全財産を賭けた大勝負
二人がシンシティパレスへと戻って来た時、アルノー家のメイドが全財産を賭けた一点賭けルーレットの大勝負をするという話が国中を駆け巡っていた。街に戻った際にエマがアルノー家と旧知の記者に書いてもらった新聞記事が、凄いスピードで飛び火していったのである。
記事によると、エマは身の回り品を全て質に入れ、銀行から全ての預金を下ろし、さらに積み立てていた保険も解約していた。借金も信じられない額を限度まで引いたらしい。服も全て売り払ったため、下着の上にアルノー家から借りたメイド服を着てシンシティへと乗り込むのだという。
「すげー気合いの入った奴がいたもんだ」
「負けたらどうするんだ?服も持ってないんだろう?裸で物乞いでもするのかな?」
「借金までしてるって話だぜ?」
国中はアルノー家のメイド、エマの話題で持ち切りとなった。その後エマの写真が新聞で取り上げられると、さらに話題に火が付いた。
「エマってメイド、かわいいじゃん!」
「なんか応援したくなっちゃうよな」
「俺シンシティまで行って応援するぞ!」
シンシティパレスの支配人は、驚きのニュースを知って喜んでいた。
(これはたくさんのお客様が見込めるぞ!大々的にピーアールしよう!)
支配人はエマの部屋を訪れた。部屋にはエマとアリスがいた。
「いやぁ、新聞で拝見しました。凄い度胸ですな。我々のホテルはベット額無制限をウリにしております。どうぞ限界までベットくださいませ。こちらも最大限ピーアールさせていただきます。それで、ご勝負はいつに?」
エマが口を開いた。
「来週末の土曜日、夜九時にいたしましょう。一番盛り上がる時間帯に」
エマはアリスに言われた通りの時間を答えた。支配人は、部屋を去りながら思った。
(たかが貧乏そうなメイドだ。せいぜい賭けたとしても一千万ルークが関の山だろう。その程度であれば仮にメイドが勝ったとしてもホテルの損失も知れたものだ)
エマはその日、アルノー家の皆とディナーの席を囲んでいた。執事とメイドの面々は口々に賞賛と驚きを持ってエマに話しかけた。ポールが目を真ん丸にして聞いた。
「エマ、どうしたってんだ!?気でも狂ったのか?」
「うふふ、ちょっと勝負してみたくなりまして」
希代の勝負師を自任していたポールは、自分を超える勝負師の存在を目の前にして畏敬の念を覚えた。
「エマ、大丈夫なのかい?無一文になっても寝るところと食事に心配する必要はないからね」
シャルルが心配そうに言った。エマは言った。
「大丈夫です。必ず勝ちます」
ポールはその自信満々のエマの返答に心底痺れた。憧れの気持ちで瞳をキラキラさせながらエマを見つめていた。
エマはヒーローになった気分だった。ただ、「勝ちます」と言ったものの、アリスの言われた通りにしているだけで、どうやって勝つのかはまるで分からなかった。まぁ、アリスが言うなら間違いないのだろうと漠然と考えていた。
翌日、世の中のあらゆることを賭けにするブックメーカーが「エマが勝つ」「エマが負ける」という賭けを公開するやいなや、外馬に乗って盛り上がりたい野次馬たちが殺到し、大金を賭けた。多くの人がエマに自分の姿を重ね合わせて応援した。
ホテルには新聞の取材班が殺到した。エマは連日連夜取材を受け、そのニュースが全国を駆け巡った。エマはいつも自信満々に「絶対に勝ちますわ」と答えた。シンシティパレスは勝負の一週間前からの日程で予約がいっぱいになった。
シンシティパレスの支配人がホクホクとした顔でそろばんを弾いていると、カジノフロアを担当するホテルマンがノックもせずにドアを凄い勢いで開けて入ってきた。
「た、大変です支配人!」
「なんだ、ノックもせずに。どうしたんだね?」
「エマの賭ける金額が発表されました……十億ルークです」
「……なんだって!?ただのメイドがなんで?」
支配人は目が点になった。
(仮にアルノー銀行が身内のギャンブルに資金提供しているとなれば、アルノー家全体のイメージダウンは避けられないし、それはさすがに無いはずだ。一体どこから出てきた金なんだ?)
「賭け金のニュースが発表されてから、シンシティ中のホテルが、勝負の一週間前からの日程ですぐにいっぱいになりました。当日とんでもない人数が押し寄せると思われます。法律に従って近隣の町から警備員を急遽大量にかき集める必要があるため、警備費用もとんでもないことに……」
支配人は客室が埋まってホテルにもたらされる売上など、この世紀の大勝負に比べればごくごく小さなものであることにその時気が付いた。当然警備費用で赤字になる。仮にエマが勝負に負けて十億ルークがホテルに入ったとして、一体ホテルにいくら残るのかも分からなかった。もしエマが勝ってしまったら追加で十億ルークかかるため、もう最悪である。
「さらに追加費用として……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、今考えている」
支配人はさらにある考えに行き着き、その顔は徐々に青ざめていった。
「エマは『一点』賭けと言っていたな?どこに賭けるか言っていなかったよな?」
「はい、言っていなかったかと……」
「ルーレットの最高倍率は何倍だったっけ?」
「三十六倍です」
支配人は喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてくるのが分かった。十億ルークを三十六倍に賭けられて、もし当たってしまったら一体どうなるんだ?クビどころの騒ぎではない。バシュラール家から損害賠償請求されて人生破綻する。シンシティパレスがベット額無制限をウリにしていたのは、そんな狂った大金を高倍率に一点賭けするような馬鹿が現れるはずがないと誰もが信じていたからだ。
「……中止だ!すぐに中止!」
「もう無理です支配人!とっくに全国にシンシティパレスの名前でプレスリリースが出ています!」
支配人の視界の外側から暗黒が押し寄せ、ふらりとよろめいた。
「まさか、エマの奴は……イカサマするつもりじゃないだろうな?」
「そこは、大丈夫でしょう。大衆の面前ですし、我々カジノのルーレット台は同じ力でボールを射出しても数字に偏りが出ないように設計されています」
「……一体全体、何でこんな馬鹿げた賭けをしようと思ったんだ……」
支配人は、この謎めいた人物エマの不気味な行動が本当に理解できなかった。途方に暮れたまま、勝負までの日々を過ごしていった。




