神様なんていない ~病院で怒りの顔芸~
早々にお母さんのリハビリが始まった……けれど。
口を大きく開けたり閉じたり、手をグーにしてパーにしたり、ベッドから体を起こしたり。
え?……何なの……そんな事は誰にでもできて当たり前だよね……何をやっているの。
リハビリさんと一緒に笑っているけれど、お母さんを馬鹿にしているみたいだ。
次はお母さんが疲れない様に車椅子に乗せて、リハビリのお部屋を見学に行く。
うおっ、色々な人がいるぞ……手や足の無い人もいるし、喋り方が変な人もいた。
やっている事は、寝て体を動かしていたり、立ったり座ったり、玩具で遊んでいたり。
こんな風に遊んでいるだけなら、ボクでもできそうだけど……これが、リハビリ?
そして病室に戻ると、車椅子のままでボク達とお話。
笑顔で話しているけれどリハビリさんとは、特に難しそうな事はやっていなかった。
手足の無い人なら大変かもしれないけれど、お母さんなら簡単にできていた事。
これは退院が近いって考えて良いのかな……それなら別に良いけどさ。
ボクはお母さんの横で、前に貰った折り紙で折鶴を折ってみる。
……折り方を忘れた。
「違うわよ、最初は三角に折るの」
お母さんが見ていてくれるから、教えて貰って何とかできそうだ。
ただ折るだけではつまらないので、ボクは折り紙に色々な願いを込めて書いてみた。
『なおりますように』『もとどおりになりますように』『かえれますように』とか。
お母さんには上手に文字が書けたものを渡して、折り紙を一緒にやる事にした。
三角に折って、更に三角に折って、袋みたいにして、中心に合わせて折って……
少し不恰好だけど、何とか『折鶴』が完成……うん?
一緒に折る事にしたのに、お母さんの様子が何だかおかしい。
お母さんが上手く折り紙を折れていない。
ボクに教えてくれたから折り方は分かっている筈なのに、手や指が思い通りに動いていない。
お母さんは苦笑いしているけれど、何でボクでもできる簡単な事ができないのか分からない。
頑張っているみたいだけど、何でもできていたお母さんなのに……できない。
意味が分からずに固まっていると、リハビリさんが様子を伺いに来た。
「大丈夫、ゆっくりとやりましょう」
「大丈夫じゃないよ、治ってないよ、手が上手く動かないもん」
「そう、だからリハビリを頑張るの」
リハビリさんの『できない事が当たり前』みたいな反応に理解ができない。
できて当たり前の事なのに、お母さんも、皆も、当たり前のように受け流している。
『何で?』と意味が分からず、ボクの頭には『?』マークが飛び出ている気分。
ここは怪我をしても、病気で熱が出ても、治す為の病院だよね?
お医者さんに診てもらったから、もう当たり前に動ける訳じゃないの?
何の為にお医者さんに診てもらって、何の為に病院に来ているのか分からない。
「ちゃんと動かないなら、ちゃんと治さないと駄目じゃないの?」
「だから、これからリハビリをして……」
「魔法みたいに直ぐ治らなくても、リハビリで元通りになるんだよね?」
「ケンジ、どこまで回復するのかは頑張ってみないと分からないだろう」
「どうして分からないのさ、本当に頑張れば元通りになるの?」
「静かにできないなら、次から病院に連れては来れないぞ」
ボクとリハビリさんの話に、お父さんが割り込んでくる。
皆して何だよ、まるでボクが悪者みたいじゃないか。
お父さんの『てっぷりお腹』の体型をモデル並みにして欲しい訳でもない。
お兄ちゃんの運動ばかりの『脳筋頭』を東大生並みにして欲しい訳でもない。
お母さんを物凄く良くして欲しい訳でもなくて、ただ元に戻して欲しいだけ。
沢山の人を治して欲しい訳じゃなくて、お母さん一人を治すだけで良いんだからね。
リハビリさんが返答に困っている事ぐらいは分かるけれど、困っているのはボクの方だよ!
何なのさ、何でできないのさ、『イライラ』する……本当に『イライラ』する!
「ここは治す場所だから、治してって言っているだけだもん!」
「できるだけの事はして貰ったから、だからこそ生きているんだぞ」
「生きているだけなら、誰だってできるもん!」
お父さんに片手で顎から『むんにう』と掴まれて『ひょっとこ』みたいな顔になる。
いきなり容赦無く強制的に何も言えない状態にさせられるのは、どう考えても理不尽だ。
お母さんは手も足もあるのに元通りにできないって、お医者さんってお馬鹿なの?!
知らない、できない、分からない人が相手ならボクだって頼まないよ!
今のお母さんの頼れる人がお医者さんだけだから仕方ないじゃん!
元通りに動かないなんて、本当に何もできていないじゃん!
して欲しい事ができないお母さんじゃなかったのに!
山ほどにある言いたい事は置いておいて、まずは『じたばた』して振り解く。
露骨な不満を顔に溢れさせてボクは睨み合う……すると、お父さんが静かに言う。
「そんなに不満なら、嫌いな勉強もして、お前が医者になれ」
「嫌な事してまで治せないお医者さんなっても意味無いじゃん!」
ボクが吠えると顔を掴まれて、またも強制的に静かにさせられた。
お母さんを元通りにしたいだけで、お医者さんになる気は全く無いもん!
好きでもない勉強をしても、何一つ意味なんて無いじゃんね。
したくもない事を頑張るより、したい事だけ頑張れば良いじゃん。
そんな大変な事までして、お医者さんになれなかったら笑えないよ?
なりたくもないお医者さんへの、やりたくもない努力って馬鹿じゃん。
成りたい人がやれば良いだけし、きっとどうせボクは成れないもん。
それにボクがお医者さんになっても、治せるかどうかも分からないでしょ。
ボクよりも賢い誰かがやった方が、治せるお医者さんになれそうだもん。
やりたい事だけやって、やりたくない事はやらなくて良いじゃん!
ボクにはできないから、仕方がないじゃないか!
ド至近距離での無言の顔芸で、お父さんに伝えようと頑張る。
「大丈夫よぉ、自分の事だもの、何とかしてみせるわ」
ボク達のやりとりを笑顔のままで淡々と見ていたお母さんが口を出す。
そういえば、お母さんは車椅子で移動しているけれど、どこまでできるのかなぁ?
聞いてみたかったけれど、お母さんの笑顔を見ていたら……今は聞かない方が良い気がした。