の十四歳で、名家バシュラール家の嫡男だった。


「ところで、さっきはどうしてレイズしようと思ったんだい?ポーカーが分かるの?」

「いえ、やったことはないのですが、ポーカーの役は知っておりますわ」

「自信満々だったけど、それはなんで?」


(だって、負けようがないからですわ)


 アリスは、心の中で思った。ウジェーヌがなぜ分からないのかアリスには不思議だった。


「先ほどのポーカーでは、黒い服を着たメイドの方が二ゲーム毎にカードをシャッフルされていらっしゃいましたよね?」

「あ、ああ、そうだね」

「一つ前のゲームでは、ウジェーヌ様が6のフォーカードでジョセフ様のキングのフォーカードに負けました」

「うん、あれはきつかったな。まさか負けるとは思ってなかったよ」


 ウジェーヌは思い出して悔しそうな顔をした。


「そして最後のゲーム。ウジェーヌ様の手はジャックのフォーカードでした。ジャックのフォーカードに勝てる手は、クイーンかキングかエースのフォーカード、ストレートフラッシュ、それにロイヤルストレートフラッシュですわ」


 ウジェーヌはフムフム、と考えながら聞いていた。


「クイーンとエースは前のゲームで一枚ずつ出ていて、キングは四枚とも出ていましたから、ウジェーヌ様の手を超えるフォーカードはあり得ません」


 アリスは続けて言った。


「ストレートフラッシュもあり得ませんわ。一つ前のゲームの6のフォーカードで6が切れていますから6が絡んだストレートフラッシュは全て、2-3-4-5-6のストレートフラッシュも、4-5-6-7-8も、6-7-8-9-10も不可能です。そして最後のゲームでウジェーヌ様はジャックのフォーカードを手にしていましたので、同様に、ジャックが絡んだストレートフラッシュもないですわ。つまり、ロイヤルストレートフラッシュを含む全てのストレートフラッシュがあり得ないことになりますわ」


 ウジェーヌはしばらくぽかんとしていたが、やがて合点がいったようで目を見開いた。


「ゆっくり時間をかけて考えれば分かるけど、あの一瞬で……君ってとても賢いんだね!」


 アリスはまた顔を真っ赤にして言った。


「ありがとうございます。私には勿体ないお言葉ですわ」


 ウジェーヌはアリスの方を見つめて言った。


「あのさ、君が十六歳になったら」

「十六歳になったら?」


 ウジェーヌはゆっくり息を吸いこんで言った。


「結婚を申し込んでもいいかい?」


 アリスは急な申し出に心臓が止まる思いがした。結婚はこんなにすぐ決めてもいいものなのだろうか。でも、こんな名家に嫁ぐことができたなら、父親のルイもきっと喜ぶに違いない、と思った。


「は、はい……ウジェーヌ様が四年後にもし覚えていらっしゃったなら」

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