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ボクにできることは ~言葉にならない想い~

 「お母さん?」

 お母さんが固まっている。

言葉に反応もせず、視線も動かさず、全く微動だにせず。

丁寧に大きく書いたつもりだけど、下手過ぎて読めないのかもしれない。

本を沢山読んで勉強はしたけれど、文字を綺麗に書く勉強はしていないもん。

何となく恥ずかしくなって、文字を書いた折り紙を丁寧に折っていく。


「お医者さんが命を救うまで頑張ったんだからね、ボクは体が動くまで頑張ってみせるよ」

 それが簡単でない事は、ボクにも分かっている。

それでもお医者さんと同じで、そこに『諦める』という選択肢はない。

やらずにできない事と、やってできない事では、そこにある結果は同じでも意味が違う。

変わらない可能性と積み上がる可能性、それはボクの中で消える事が無く偶然ではない必然の知。

その想いと学びと経験には勝敗も無く、広い学びは応用力が、深い学びは基礎力が、この身に宿る。

今は何も無い暗闇の世界でも、得られた知識は一つ、また一つと光を灯す。


「だから、大丈夫だよ、無理なんか、しなくたってさ」

 お母さん一人が耐えなくても、悩まなくても、背負わなくても。

そんなに無理をして頑張らなくても良いぐらいボクが頑張るから大丈夫。

まだ家にもボクの知らない本の山があって、ボクに知識を与えてくれるんだ。

家には本棚があって、学校には図書室があって、地域にも図書館があって。

その溢れる本に想いがあるのなら、きっとボクを支えてくれるものだよ。


子供なりに丁寧に折られていく折り紙は、想いを固めるように形を創りあげる。


「ボクが、いつか、何とか、して、みせる、もん」

 学んで、経験して、失敗もして、新しく積み重ねられていく。

何より今も働いている人達が沢山いて、ボクの知らない知識を持っている。

今日も自分の中に新たな一枚を書いたカタチの無い本が、誰の中にもあって。

それは『願いが叶え』と魔法の本に変わる時を待っているのだから。

お医者さんも、お父さんも、お母さんも、きっとボクにだって。


「誰も治せないならボクが治すんだ、お母さんだけのお医者さんになれるまで、もう少し待っててね」


大丈夫だよ、頑張るお母さんが笑っていられるようにしてみせる。

大丈夫だよ、ボクは、ボク達の為に頑張れるお母さんの子供だもんね。

大丈夫だよ、いつかボクが頑張って治すから、治すまでボクが頑張るから。

大丈夫だよ、ボクの頑張りでカタチの無い魔法の本が厚みを増していく。

大丈夫だよ、千羽も鶴は無いけれど、願いを叶える為の想いを込めて。


少し『くしゃくしゃ』でも、稚拙な希望が刻まれた鶴が折り上がり、その小さな手の上で翼を広げた。


ほら、できたよ、お母さん。



「     」



 お母さんが笑顔で泣いている。

その今までの頑張りの何もかもが、辛くても、辛くても、ただ辛くても。

見上げた先には、それでも笑顔で懸命に頑張っていたお母さんがいる……けれど。

いつもと何も変わらないけれど、ボクの初めて見るお母さんがそこにはいて。

声にならない言葉と感情が、ボクを痛い程に抱き締める。


色々な感情が、笑えない笑顔から流れ、溢れていた。


 どれ程にそれが、怖くても、痛くても、苦しくても。

その感情は、見せられても、言われても、泣かれても、何も変えられない。

どうしようもできないお母さんの姿は、何もできない子供にとっては困るだけでしかないから。

見せないようにと隠していただけで、大人でも怖いし、痛いし、苦しいし、辛いのは変わらない。

それでも大切な人なら平気でいられないし、やるのは自分しかないと分かってもいるから。

どうしようもない感情を吐き出して見せられるのは『神様』ぐらいしかいない。


 今のお母さんを見ているボクは、奥が痛いけれど涙は溢さない。

もう片方の震えるボクの手は固く握り締められて『今は泣く時じゃない』と教えてくれる。

目の前の今、初めて感じた今、心が震える今、初めて奥深くに刻まれる、何か。

絶対に忘れられそうにない『今』という経験、コレは一体何だろう。


お母さんは雑に顔を拭き捨てると、そこにはいつもの笑顔が戻っていた。


「もう大丈夫、お母さんは、まだまだ頑張れるわ」

「で、でも、できていた事ができないって辛いと思うから、無理しなくてもボクが頑張るから」

「それなりの年齢になるとできない事なんて増えていくのよ……でもね、それが辛くない訳じゃないの」


「だからね、待ってるわ」


 お母さんからの期待された言葉の裏側には『期待せずに』という言葉も隠れて見える。

期待する気持ちが無いのではなく、何かをさせようとせずにさせてくれていたから。

やらなくてもいい、忘れてもいい、嘘だとしても笑い飛ばすだけかもしれない。


……病院を後にする時も、帰りの車の中でも、ただボクは前を向いていた。


「格好良かったぞ、ケンジ」

「……うん……」

「『覚悟』を決めたような良い顔をしているな」

 撫でられても前を向いたまま動かずに答えたボクは、今の気持ちに気付かされる。

ボクの事はボクも良く分かっているつもりで、少しの事でもボクの気持ちは簡単に折れるんだ。

今だって『やりたい』事でも『できる』事でもないから『やらなくてもいい』と言われたら考えてしまう。

義務でもなく、面白くもなく、自信もなく、面倒臭いし、責任は重いし、大変な事は容易に分かる。

早く諦めて気楽でいたい、適当に冗談で済ませたい、子供だから逃げ口上は山ほどにあるもん。

できる事から始めて、今もできる事を積み重ねている名医のお医者さんでもできない。

考えれば考える程に、都合の良い事なんて『できもしない』無意味な戯言。


 それなのに、ボクは前を向く。

あの景色も、あの言葉も、あの痛みも、ボクの知らなかったもので消える事はないだろう。

言葉は聞いた事もあるし、だから知っているし、意味も分かっているから問題ないと。

そう思って理解していたつもりの『覚悟』をボクは初めて体験したみたいだ。


あぁ、ボクの中には、ボクの知らないボクがいたらしい。


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