面倒臭いものは面倒臭い ~笑顔のお母さん~
病院に着くと、お医者さんも看護師さんも待っていた。
救急車から院内に運び込まれ、お母さんは状態の確認と検査に連れて行かれた。
結局、此処でもボクには何もできる事はなくて、ただ一緒にいて見守るだけ。
『ご家族さんが来るから』との事で、ボクは待合の場所で時間が過ぎるのを待つ。
誰かの声が聞こえると、何となく覗き見る。
看護師さんが気にかけてくれるだけで、知っている人は誰もいない。
これは『夢じゃないか』と思って、とりあえず何かの本を手にしてみた。
『お父さんやお兄ちゃん、お母さんも来てくれるかも』
僅かな期待の中でページを捲ってみるけれど、周囲の小さな声まで気になって何も頭に入らない。
このやり取りを繰り返し、繰り返し……ただ繰り返した。
遠くから聞き慣れた声が聞こえた気がする。
声の主を探して見ると、そこにはお父さんとお兄ちゃんがいた。
二人を掴んで少し安心するけれど、不思議と涙が止まらない。
気が抜けたからか、それともお母さんと離れているからなのか。
ボクの中で初めて『安心』と『不安』が同居していた。
担当のお医者さんに家族が呼ばれて、皆でお母さんの症状の説明を受ける。
話の内容はボクには良く分からないけれど、できるだけの事はして貰ったらしい。
今のところお母さんは眠っているけれど、目を覚ましてから細やかに対応するみたい。
お父さんもお兄ちゃんも感謝しているから、ボクも一緒に頭を下げて感謝を示す。
ボクの頭に手を乗せて大きく息を吐いたお父さんは少し笑顔……だけど。
その手は少し、震えていた気がした。
「お母さん、頑張っているからね」
看護師さんがボクに声を掛ける。
どのように何を頑張っているのか分からないけれど、とりあえず頷いた。
話は終えたようで『家に帰ろう』と言われたけれど嫌に決まっている。
お母さんが一緒じゃないのに意味が分からない。
明らかに面白く無い不貞腐れた顔で、俯いて小さく抵抗してみる。
『居ても何もできないから』と言われたら……そうなのかもしれないけれど。
お父さんやお兄ちゃん、ボクがいても何も変わらない現実がある。
ボクが疲れていると思われて、お父さんに抱き上げられた。
ベッドに眠っているというお母さんを一目だけ見る。
そこは、集中治療室。
お母さんが寝ているけれど、何だか別人みたいだ。
色々な機械も動いていて、空気が張り詰めている感じがする。
他の人達も、体からチューブや器械が出ていて人じゃないみたいだ。
そんな同じ室内の人を見ると、お母さんも大変なのだろうとは感じられた。
転んで擦り剥いた時みたいに痛い感じなのかな、咳や熱が出て辛い感じなのかな。
食べ過ぎて気持ち悪い感じなのかな、今迄のボクでは理解ができない感じなのかな。
何となく手を伸ばしてみるけれど、お父さんに頭を『ぽんぽん』とされて離れていく。
本当に大丈夫なのかな、寂しくないのかな、ボクには何もできないけれど。
『頑張れ、お母さん』
病院から見上げた空には、お月さまもお星さまも出ていた。
いつものお父さんの車に乗り込むと、静かに病院を後にする。
いつもの臭いがする車内なのに、空気が重くて言葉が出ない。
窓の外には街の灯が流れ、いつもの満ち足りた世界みたいだ。
ボクだけが、今でも現実離れしている感覚なのかもしれない。
『お母さんがいない』事への実感が湧かないけれど、お月さまのように何か欠けていた。
「……お母さんが生きていて良かった」
お父さんが絞り出すように小さく呟いた。
お兄ちゃんもボクも小さく返すと、お父さんが堰を切ったように話し出す。
ボクが一緒にいて良かったとか、待合に面白い本はあったかとか、お医者さんが無愛想とか。
一緒にいても何もできなかったボクだけど『居るだけでも良かった』と言われて、少し『ほっ』とする。
あまり暗い話にならないように、お母さんの事ではない話で膨らませていく。
どうやら担当のお医者さんは、評判の『名医』で魔法のような技術を持っているらしい。
ゲームのように特別職の人なら『魔法が使えるかも』と思うと少し『ワクワク』だ。
道中でお父さんが夕食と朝食を買うとの事で、近所のコンビニに立ち寄る。
ボクは気持ちが悪くて、少しばかり車内で横になった。
そして家に着いたけれど、いつもと違う家がある。
真っ暗な玄関を鍵で開けて、とりあえず明かりを付けていく。
『おかえり』の声が無くて、物音一つしない『ひんやり』とした空気。
寂しさを紛らわせるようにテレビを付けるけれど、別に見たい番組はない。
部屋着を見つけて着替えると、いつものように服はそのまま脱ぎ捨てる。
やっぱり面倒臭いものは面倒臭いもん。
お母さんに見られたら怒られそうだけど怒られない……怒られないけれど、嬉しくもない。
今日の夕食として、大好きな唐揚げのお弁当とペットボトルのお茶が机に並ぶ。
それなりに美味しい筈なのに、何故か美味しいという感覚がいまひとつ。
今日の事で皆も疲れているのか、シャワーだけ浴びて休む事にする。
声をかけてベッドで寝ようとする……けれど、全然眠れない。
仕方なくお兄ちゃんのところに乱入するけれど、一緒にいてもお兄ちゃんも眠れない。
仕方なく一緒にお父さんのところに乱入するけれど、一緒にいても皆も眠れない……あぁ。
とりあえず、疲れてはいるから目を閉じていれば自然と眠れるだろう……たぶん。
皆の寝息が聞こえてきた……凄いや、ボクが最後まで起きていたぞ。
それでも、もう少し、もう少しだけ、眠れそうにない。
買い物に行って『笑って別れたあの時』の、あの時の光景が忘れられないんだ。