何もできない魔法使い ~ボクは学び翔る~
「お母さんが無理をしないように、頑張れる手伝いをして欲しい」
いつも通りに車で家に帰る道中、お父さんの言葉を聞いて今のボクにできる事を考える。
お母さんが倒れるより前は、お父さんは仕事で支えて、お母さんは家を守っていた。
それがあって、お兄ちゃんはスポーツを、ボクは絵本に埋もれる状況が成り立つ。
そんな子供のボク達に与えられていた『やりたい事がやれる』環境は一変した。
これは今と昔を比較して、幸か不幸かと言われたら不幸なのだろう。
前に比べたなら、ボクが環境的に厳しいのは事実だもん。
それでもお医者さんの言うように『ボクのお母さん』は頑張る事ができている。
病気になったお母さんは、可能性を信じてリハビリを続けている。
お父さんは、仕事だけじゃなく、買い物や料理もして、家族を支えている。
お兄ちゃんは、お父さんの家事やお母さんの手助けもして一緒に支えている。
ボクは大人みたいな事もできないし、力も無ければ体も大きくない。
何もしてこなかったボクに、一体何ができるのだろう。
家に戻ると、いつもお母さんに言われていた様に、山積みの絵本を片付けてみた。
お父さんもお兄ちゃんも、今までより色々とやっているから、ボクはボクの事をやらないと。
今迄のボクは、好きな事だったり、できるものだったり、ボクなりにやっていれば良いと思っていた。
それでも何もしないよりは、やれる事は増えるけれど目的が達成される事に直結しない。
今のボクは『お母さんの為に何かできるようになる』というものが欲しいんだ。
ボクのできる事といえば、本を読む事……今のボクができている数少ない一つ。
だからこそ、今迄の絵本ばかりではなく、難しい本ばかりの本棚にも手を伸ばしてみる。
『読めない』『価値も分からない』『大切にできない』とでも言いそうな分厚い本達。
そんな腕組みで待ち構えているような本を前に何とか踏ん張りながら向き合う。
何もしなければ変わらないから、これから何かができる手懸りを掴みたい。
『どんな本があるのか』と見上げていると空いているところがあった。
……すると、足に『こつん』と何かが当たる。
それは、家庭の医学の本と、難しい言葉や漢字も分かる国語辞典。
その分厚い本を開いてみると、それは挿絵が少なくて文章ばかり。
病名や体の各部位でも専門用語ばかりで、面白いところは何もない代物。
難しい本が読めるのは、大人だから、お医者さんだから、そんな理由じゃない。
幼稚な『ち』から、一般的な『血液』、専門的な『血液の構成要素』まで理解できる為に必要なもの。
それは年齢や肩書じゃなく、ボクでも得られる読む事や理解ができる為の情報と知識だ。
これらは必要としない人には、要らないものでしかない。
ゲームの魔法使いが、戦わずに最初の町から出ないのと同じ。
魔法使いとしての知識や経験も必要が無いから、村人と変わらない存在。
そのまま『何もしないまま』でいるのなら、何もできないし、何にもなれない。
子供のボクに与えられた知識は、ボクだけのものじゃない誰もが持つべき知識。
このままでは与えられた言葉を話す村人と、ボクは変わらない気がする。
与えられたのは得たい知識じゃない、得たいなら得ようとしないと得られない。
調べれば難しいだけで、読めない訳でも、分からない訳でも、できない訳でもない。
面倒でも、読んで、調べて……飽きても、読んで、調べて……理解できるまで、読んで、調べて。
少しずつ積み重ねられていく知識は魔法のようで、読めなかった書物も理解できるようになっていく。
そして読めるようになると、分からなかったところの更に分からないものまでみえてくる。
それは算術で九九を先に覚えたようなもの。
乗算除算どころか加算減算、記号の意味すら分からないとしたら意味はないだろう。
『りんごをひとつとふたつをたすとみっつになる』という話だけでも覚えられる事は多い。
りんごという存在、物の数え方、たすという加算の言葉、算術の結果などが分かる。
漢字などの読み書き、他の助数詞や数式、成り立ちや伝来も興味があれば学ぶだろう。
簡単な事をせずに難しい事を覚えただけでは、できる事が増えただけで理解とは違うもの。
つまり、どのような知識も手段であって、活かす事ができて意味を持つという事だ。
ボクは与えられた情報や知識だけを覚えてきた。
興味で『想像力』を広げたなら、学べる事も学ぶべき事も無限にあるのに。
できている事ばかりしていたのなら、問題無くできるのは当たり前に等しい。
できていない事から何もせずに逃げてしまえば、何もしなかった事が積み重なる。
できる事できない事を理解しながら、その全てを積み重ねたものでボクができあがる。
全て好きな事、やれる事だけで積み重ねたら良いじゃないかと言いたいけれど。
お父さんが、仕事が大嫌いで支えたくないと言われたら、何もしなくても良いだろうか。
お母さんが、頑張りたくないから諦めたいと言われたら、何もしなくても良いだろうか。
お兄ちゃんが、楽しくないからしたくないと言われたら、何もしなくても良いだろうか。
ボクが、やりたくないから何もしたくないと言われたら、何もしなくても良いだろうか。
もしかしたら、したくない事はしなくても生きていける人もいるかもしれない。
誰かの、何かの、優しさや良心に縋り、何もしなくても生きられるかもしれない。
何も見出せず、得意不得意も分からず、期待もされずに生きられるかもしれない。
『思い通りにならない』と泣き喚いて、我儘を通しても生きられるかもしれない。
自分のできる事だけをして、優しい人に助けられて、不満があれば喚き散らす。
……これでは子供である今のボクと何も変わらないなぁ。
それでも好きな事を頑張る事を悪いとは思わないし、寧ろ良かったとも思う。
ただ、今のボクには与えられているだけじゃ足りない。
分からないではやりたい事もやれないから、できるようになりたい。
先ずはお父さんの言う、お母さんが無理をしないように頑張れる手伝いを。
お母さんの本当の笑顔を取り戻すんだ。
落ちていた難しい本も読み進めると、魔法みたいな知らない知識が頭に流れ込む。
まだまだ足りないと腹這いで眠気と闘いながら、雲の上でも本を読む。
……そういえば、どうして本が落ちていたのかなぁ?