何もできない魔法使い ~かもしれないのに~
「お母さんを見に行こうか」
お医者さんも一緒に、お母さんの様子を見に行く事になった。
車椅子のお母さんが、見守られながら棒を持って立とうとしていた……けれど。
ボクでもできる『立つだけ』の事だけど、その後ろ姿は『プルプル』として危なっかしい。
そんな事に笑顔も無く、真剣な姿を見せるお母さんを見て、心配と苛立ちの中で不思議にも思う。
「……どうして『できない』のかなぁ……」
「どうして、お母さんは『できる』と思えるのかな?」
小さく漏れたボクの言葉に、お医者さんが小さく言葉を被せる。
その言葉を聞いても、できる事は当たり前に思う……できていたもん。
色々とできる人がいるから、何もできない赤ちゃんからボクは育ってきた。
食べるのも、動くのも、話すのだって、困らない程度には環境で育てられている。
そして作法や調理、複雑な動きや技術、様々な言語の理解など、更に磨かれていく。
色々な可能性……ボクだって世界でも活躍できる人に将来はなれるかもしれない。
それにはまず、できる『お手本』がいないとボクが困るもん。
「お母さんは、何でもできる『お手本』だったもん」
「できなかったら、できなくなったら、お母さんじゃないのかな?」
「……じゃあ、何もしなくても、何もできなくても良いの?」
「何でもできるお母さんとして産まれた人はいないよ」
「そんな事を言われても、だって……」
ボクが困るもん……皆も困るもん。
個人差はあるけれど、子供は良い事も悪い事も『できる事』は増えていく。
できている人をみて、できていない事を学んで、できるようになったのは間違いない。
ただ同じ大人と呼ばれる人でも、色々できている人もいれば、全然できない人もいる。
そして怪我や病気だけではなく、生きて老いるだけでも、できない事は増えていく。
今できている事は、当たり前な事でも、変わらない事でも、特別な事でもない。
突然に杖や義足、車椅子が必要になる事もあると、今のボクには分かる。
今迄の事はできないし『お手本』でもないのが、今のお母さん。
それでも、お母さんの事をお母さんと思えるのは何故だろう。
俯き考え込むボクの頭を撫でると、お医者さんは仕事に戻って行った。
お医者さんには『お母さんがいない』……それでも、お医者さんのお母さんはお母さん。
同じでも、変わっても、居なくなっても、お母さんはお母さんである事に変わりがないみたいだ。
『もやもや』した気持ちの中で頑張るお母さんを見ているけれど、何かできる訳でもない。
ボクの事じゃないのに、お母さんを見ているだけなのに、何だか痛々しくて嫌になる。
できないお母さんにかける言葉も無く、無意識にお父さんの服を握り締めていた。
高さを合わせるように屈み、小声でボクに話しかけてくるお父さん。
「なぁ、ケンジ……どうしてお母さんは頑張っていると思う?」
「……少しでも頑張って、何かできるようにならないと困るから?」
「あんなに大変で辛そうな事なら、頑張らなくても良いと思わないか?」
……そう言われると無理をする事はないのかもしれないと、ボクも思う。
幾ら頑張っても『絶対に元通りに治る』という結果を前提にしていないもん。
今よりも『良くなるかもしれない』という曖昧な可能性に手を伸ばしているに過ぎない。
ボクなら辛い事や嫌な事はしたくない……見ていれば分かるけれど、絶対に楽しくないもん。
それに考えてみれば、できていたお母さんができなくなって困っているのはボク達だ。
ボクみたいに、やる事でできる事が増えていく子供の成長とは意味が違う。
嫌なら嫌だって、全てを投げ捨てて何もしなくてもいいじゃないか。
『どうして頑張っているのだろう』と不思議に思うボクに、視線を合わせてお父さんは言う。
「お母さんであろうとしているからだ」
お母さんというものは、親というものは、その為の線引きや枠組みが無いもの。
勉強して点数を取るでもない、走ってタイムを計測するでもない、誰かに言われたものでもない。
見えない期待に悩んで足掻いて向き合って、幾ら頑張っても満点などありえない正解の無い難問。
何も学ばなくても、何も考えなくても、何も責任を感じなくても、自ら親と言う事もできる。
子供は親だけを見て成長する訳でもないから、力を入れなくても大丈夫なのかもしれない。
頑張って子供という問題用紙に書き込んでも、その点数が書かれる事は無いのだから。
それに子供の時には満点でも、大人になれば赤点に変わる事もある……しかし。
「……できないかもしれないのに?」
「できないかもしれないのに、だ」
ボクのお母さんは、ボクの親であろうして今も頑張っている。
ボクみたいに甘えも、縋りも、利用もせずに、やれる事をやっているだけ。
ありとあらゆるものが積み重ねられる事で、誰もが求める自分のカタチに近付く。
お母さんは、今できない事は今からもできない訳じゃないと、必死に何かを積み上げている。
ボクなら理由を付けてでもやりたくない事を、気持ちが折れずにいられるのは何故か。
……お母さんが『ボク達のお母さんでありたい』と誰よりも強く思っているから。
それは生きる力を与え、共に社会で生きて、親という子供の為に足掻く姿。
……不意にボクが言った『お母さんじゃないみたい』が重く圧し掛かる。
その必死な頑張りは周囲を見る余裕も無く、ボク達が見ていても気付く事はない。
お母さんなのに、期待されるお母さんであろうとして、今も今までも頑張り続けている。
何も考えずに全てを否定したような言葉の痛みが、好きな事だけをしていたボクにも噛み付く。
頼り無い糸を手繰るように、無駄になりそうな努力にも手を伸ばして足掻くお母さん。
ただボク達のお母さんでありたい気持ちだけで、その手を伸ばし続けている。
その痛々しく紡いで輝く姿に、ボクは何もできずに拳を握り締めていた。
一段落終えたお母さんが、離れて見ていたボク達に気付く。
笑顔で小さくも手を振るので、釣られてボクも一緒に笑顔で手を振り返す。
言いたい事もあるだろうけれど、心配させない為の反応が当たり前のお母さん。
きっとそれは、ボクの、ボク達の為と分かるから、お互い強引に笑顔を交わす。
その表情や行動全てが、誰よりも『お母さんであろう』としていた。