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父親ルイ・エマール

本日も連続投稿予定です。よろしくお願いいたします。

 ある日の午後、アリスがアルノー家の屋敷のキッチンでポトフの味見をしている時、マテオが息を切らせて入ってきた。


「あら、マテオさん。どうかされましたか?ちょうど良かったですわ。こちらの味見をしていただきたくて。あ、今度またランコルダで牛乳を……」

「はぁ、はぁ、アリスさん、今急使が来てね……君のお父上が、倒れたそうだ。それで……」


 突然の知らせに、アリスの目の前の世界が音も無く崩れていった。


「……私、しばらく休みます!」


 アリスは右手からスープレードルを落とすと、マテオの話を聞き終わる前に、走り出していた。


***


 アリスには小さい頃から様々な家庭教師がついて教育を施していたが、小さい頃から絵を描くことだけは本当に苦手だった。見本をどれだけ忠実に再現しようとしても、思い通りの色と形にならずに七~八歳児くらいの子供が描いたような絵になってしまう。


 アリスが十四歳の頃、絵画の家庭教師が言った。


「アリス、来月全国の令嬢の絵を集めた展覧会が首都シサルピーヌであります。あなたも絵を出展する必要があるから、次こそ真面目に描いてください。でないと私の首が飛びます」


(そんなことを言われても……)


 アリスはいつだって真面目に描いていた。ただ絵画のセンスが決定的にないのである。こればかりはどうしようもなかった。展覧会のお題は、「一番好きなもの」だった。


 アリスは絵画のセンスは無かったが、客観的に物事を見るセンスはあった。締め切りまでに何度も描き直したが、アリスから見てもそれはせいぜい十歳児の絵だった。絵画の家庭教師がそれを見てがっかりしたように言った。


「あれほど言って、描き直しをさせたのに……。もう、お手上げです。あなたにつける薬はありません。このまま展覧会へ提出しましょう。でも絶対にあなたのお父様に見られないようにしてください。でないと私の首が……」

「……父は私にあまり興味がありませんので、それは大丈夫かと思いますわ……」


 アリスのピアノの発表会も、バレエの舞台も、父親のルイ・エマールが観に来た試しはなかった。アリスはいつも大好きな父親に来てほしかったが、父親は酒か仕事にしか興味がないように思えた。父親がアリスに関して興味のあるのは、「アリスが名家の爵位を継ぐ嫡男と結婚できるかどうか」だけである。父親は死んだ母親の思い出話をする時以外、いつもアリスに対して冷たく厳しかった。


「お父様、こないだバレエのコンクールで入賞いたしましたわ!」

「ば、バレリーナになるためにやっているんじゃないんだぞ。お前、ち、ちゃんと分かっているんだろうな」


 アリスはそのような言葉を投げかけられる度に悲しい気分になったが、少しでも父親と会話ができることは嬉しかった。ある日、珍しく父親からアリスに話しかけた。


「ら、来月シサルピーヌに出張がある。そういえばお、お前の絵の展覧会もあるんじゃないのか」

「あ、ええ、はいそうです、お父様」

「時間があったらか、顔を出してみよう」


(え、まさか……お父様が……)


 アリスは突然の話にびっくりした。急いで絵画の家庭教師にそのことを報告すると、彼女は絶望して天を仰いだ。


(もう終わりだわ……。次の職を探さないと……)


 展覧会の初日、アリスは絵画の家庭教師と共に会場入りしていた。アリスには、他の令嬢の描いた絵画が上手すぎてとても同年代の人が描いたものに見えなかった。アリスの絵が飾ってあるところだけ、明らかに絵のレベルが低かった。


 会場が開くと、たくさんの名家の関係者たちがやってきた。皆お目当ては自分の家の令嬢が描いた絵だったが、アリスの絵のところで必ず立ち止まると、指を差して連れと目を合わせ、口を押えながらクスクスと笑っていた。


 午後になり、閉会間近となった時だった。アリスと絵画の家庭教師はルイが来場しなかったことにほっとしていると、ルイの姿が入り口に見えた。二人は硬直した。二人とルイの目が合うと、互いに会釈をし、言葉を交わすことなくルイは会場に飾ってある絵を順々に見始めた。


 ルイは、途中アリスの絵のところで止まった。アリスは緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。ルイはじっくりと隅から隅まで絵を見ていた。絵画の横には、こう書いてあった。


(父の肖像

アリス・エマール)


 途中、他の家の関係者がアリスの絵の前を通ると、またその絵を指差してプッと吹き出して笑った。彼らが帰ろうとした時、展覧会のマネージャーに小声で話しかけているのが聞こえた。


「素晴らしい展覧会でしたわ。特にオベール家のベアトリス様の絵画は素晴らしかったです。しかし、あの幼稚園児が描いたような絵には笑ってしまいました。あの娘あっての没落したエマール家あり、ですわね」


 アリスは、顔から火を吹きそうだった。ルイはまだ黙って絵を見ていた。


 やがてルイが、杖をつきながらゆっくりと入口の方まで戻ってきた。絵画の家庭教師はルイに慌てて声をかけた。


「ご当主様……!今回少しアリス様は失敗してしまっただけで……つ、次はきっともっと素敵な絵が描けるかと!」


 ルイは絵画の家庭教師を一瞥すると、アリスに向かって言った。


「おい、そ、外に出るぞ」


 アリスは杖をついたルイと外を歩きながら、恥ずかしさと父親に対する申し訳なさでいっぱいだった。父親を公衆の面前で笑い物にしてしまった。どんな恐ろしい言葉が投げかけられるかと、身構えた。父親に怒られることは慣れていたが、この時ほど無言の父親を怖いと思ったことはなかった。


「その……お父様先ほどは……」

「アリス、ぎ、牛乳屋さんのソフトクリームでもた、食べに行こうか」


 アリスは思わず涙が出そうになった。

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