アドリアン対ポール
アドリアンは、サヴォイホテルのチューリップマーケットで、「チューリップの魔術師」と呼ばれていた。いつも午後一時過ぎにホテルにやってくると、皆が注目する中いくつかの銘柄に大型の買い注文をかける。その後は大体高い酒を飲んで酔っ払いながら、初心者に安物の球根を高値で売りつけたりして遊び、マーケットが閉まり対面取引だけになる午後三時頃には帰っていく。
不思議なことに、アドリアンが買い付けたチューリップの球根は翌日全て値上がりするのである。他のトレーダーたちはアドリアンにあやかろうと、アドリアンに高い酒や食事をおごっては投資のコツを根掘り葉掘り聞こうとする。その度にアドリアンはこんな風に答えた。
「昨晩の星を観たかい?それで答えは分かるだろう?」
「今朝蝶を見たんだ。その羽根の動きをよく観察したら今日何を買うべきか分かったよ」
聞いている側はなんとか内容を理解しようと努め、さらにアドリアンへの崇拝を強めるのだが、結局アドリアンの話していることを真似しようとしても無理だった。アドリアンは適当な嘘を並べていただけだったからである。
(ここにいるのは本当に馬鹿ばかりだ)
国中でチューリップ熱が高まるのに従い、アドリアンの儲けも加速していった。アドリアンは通常一日に数百万ルーク、多い日には数千万ルークという大金を稼いだ。大元の資本を出したバシュラール家に一定の割合を納める必要があったが、あまりに儲けの額が大きかったため、大半の儲けはごまかして自分の懐に入れていた。アドリアンは人生楽勝だと思っていた。
風向きが変わったのは、正月をまたいで翌年になってからだった。
「お兄さん、悪いことは言わないから、このテーブルには座らない方が……」
ポールは年初にサヴォイホテルのチューリップマーケットが開く日、スーツ姿でサヴォイホテルを訪れていた。ポールは周りの人々が止めるのを聞かず、チューリップの魔術師アドリアンがいつも座っている、一番手前のテーブルへと腰を掛けた。ここからは黒板に書かれた球根の価格情報が良く見える。普段はアドリアンから怒られるのを恐れて誰もが避けるテーブルである。暫くすると、黒い眼帯を付けたアドリアンがそのテーブルにやってきた。アドリアンは、ポールがいつもの自分の席に座っているのを見て言った。
「おいてめぇ、そこが誰のテーブルか分かって座ってんのか?」
ポールはアドリアンをチラリと見ると、ニヤリと笑ってみせた。
「ん?空いていたので座っただけですよ。」
「……チッ、まぁいい。お前は運が良かったな。俺様の気分が良いから今日のところは許してやろう」
アドリアンは同じテーブルの向かいの席に腰をかけた。また今日から荒稼ぎが始まる――手始めに年末に豪遊した分を取り返すとするか。アドリアンはそんなことを考えてニタニタと上機嫌で笑っていた。
アドリアンが黒板に大きく書かれたチューリップの価格を確認しながら、チラリと目の前の男を見ると、どこかで見たことのある顔だということに気が付いた。こいつは前年に安物の球根を高値で売りつけた男、ポールではないか。
(あの小僧、また懲りずにカモられにやってきたのか?馬鹿な奴だ)
「よぉ兄ちゃん、良いチューリップの球根が手に入ったんだ」
アドリアンはまた遊びで安物を高額で売りつけてやろうかと思い、ポールに声をかけた。ポールは片手でワイングラスを回しながら、もう一方の手でアドリアンを制止して言った。
「今日の分は買いましたので大丈夫でーす」
ポールはアドリアンに対しニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
(この間抜け面が……)
アドリアンはむかっ腹が立ったが、相手にせずマーケットでの取引に集中することにした。いつもと同様、アドリアンは買う銘柄に絶対の自信があった。初日の買い付けを終えると、アドリアンはホテル最高級のステーキをいただいてからマーケットを後にした。
しかし翌日……アドリアンの買った球根は全て値下がりした。こんなことはアドリアンにとって初めてだった。
(そんな馬鹿な……!一体なんで……?)
翌日も、また同じことが起きた。ポールはアドリアンの定位置に不敵な笑みを浮かべながら座っていて、アドリアンが買った球根は全て翌日値下がりした。次の日も、またその次の日も同じ展開だった。
唯一の違いとしては、ポールが日を追うごとに羽振りが良くなって高い酒を飲んでいる、ということだった。高級ワインのボトルを並べて、周りのトレーダーたちにも大盤振る舞いで酒をおごっていた。一方のアドリアンは負けを取り返そうと日に日に購入額が増えていき、徐々にドツボにハマっていった。ポールは「チューリップの秘術師」を名乗り始め、「チューリップの魔術師」アドリアンを挑発した。
ある日、ポールはアドリアンの元の定位置に座りながら、近くを通ったアドリアンに向かって言った。
「おーい、ドリアンさん」
「ああ?!俺様はドリアンじゃねえ、アドリアンだ!」
「ああ、まぁどっちでもいいんですが……今日あなたが買おうとしている銘柄を当ててあげましょうか?」
アドリアンは顔をしかめた。一体なんなんだこいつは。
「副王、将軍、提督」
副王、将軍、提督とは、それぞれチューリップの銘柄の名前である。仰々しい名前を付けて何やら立派な雰囲気をチューリップの銘柄に持たせるというのが当時流行っていた。アドリアンは手元のメモを見た。アドリアンは目を丸く見開いた。
(……馬鹿な。こいつ俺が買う予定の銘柄をなんで知っていやがる……!!)
「やっつけてやんよ、チューリップの魔術師さん」
ポールはアドリアンにビシッと人差し指を向けて言った。
「この野郎ォッ……!!おいお前ら、こいつをつまみ出せ!」
アドリアンは頭に血が上ってポールの胸ぐらを掴み、周囲の男たちに声をかけたが、なぜか今まで自分を崇拝していた周囲のトレーダーたちが、手のひらを返したように止めに入った。彼らにとって、僅か数日でポールが新しい崇拝対象となり、アドリアンは過去の人と化していた。
近くでトレーダーたちがヒソヒソと話をしていた。
「時代はチューリップの秘術師、ポール様だよなぁ。気前よくおごってくれるし」
「チューリップの魔術師アドリアンなんて古い古い。もう何連敗してるんだあいつ?今まで偉そうにしやがって。ムカついてたんだよな、俺」
翌週になってアドリアンが気付いたのは、「どうやらあのアホ面の男は俺の前に俺が買う銘柄を買っているらしい」、ということだった。大規模な買いが入れば価格は上昇する。そこで後からやってきたアドリアンは同じ銘柄を高値で掴まされていた、ということである。
「いや、そんなこと……絶対にあり得ない」
アドリアンは独り言をぶつぶつと呟いていた。アドリアンの手口は完ぺきのはずだった。この男が来るまで……昨年は全てが上手くいっていたのだ。サヴォイホテルのマーケットでは、またポールが同じテーブルに座っていた。顔を見るとハラワタが煮えくり返るので、無視して通り過ぎようとした時だった。
ポールはワイングラス片手に脚を組んで椅子にふんぞり返りながら、口笛を吹いていた。アドリアンはテーブルを通り過ぎたところでピタリと止まった。そのメロディには聞き覚えがあった。
(ポッポッポ……ハトポッポ……!)
アドリアンは突然、身体の芯が氷で冷やされたように感じた。身体が強張り、アドリアンの目は素早く瞬きを繰り返した。アドリアンはこの時確信した。
(間違いない……!こいつ……俺様の手口を知っている……!!)




