これから何を目的に生きれば良いのでしょうか
翌朝、アリスが目を覚ますと、ルイは隣で安らかな表情を浮かべて亡くなっていた。アリスは父親を強く抱きしめ、名残惜しいように握りしめた手をしばらく離さなかった。この三か月は、アリスにとって父親と本当に二人きりで過ごす幸せな時間だった。
「お父様、さようなら。たった一人の愛する人」
***
父親ルイの葬儀を済ませてから一週間が経った。アリスは以前買い戻した空っぽのエマール家の屋敷を一人で掃除していた。心にポッカリと大きな穴が空いたようだった。アリスは、父親の看病を始めてしばらくして、アルノー家に辞表の手紙を送っていた。アルノー家からは数多くの手紙が届いていたが、アリスは開く気にはならなかった。
(お父様、これから私は何を目的に生きれば良いのでしょうか……。私はとうとう、一人ぼっちになってしまった)
アリスがあれほど強く持っていたウジェーヌへの復讐にかける思いが、ルイの死をきっかけに零散してしまっていた。ある時玄関のベルが鳴り、アリスは上の空のまま階段を降りて玄関へと向かった。玄関のドアを開けると、そこにはエマが立っていた。
「アリス……!」
エマはアリスを抱きしめて言った。
「返事がないから心配したのよ……。お父様は……?」
「……」
アリスはぼんやりとした表情のまま、答えなかった。
「ごめんなさい」
エマは状況を察したのか、申し訳なさそうに言った。
「あなたがアルノー家を出てから、大変なことになってしまって……。こんな大変な時に押し掛けてごめんねアリス。でも、みんなあなたのことを待っているの」
「もう……アルノー家に戻るつもりはありませんわ。私、どこか別の場所へ引っ越そうと思うんです」
アリスは力なく答えた。
「アリスがいなくなったあと、アルノー家のあり得ない悪い噂が国中に広まったの。もちろん事実じゃないわ。私たちはバシュラール家かオベール家の仕業だと思ってる。そのせいで業績が落ちて今アルノー家の家業はめちゃくちゃよ……。アリス、あなたさえいてくれたら……」
エマは泣きそうな顔をして続けた。
「それに……オベール家令嬢のベアトリスが、シャルル様の過去の暴力を告発して……」
アリスは目を見開いた。
「……え、今なんて?」
シャルル様が暴力など、あるはずがない。
「シャルル様は一週間前から拘置所にいるわ……。持病の薬の持ち込みも認められなくて。このままだとシャルル様が死んじゃう……!」
アリスの手は小刻みに震え出した。
「アリス、あなただけが頼りなの。私たちにはあなたしか……」
(……でも私にはもう、関係のないこと……)
アリスは俯いたまま、何も答えなかった。
「そう……そうよね。ごめんなさい。今までありがとう、アリス。私は、私たちはこれからもずっとあなたを、家族だと思っているわ」
エマはすすり泣きながら、屋敷のドアを開けて出て行った。
***
オベール家の屋敷は首都シサルピーヌの南端にあり、広大な敷地の中にある壮大な複数の白亜の豪邸から成る。ベアトリスは、バシュラール家に嫁いでから久しぶりにこの豪邸へと帰って来ていた。
「お父様、全て首尾よく進んでいらっしゃいますか?」
「うむ。お前の相変わらずの見事な演技のおかげだな」
「ウフフ、一体誰に似たのかしら?」
ベアトリスはシャルルに関する警察からの聴取を終え、豪華な調度品の並ぶ書斎で当主のヴァロンタン・オベールと祝杯を上げていた。ベアトリスは胸元の大きく開いた黒いドレスを着て、赤ワインのグラスをゆっくりと回した。二人は勝利の空気に包まれていた。
将来オベール家とバシュラール家にとって障害となりそうなアルノー家の芽は摘まれた。シャルルは持病の薬もなく、放っておいてもじきに拘置所で弱って死ぬだろう。後は裏から手を回し、一つ一つアルノー家の運営していた事業を吸収していけばいい。なぜか金の産出量が急回復したという話のムール山の金鉱も取り返せる。当主のシャルルさえいなければ、何一つ脅威はないだろう。シャルルには血を引く後継者もいない。
二人は不敵な笑みを浮かべながら、互いのワイングラスを当てた。
***
二人がグラスを交わしたちょうどその時、オベール家の屋敷の玄関では、白髪の執事が訪問客の対応をしていた。
「恐れ入りますが、アポイントがなければご当主様への面会は認められません」
「すみません、急用なもので」
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「名乗るほどの者ではございませんが……」




