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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

残像の街

作者: 川獺右端


「ちこくちこく~」


 頭の後ろで女の子の声を聞いた。

 はっとして時計を見ると、確かにやばい時間だった。

 まあ、いいか。遅刻しても死ぬわけじゃないしな。


 眼帯の下が痒かったので外して掻いた。

 ポカポカ陽気の時に眼帯とかしてるとうっとおしい限りなのだがこればっかりは仕方がない。



 不意にポケットの中の携帯が震えた。

 撮り出して開いてみる。

 また、非通知だ……。


 回線を開いて耳に当てる。

 いつものように無音。俺の立っている場所に伝わる音が携帯から一拍遅れて聞こえてくる。

 近くに居るんだな。

 耳を澄ますと回線の先に居る誰かの姿が浮かび上がりそうで、俺は歩みを止めてじっと聞き耳をたてた。

 

 真後ろから切り裂くようなブレーキ音が聞こえると同時に、スイカが壁にたたき付けられたような音がした。


 視界の隅に黒っぽい物が飛び込んできて、路上に激しくぶつかりながら目の前を転がって行った。

 真っ赤な物が自販機の下をべったりと染め、毛筆で書いたような跡を残して路面へ散らばった。


 血の色が一瞬で景色を非日常に染めた。


 道路に転がった物体が女の子だと一拍置いて気がついた。

 光が眩しくなって、明暗がくっきりと俺の目に写った。

 自分の血の気が頭から胸に引いて行くのを感じた。


 俺の学校の制服を着ていた。

 首があり得ない方向に曲がって、白目を剥き細かく痙攣していた。



 耳に当てた携帯から「ひっ」と息を飲む声が聞こえた。

 澄んだ女の声だった。



 俺は眼帯を外していたので、残像が発生する瞬間を見た。

 銀色の霧のような物が少女の体から、むくむくと流れ出し宙に浮かび、俺は彼女が死んだのが解った。



 絶叫が携帯で塞がってない右耳を打った。

 振り返ると小柄な女の子がガードレールを握りしめ、口を大きく開けてつんざくような悲鳴を上げていた。

 死んだ子の名前を呼び続けているようだった。

 きつね色に焼けたトーストが一枚、路上に転がっていて、ジャムのように真っ赤な血がのっていた。



「充蔵君は霊能力が有るって聞いたの」


 関谷盛子が俺の目を真っ直ぐ見つめてそう言った。


「そんな能力は無い。俺が持っているのは幼女を愛する熱いハートだけだ」


 俺は力をこめて宣言した。


「小さい頭、あどけない表情、ぺったんこの胸に、イカみたいに脹らんだ下っ腹。幼女は良いぜ! 関谷!」


 関谷と二人だけのロマンチックな放課後の教室に俺のカミングアウトが反響する。


「……充蔵君のことを教えてくれた人が、霊能力の話をすると、ペドでロリで変態のふりをしてごまかすから注意してって言ってた」


 誰だ、その通報者は。

 大抵のオカルト大好き少女は俺がペドのカミングアウトをするとドン引きしてどこか行ってしまうのだが。


「人と違った能力があるから、自衛として、変態のふりをするんだから引かないであげてねって言われたよ」

「幼女が好きなのは本当だ」


 俺は力強く言った。

 ぴくりと苦笑いが関谷盛子の片頬に張り付いた。


「大人の女の子は毛が生えていたり、出っぱっていたりで気持ち悪い」


 女の子を引かせる方法としてペドはなかなか良い。


 前は『俺はサドで女の子を縛ったりするのが好きなんだぜー』ってやってたんだけど、一度何を勘違いしたのか、ドブ臭い体臭の女の子が顔を赤らめて体をすり寄せて来た事があったので、ペドの方に変える事にした。

 スカトロとかも良い感じに引いてくれそうなのだが、もしも、顔を赤らめてすり寄って来る娘が居た場合、猛烈にいたたまれない気分になりそうなのでやったことはない。

 ペドだったら学校の女は対象にならないので良いのだ。


「しつこく変態のふりをするけど、我慢してねって言われたよ。引きこもりっぽくて、オタクで、趣味が悪いし、さえないけど、心の底に透明な宝石を持っている人だから気にしちゃ駄目って」


 ……。

 ほ、宝石なんかないぞ。


「誰だ、そんなポエミーで邪悪なデマを流布する奴は」


 なんだか頬が熱くなるのを感じた。


「充蔵君の事、大好きなんだって。いつも見てるから何でも知ってるって」


 え?

 背筋に、ぬるりと脂汗が流れた。

 なに? そのストーカー女。


「そ、そいつの名前を教えろ」

「だめ、恥ずかしいから絶対に教えないでって言われてる。決心が付いたらちゃんと満開の桜の木の下で告白するから、絶対に言わないでねって言われた」


 一年のうちに一週間ぐらいしか告白の機会がないぞ。


「根はいい人で世話好きだから、ちゃんと事情を話せば協力してくれるって言ってた」

「根は良くない人で人嫌いだからごめんなさい」

「で、お願いしたい事なんだけど」


 関谷、おまえ可愛い顔をしてる癖に押しが強いなっ!


「あ、ううん、違うの」


 俺の表情を読んだのか、関谷は慌てて顔の前でブンブンと片手を振った。


「これもその子に言われたの、すぐつまらない事言う癖があるから、無視して話を進めないと、日が暮れてしまうって」


 くそう、ストーカー女めーっ。


「一週間前、学校の近くで交通事故があったでしょ。死んじゃった白山早苗。あの子ともう一度話がしたいの……」


 ああ、朝のあの事故の犠牲者か。

 血が凄かったな。

 関谷はうつむいて黙り込んだ。


 遠くグランドから運動部のかけ声が聞こえてくる。

 西日が差し込んで教室は赤っぽい。


「話は出来ない」


 関谷が顔を上げた。目尻に涙がうっすらと見えた。


「見えるだけなんだ。それから、俺の見える物は霊じゃないと思う」

「霊能力じゃないの?」

「俺に見える物はただの残像だ」



 誰も下駄なんか入れてないのに下駄箱と呼ばれる物体が並んでいた。

 夕暮れの昇降口は、置き去りにされた、へなそうる(迷子の恐竜)っぽい、もの悲しいような寂しいような独特の雰囲気がある。

 俺はむっつりと黙って靴を履き替えた。


 関谷がぱたぱたとやって来てカバンを胸の前に抱えて黙って立っていた。


 オタク分類すると、関谷は犬系少女だ。

 小さくて可愛い子犬が棒で打たれて傷ついて居る感触がある。


 ほっとけば良いと思う。

 残像なんか見ても得る物は一つもない。

 この能力は子供の頃からあるが、得した事は一度もない。

 死につながる能力だから悲しい思いをする事ばかりだ。


「言ってた」

「なにが?」

「優しいけどものぐさだから、まとわりつくぐらいで調度良いって」

「……誰なんだよ、そのストーカー女は」

「秘密よ」


 何故こっちの行動を正確無比に読んでるんだ。

 そんなに親しい女は周りに居ないぞ、俺、オタクだし。

 昇降口を出ると、街は真っ赤に染まっていた。

 学校は高台にあるので、校庭を巻くよう下っている坂道を二人で降りていく。


「白山とは仲が良かったのか?」

「うん、小学校からずっと一緒だったんだ……。ずっと隣りに居たから早苗が逝っちゃったら、凄く変な感じ」

「そうか」

「これから誰と映画を見に行ったり、電話したり、出かけたりすれば良いんだろうって思う……」

「彼氏でも作れよ」

「そういうのと違うんだよ……」


 関谷は暮れていく街を見つめて寂しそうにそう言った。


「残像なんか見ても意味は無いよ」

「でも、早苗が今どうしてるか……、知りたい」

「白山はもう焼かれて灰になって煙になってお墓に居る」

「魂が……」

「魂じゃない。残像だ」

「意志の疎通とかは……?」

「何回か話しかけたことがある。まったく無反応だ」

「居るだけ?」

「たぶん何かの自然現象で宗教的な物とは何の関係もないのだと思う。死んだ場所に残像がぽつんと居る」

「止まってるの?」

「ゆらゆら動いたり、手を動かしたりはしている。人の思いが空間に癒着したとかそんな物なんだろう」

「早苗もあそこに居るのかな」


 関谷は街を見下ろした。

 ビルの谷間を通して、あの道が見えた。


「居る。事故の時、残像が発生する瞬間を見たから」

「……。何年もそこで立ちっぱなしなの?」

「いや、早い奴で七日。遅くとも二ヶ月ぐらいしたら薄くなって消える」

「そう……」


 坂を下りるとT字路になっている。

 左に行けば事故現場だ。

 関谷が背を折って頭を深く下げた。


「おねがいします、早苗を見てください」


 困ったな。


「……解った、今から?」


 関谷は手首を返して時計を見た。


「あ、あの、ごめんなさい、ちょっと今から予備校で……。夜の八時にここで待ち合わせじゃ駄目ですか?」

「解った、だけど、大丈夫? 夜遅くに」

「平気です、充蔵君ペドだし」


 間に受けていらっしゃいますよ。


「解った、じゃあ、八時に」

「ありがとうございますっ!」


 関谷は嬉しそうにそう言った。


「私が小学校の頃に充蔵君に会いたかったな。そしたら愛して貰えたのに。じゃあ、あとでね」


 快活に片手を上げながら、トンデモナイ事をおっしゃって関谷は駅の方に小走りで去った。

 ……本当は俺、ペドじゃないんですが。

 実は出っぱってる所も、毛が生えてる所も好きなんですが……。

 カラスが頭の上でアホウアホウと俺をののしりながら飛んでいた。

 俺は一人アパートへ帰る事にした。



 白山早苗が死んだ路地に差し掛かった。

 ここは車通りが多くて、事故が多い。

 ガードレールの根本に沢山の花束が手向けられていた。

 白い百合の花が夕日に染まって薄く赤い。


 眼帯を外そうかと思ったが、おっくうだったので止めた。

 残像なんか見ても何の得もないしな。

 合掌して拝んだりもしない。

 人間は死ねばそこまでだ。

 残像を残して存在はこの世からすべて消える。


 ポケットの中で携帯がぷるりと震えた。

 引っ張り出して開いてみるとメールの着信だった。

 相手の名前は非標示。


挿絵(By みてみん)



 

 ……。

 これって、ストーカー女?

 再度携帯が震えた。



挿絵(By みてみん)


 き、キモイ……。

 想像以上に気色悪い。

 いつもテレビなんかでストーカー被害者が「怖い」とか言ってるのを、チキンだなあと見ていたのだが、実際自分が被害にあってみると、逆さづりにされたように怖くて不安だった……。


 正体の解らない女が俺を物陰からじっと見てると思った瞬間、体に震えが走った。

 俺は額に脂汗をかきながら辺りを見まわした。

 携帯を持って隠れてる女は居ないようだ。


 心臓がバクバク鳴っていた。

 ストーカー被害者の人、馬鹿にしてごめんなさいっ!

 俺は携帯をポケットに仕舞って、全速力でアパートへ逃げ帰った。



 オタクの一人暮らしのアパートなんてものは酷い物だ。

 まず、本が積み重なっていく。

 そして、雑多な特典アイテムがそれに重なり堆積し地層を作り崩壊し三角州を形成しまた降り積もりごしゃごしゃになって立体的に重なりパソコンの前の椅子とベットの上以外は全て物で塞がる。


 でも、そんなアパートの中に入ると自分の胎内に入ったみたいに落ち着いた。

 やれやれである。

 コクピット状に積み上げたパソコン地帯の椅子に座りパソコンを立ち上げた。

 まずはメールチェック。

 スパムばっかりで私信なし。

 某掲示板を巡回。

 知り合いのブログをチェック。

 あとは趣味のページとかを巡りながら時間をつぶす。


 パソコンデスクに肘をつき、ウエッブを巡りながら色々考える。

 ストーカー女が俺のアパートに入りこんでいて、部屋の隅っこに立ってたら怖いな……。


 ……。


 急に息が荒くなった。う、後ろに振り向けない。

 キッチンの隅あたりで、髪を乱して虚ろな目をした女がじっとこっちを見てるんだ……。

 こ、怖えええっ!!


 死んだ人間なんかちっとも怖くないですが、気の触れた生きた人間はオシッコが漏れるぐらい怖いですよ。

 恐る恐る振り返ったが、当然の事ながら誰も居なかった。

 ふうと胸をなで下ろした。


 関谷の事を考えた。

 関谷盛子、通称モリリン。

 ショウコなのだが字面からモリリンらしい。

 隣の隣のクラスの女子だ。

 ああいうちょっと可愛い犬っぽい感じの子を彼女に持つというのはどうだろうか。

 世話焼いてくれそうで楽しそうだなあ。

 デートなんかしたりして。


 ……。


 ストーカー女がそれを見て逆上したら怖いなあ。

 俺たちカップルに嫉妬して、無言電話が掛かってきたり、ドアのノブに血がべっとりついてたりするんだ。

 うわー、怖えええっ。


「わたしのじゅううぞうくんよおおおっ!!」


 って、奇声を発しながら刺身包丁を振り回すんだ……。


 ……。


 あまりに怖くなってデスクの上につっぷしてしまった。

 怖えええっ。


 ふう、と息を吐くと少し怖さが遠のいた。

 そういえば、事故の時も無言電話が掛かってた。


「ストーカー女もあの事故の瞬間を見てたはずだな……」


 ポケットの中の携帯が震えた。

 ……え?

 恐る恐る開いてみた。



挿絵(By みてみん)


 俺は部屋の中を見まわした。

 首筋につつっと汗が降りる感触がする。



挿絵(By みてみん)


 怖えええっっ!!

 可愛い顔文字使われても雰囲気なごまねえっっ!!


 俺は鬼の形相でアパートの中を引っかき回した。


 あわてた。

 あわてた。

 あわてふためいていた。


 棚の上のプラモの箱の影に小さい穴が空いた黒いプラスティックの箱を見つけた。

 手がぶるぶると震えた。

 知らない女が勝手に俺の部屋に入り込んで、怪しい機械を設置してる……。

 ここからだと部屋の中が全部写る……。

 うわぁとかすれたうめき声が勝手に俺の喉から漏れた。


 怖えええっ。


 一個だけなのか?

 更に鬼の形相で探しまくる。

 つ、つけた覚えの無い三又電気タップが在った。

 鴨居の中に四角い箱が在った。

 テレビの裏に四角い小さな箱が在った。

 俺に気づかれず、この腐海の部屋の品物を動かさずに監視電子機器を設置していったのか……。


 邪悪な機械どもを風呂場に沈めた。

 部屋の中をかき回したので腐海度がさらに上がった。

 恐怖心で浅い息を吐いていると携帯がまた震えた。



挿絵(By みてみん)


 うわ、ストーカー女めげてねえっ!

「で、出てこい貴様っ!!」



挿絵(By みてみん)


 俺の声が聞こえてるよっ!! 反応してるよ!!

 まだマイクが残ってるのかっ!!

「き、貴様は何者だっ!」



挿絵(By みてみん)


 かわいこぶってるが、お前のやってる事はれっきとした犯罪だっ!!

 怖ええっ!

 怖ええええっ!!

 安息の場所が、なんだかよそよそしく知らない人間の部屋みたいに感じた。

 俺は超ダッシュでアパートを逃げ出した。



 息を切らせて夜道を全力疾走し学校の下のT字路へ着くと、関谷はもう来ていた。

 俺は「ストーカー女の氏名住所生年月日を言え言え言え!」と関谷の胸ぐらを掴んで振り回そうと思った。


「あのさっ!」

「……はい」


 関谷は目を伏せた感じでうつむいていた。

 俺の勢いは雰囲気の壁にめり込んで止まった。


「な、なんでもない」


 ……残像を見たあと、ゆっくりとストーカー女の正体を聞けばいいか。

 関谷は顔を上げて俺の方をいぶかしげに見た。

 街灯の灯りが斜めから差して、関谷の顔の右側を柔らかく照らしていた。

 憂いを含んだその顔はとても綺麗だった。

 ちょっとだけ、いいなと俺は思った。

 

 二人で事故現場まで歩く。


「白山ってどんな奴だった?」

「……うーん、凄い子だった。頭も良いし、何でも自分で計画して、いろいろやって」


 ああ、リーダータイプの子だったのか。


「一緒にいると凄く楽しかった。私なんか、いつも早苗の後ろを付いていくだけで精一杯で……」

「へえ、もてたんだろうな、白山」


 関谷の肩が、びくっと動いた。

 なんだ?


「う、うん。良くラブレター貰ってたよ」


 なんか歯切れ悪いな?


「わりと遊んでるタイプだったのか?」

「ちがうよ!」


 関谷の大声が、夜道に反響した。


「……わりい」

「一途なだけで、だから……」


 だから?

 だからなんだろう。


 関谷は黙り込んだ。

 俺との会話を雰囲気で拒絶していた。

 なんだ? 妙なツボをついてしまったっぽい。

 白山となんか恋愛とかで揉めてたのかね。

 話をしたいというのはその為か?

 残像と意思疎通なんか出来ないけど。試して見たいのかもしれないな。


 黙って二人で歩いた。

 夜道に足音だけ二つ。

 事故の現場に着いた。


 騒がしい朝の時間帯に比べると、この路地は違う場所のように寂しい。

 車通りはかなりある。

 時々眩しいライトが俺たち二人を照らし、轟音と共に通り過ぎていく。


 関谷は早苗が死んだ場所で手を合わせた。


 俺は左目の眼帯を外した。

 残像が見えるのは左目だけだ。

 どうしてなのかは俺にも解らない。


 左目の視界に女の子の姿が見えた。

 路上に座り込んで茫然としているように見える。

 制服を着ている。

 傷は無い。

 たまに死んだ傷を残している残像もあって、そんなときはグロくて気持ちが悪くて怖い。


「早苗どうしてます?」

「座ってる。茫然としてる感じかな」

「そう……」


 早苗の残像の口が小さく動いてた。

 なんだろう。


 OUIE。


 おういえー……。

 ちがうな、そんなアッパーな残像はイヤだ。

 ……ど、う、し、て かな?


「どうして? ってなんでだ?」


 どうしてこんな若さで死ななければならないの?

 いや、そんな事を死に際に思うか?


 金属質な感じの嫌な雰囲気が漂ってきた。

 関谷がうつむいている。

 肩がブルブルと震えている。


「どうしてって、解らないの?」


 ……俺に言ってるのか?

 いや早苗にか?

 獣が立ち上がって牙を剥いたような雰囲気が関谷の方から放射されていた。


「死んだのにまだわからないのっ!」


 こ、これはやばい感じだ。

 早苗の残像がゆっくりと手をのばした。

 そして関谷の方を指さした。


 何だっ?

 こんな事初めてだっ!!


「逃げてっ!!」


 後ろから澄んだ女の声がして、ハッとして俺は身をよじった。

 もの凄い長い刺身包丁を腰だめに構えた関谷が、俺の横、すれすれを通り過ぎた。

 はあはあという荒い息づかいが怖い。

 子犬っぽい印象の娘は居なくなっていた。猛犬みたいな表情をした女がぎらぎらとした目で俺を見ていた。


 俺は不意に嫌な事を思いついた。


「お、押したのか? おまえっ!」

「押した!」


 やべえっ! どうするどうするっ!

 刺身包丁はヤベエっ!


「ずっとずっと、早苗のあとばかり踏んで来たのっ! 取られたらイヤだったのっ!! だから、押したのっ!! わたしは悪くないっ!!」


 包丁が街灯の光を反射してぎらぎらと光る。

 俺は脂汗をかきながらすり足で後退した。


 すぐ横にポリバケツがあった。

 あわててフタを捻って開けた。

 むわっと生ごみの匂いが立ち上がった。

 そして前にかざしてフタを盾にする。


 関谷は絶叫しながら刺身包丁を滅茶苦茶に振り回した。

 ポリバケツのフタがガンガンと削れていた。


「だ、誰かー、助けてくれー!!」


 大声で叫んだ。

 胸がびりびり震えて痺れた感じになっていた。


「お前さえ死ねば、誰にもばれないんだ!!」

「や、やめろっ! ばれるって!!」 

「死ね、死ね、死ねっ! ペド野郎なんて生きていなくて良いんだっ!!」


 刺身包丁がポリバケツのフタにガンガン当たり、穴が空いて、そこから狂気に歪んだ関谷の顔が見えた。


 パトカーのサイレンが遠くの空から聞こえてきた。


 関谷はハッとして、動きを止めた。

 た、助かった。のか?


 関谷は手に持った刺身包丁を見た。

 逃げようとしたんだろうと思う。

 関谷はきびすを返して駆け出した。

 飛び出した先は車道だった。

 ちょうど狙ったようにトラックが来ていた。


 ブレーキ音とスイカが割れるような音が同時にした。


 関谷はボールのように跳ねとばされて、早苗が死んだ場所に頭から落ち、転がった。

 血がバケツでまき散らしたように辺り一面に散った。

 トラックのライトに浮かび上がる血痕は恐ろしく真っ赤で非現実的で、そして、……華のように綺麗だった。


 二つ折になったような関谷の死骸から銀色の残像がむくむくとわき出すのが見えた。


 ポリバケツのフタの盾を握りしめたまま、俺は脱力し、自動販売機に寄りかかった。

 ひぅひぅと鳥の鳴くような声を出してあえぐ。頬が熱い。ぱたぱたと汗がアゴを伝って落ちた。

 缶ジュースを照らす照明の熱なのか、販売機にもたれかかった肩あたりが妙に温かかった。


「ごめんなさい、こんなことになるなんて……」


 どこからか女の声がした。

 澄んだ綺麗な声だった。

 さっき「逃げてっ!!」と俺に言った声だ。


「でてこい、ストーカー女!」


 辺りを見まわしても人影がない。

 どこに隠れて居るんだ、こいつ。


「それはだめ」


 俺は舌打ちをした。


「何考えていたんだ、あの人殺しは」

「……恐怖に心が喰われたのよ」

「恐怖?」

「霊が見える人が居るって聞いて、自分のしたことがばれるかもって、怖くなったのよ」

「そんな便利な能力じゃないよ」

「そうね、自分が生み出した恐怖に喰われたんだわ」


 関谷の死体から生まれた銀の雲は、ゆっくりと渦を巻くようにして人の形を取った。

 関谷の残像は跪いて大きな口を開けて泣いていた。

 悲鳴を上げるような顔を見て、俺は事故のとき、悲鳴を上げ続けていた女生徒が関谷だったことを思いだした。


 突発的に押してしまったのだろう、と思った。

 好きな人を取られたとかなんかあって、あの朝、発作的に白山を車道に突き飛ばしてしまったのだろう。

 誰だって魔が差すことがある。


 白山の残像は泣き続ける関谷の隣で茫然と空を見ながら今も問いかけている。

 どうして? って。


 パトカーの音と赤い光が近づいてきた。

 ストーカー女の気配が消えていた。



 警察に色々聞かれたが、俺は事実を黙っていた。

 関谷の死はただの事故として処理された。

 凄い長い刺身包丁はトラックに轢かれたとき飛んでいってしまったらしい。

 関谷も事故死した、可哀想だった、それで良いと思う。

 死者をむち打っても誰も得る物はない。

 彼女はもう、残像しか残ってないのだから。


 あくる日、学校から帰ってきたら、ドアのノブにコンビニ袋に包まれたお弁当箱が下がっていた。

 箱の上に「ごめんね」と書かれたカードがのっていた。

 開けてみるとタケノコご飯が入っていた。


 部屋に入って、ベットの上に転がった。

 ストーカー女の作った物なんか食えるかよ。何入ってるか解らないし。

 とは思ったのだが、何となく割り箸を割って口に入れていた。


「あ、けっこう旨い」


 パクパクと食べた。

 ポケットの携帯が震えた。



挿絵(By みてみん)


 ……。

 やっぱこいつ怖ええっ!


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[一言] ストーカーちゃんは携帯に取り憑いた電子の妖精かな?
[一言] ストーカーちゃん怖ええええええええええええええ!
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