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金鉱の獲得

 取引が始まってから早や半年が経ったある日、オベール家の屋敷では当主のヴァロンタンが鉱業の担当者から報告を受けていた。ヴァロンタンは担当者から渡された、金鉱石の金純度に関するグラフを見ていた。


「それで、ムール山の金鉱石の金純度について、この急激な落ち込みの原因はなんだね?」


 ヴァロンタンは威厳のある顔をしかめながら聞いた。


「ヴァロンタン様、こちらをご覧ください」


 担当者から渡された新しい資料のグラフは、ムール山における金鉱石の金純度のグラフとほぼ同じ放物線を描いていた。


「こちらのグラフは、以前閉山した我々の北部の金鉱における金鉱石の金純度の変化を示したものです。ムール山の金鉱石の金純度減少カーブは、この閉山した金鉱末期の動きにピタリと一致します。恐らく主要な鉱脈を掘り尽くしたのでしょう。鉱山としての寿命が訪れたものと思われます。」


 担当者はグラフに引かれた一本の赤い線を指差して言った。


「この線が損益分岐点です。過去の例から言って、このまま待っていても毎月金の産出量は減っていくばかりです。半年後には損益分岐点を下回り、赤字を垂れ流すオベール家のお荷物になるかと存じます」

「ふむ、ムール山の金鉱はオベール家にとっても過去数十年に渡って大きな収益源だったのだがな。残念だ」

「さらに……ここだけの話ですが、近々違法な労働形態に関して司法のメスが入るとの噂もございます。そうすると、さらなる収益の低下は避けられないかと……」

「なんだと……!」


 ムール山の金鉱でにおける労働の実態や、未成年が働いているというのは周知の事実であったが、二十年前からの慣例となっていたことや、オベール家の威光により、これまでこの問題が表沙汰にされてきたことはなかった。


(まさか宰相のニコラ・ダヴ―が……?)


 ヴァロンタンには、思い当たる節がないわけではなかった。この国で第一位と第二位の名家が婚姻を交わし、ウジェーヌがその後を継ごうとしているのである。現宰相のニコラが脅威を感じないはずがない。次期宰相戦を前にイメージダウンを狙って動いてきても不思議はなかった。


(赤字かつ、政敵に利用される可能性がある金鉱など、持っていても百害あって一利なしだ)


「それで、対策は?」


 鉱業の担当者はおずおずと口を開いた。


「申し上げづらいのですが……早々に売却すべきだと考えます」

「フム、赤字事業になるのであれば持っていても仕方がない。お前の責任ですぐに売り抜けるのだぞ。しかし、これほど急激に収益の下がっている巨大金鉱の買い手を見つけるのは至難の業だろうな……。無知な事業者でもなければ」


 担当者がコホン、と咳払いをしてから言った。


「実は一つだけ当てがございまして……」

「ほう、どこだね?」

「アルノー家が砕石機の購入を始めているそうでございます。近々鉱業に参入するとの噂です」


 ヴァロンタンはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「でかした。新参者で事情を知らぬアルノー家にムール山の金鉱を売り抜け、間もなく赤字になるお荷物を押し付けるのだ!」

「はっ!かしこまりました!」


 数日後、オベール家の鉱業担当者は、アルノー家のアリスのところへと訪問しにきた。


「あなたが、アルノー家で一部ビジネスを担当していらっしゃるというアリス様ですね」

「はい、私はただの使用人ですが……。アルノー家は現在当主のシャルルと使用人の七名のみで切り盛りしております。オベール家とは大分違いますよね、がっかりさせたのであれば申し訳ありませんわ」

「いえいえ、いいのです。ちょっとした噂を耳にいたしまして。なんでも鉱業にご興味がおありとか」

「はい、よくご存じでいらっしゃいますね。アルノー銀行の貸出余力が潤沢にありますので、家業として新規事業を立ち上げようという話になりまして。金の価格上昇に目を付けたのです。ああ、裏庭をご案内しますわ」


 アリスは、オベール家の鉱業担当者を裏庭へと案内した。そこには大きな石の山ができていた。


「こんな状態をお見せして恥ずかしいですわ。ちょっと試しに砕石機と金鉱石を購入して、金を精製してみようとしているところなのです」


 アリスは、担当者を石の山の横に建てられた掘っ建て小屋の中へと案内し、ボロボロの中古の砕石機を見せた。


「まだ勉強中なので上手く行くかどうか……」


(アルノー家は鉱業に関してどう見てもド素人だ。これは、チョロい交渉相手だな……)


「実はですね……。金鉱を丸ごと購入されることにご興味はございませんか?」

「まぁ、オベール家が金鉱を売りに出されるのですか?」

「はい、それも最大の金鉱です。ムール山の金鉱をご存じでしょう?」


 アリスは顔をしかめて言った。


「あら、残念です。あそこの金鉱だけは興味がございませんわ」


(え……?)


 担当者は耳を疑った。ムール山の金鉱と言えば、今から金鉱を購入しようとする相手にとって喉から手が出るほど欲しいもののはずである。


「そ、それはなんでまた?」

「我々アルノー家の執事の一人が、ムール山の町ランコルダ出身なのです。今年に入ってから随分と金鉱石の質が落ちていらっしゃるとか?違法な労働がおこなわれているという話も聞きますわ」


(しまった……!オベール家外に情報が漏れていたとは……!確かにランコルダ出身の者であれば噂を聞いていてもおかしくない)


「そ、そこをなんとか……!」

「うーん、まぁ価格次第では折り合わないこともないと思いますけれど」


 担当者はゴクリと唾を飲んだ。何とかして今日アルノー家と話を付けなければ、今後の状況は悪くなるばかりであった。情報が他にも筒抜けになっていたとすると、買い手はおろか引き取り手すら見つからない可能性もある。ヴァロンタンからどんなお仕置きを受けるか分かったものではない。


「あの……おいくらくらいであれば折り合いそうでしょうか……?」

「そうですね、私が聞いた金産出量の減少具合から言って……」


 アリスは人差し指を一本立てた。


「ひゃ、百億ルークですか……!さすがにそれは安すぎるかと」


 担当者は、そう言いながらも内心ホッとしていた。間もなくの赤字転落が見えている金鉱である。昨年の評価額から考えれば激安ではあるが、今となっては全く価値もない。来年は想定通りの減少が続いた場合、十億ルーク以上の損失が出る可能性があった。閉山したとしても大量の費用がかかり、その後維持費も馬鹿にならない。


「いえいえ、さすがに百億ルークはもらいすぎです……。十億ルークですわ。あと、お使いの砕石機などの設備もセットでお付けくださいませ」


 担当者は胃がキリキリと痛み、奥歯を噛んだ。


(もっと高く売りつけてやれるものだと思っていたが、この女、案外まともに交渉してくる……!)


「わ、分かりました……。条件を飲みましょう。では、明日契約書をお持ちします。期日までに十億ルークを我々の口座へお振込みください」

「あら、お振込みいただくのは我々の口座ですわ」

「え……?」


 担当者は目が点になった。


「赤字スレスレの鉱山を引き取るのですから、当然対価をいただくことになりますわ。私もこの条件でなければ、我が当主からの承認を得る自信はございません。もし今日中にサインがいただけないようであれば、この話は無かったことに」


 アリスが立ち上がって去ろうとしたのを見て青ざめた担当者は、慌ててテーブルの上に身を乗り出すと懇願した。


「な、なんとか持ち出しの無い形にできないものでしょうか……さすがに十億ルークお支払いする形の決着となると私のクビが……!その、私、妻と幼い子供二人おりまして……」


 アリスは振り返り、担当者を同情の目で見つめると言った。


「……分かりました。それでは無償で金鉱をお引き取りする形で手を打ちますわ。我が当主もそれでなんとか説得いたしましょう」

「あ、ありがとうございますっ!!」


(まぁ、多少なりとも本来の評価額より安くこの金鉱を購入できれば我々の勝ちだったので……さすがにちょっと勝ちすぎも良くありませんからね。ここは可哀想な担当者さんに免じて。もしかしたら私って……「お父さん」に弱いのかしら)


 担当者は、急いでオベール家に戻ると、ヴァロンタンの承認を得てその日の夜中に戻って来た。


 ヴァロンタンは見返りが得られなかったことについて担当者に憤慨したものの、政治リスクを回避し、赤字事業となるお荷物をまんまとアルノー家に押し付けられたことにほくそ笑んだ。


(これで将来の政治リスクは消えた。ムール山の金鉱もこのままいけばすぐに収支が合わなくなって来年には閉山だろう。アルノー家にダメージを与えた上に、将来の赤字事業を損切りできるとは、私はツイているぞ)


 こうして、アルノー家はオベール家からムール山の土地と金採掘権、それからおまけの機材を得たのだった。

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