五話 緊急事態
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ワイバーンを途中で乗り捨てた俺は、首都フェルゼンの関所にいた。この関所を通った先が、地図を見た限りではフェルゼンの下町だろう。
関所の前には、旅人や商人などによる長蛇の列が出来ていた。
「こりゃあ、いつまで掛かるんだろうな……」
俺の心配通り、半日ほどが経ってからようやく俺の番が回ってきた。
関所でフェルゼンに来た理由を聞かれたので、「勇者養成学校に入るため」と言ったら鼻で笑われた。
そして、やっとの思いでフェルゼンに入る事が出来た。
「ここがフェルゼンか……」
首都フェルゼンは、城を中心とした城下町の広がる街だ。第100層を除けば、人類最大の都市だそうだ。
この場所に、レシアが居るのだと思うと焦燥感に駆られる。
焦る事はない。そう、自分に言い聞かせる。
「まあ、何はともあれここまで辿り着いたんだ。今日は色々あって疲れたし、宿に泊まって休むとするかな」
と、口にしたが……休むにしてもまだ陽がある。時間的に、休むには早いだろう。俺は宿屋を探す前に、勇者養成学校の下見をする事にした。
道行く人に勇者養成学校の場所を聞きながら、その前まで足を運ぶ。
「へえ……ここがそうか」
随分と豪華な装飾が施された門構え。門を潜ると、綺麗に整備された煉瓦造りの道が通り、手入れの行き届いた芝や銅像などが道を彩っている。
建物も複数あり、敷地がどれくらいあるのやら。
「無駄に金を掛けてんのな。ここに使う金の少しでも、下層に回して貰いたいもんだぜ」
まあ、ここで愚痴った所で何も変わらないけどな。
そのまま勇者養成学校を見ていると、
「そこで何をしていらして?」
「んあ?」
声を掛けられた方に首を回すと、小綺麗な女が眼鏡を掛けた男を率い、歩いて来ていた。
赤髪……いや、燃える様な紅蓮の長髪で、思わず見てしまうナイスバディ。もし、俺にレシアという心に誓った女が居なかったら危なかったぜ……ふう。
「あんた誰だ?」
俺がそう言うと、後ろで控えていた男が明らかに顔を顰める。それを女が手で制した。
「……人に名を尋ねるのなら、まずは自分からと申しますでしょう?」
「別にあんたの名前なんざ知らなくても困らねえな。だから名乗らねえ」
言うと、今度こそ顔を真っ赤にした男が女の制しも無視して突っかかってくる。
「おい! 貴様! この方を誰だと心得るか! この方はな! 歴代最年少で勇者の称号を得た! 歴代最強の勇者――『紅蓮の勇者』エレシュリーゼ様であるぞ!」
「『紅蓮の勇者』? 知らん。誰だそいつは」
「かはっ!? え、エレシュリーゼ様を知らないだと!?」
俺が一蹴すると、男が目を丸くさせた。開いた口が塞がらないといった様子だ。
エレシュリーゼという女は、額に手を当てる。
「ええ、そうですわ。わたくしは、エレシュリーゼ・フレアム。あなた、わたくしを知らないとは、世間知らずですわね?」
「みんながみんな、あんたを知ってるって思うのは傲慢じゃないか? もしくは、自意識過剰か……」
「勇者とはそうあるべきものですもの。わたくしは、民から憧れを向けられる対象。むしろ、過剰なのが丁度いいのですわよ?」
俺の挑発も意に介さず、エレシュリーゼは不敵に微笑む。
なるほど、これが勇者か……。
勇者とは、勇者養成学校の学生から毎年一人選ばれる存在。役割は、主に人類未開拓の地である第100層より上の階層の調査。そして、人類を脅かす脅威である魔族から、人類を守護する。
勇者の役割は、簡単にこの2つだけだ。
「聞いた話だと、殆どの勇者は養成学校の卒業生から選ばれるって聞いてるけど?」
見ると、彼女は制服と思われるものを身に纏っていた。恐らく、まだ在学中だ。
「ええ、ですから最年少なのですわ」
「ふうん……」
つまり、それ程の実力があるという事だ。
だが、俺は興味が無いので適当に頷いた。俺の目的は、飽くまでもレシアだ。
エレシュリーゼは笑みを浮かべたまま、
「あなた、ここにいらっしゃったという事は入学希望者ですの?」
「ああ、そうだけど」
「となると、一足遅かったですわね。もう入学試験は終わってしまっていますわ」
俺は眉を顰める。
あれ……? これ、緊急事態では?
「おい、それ本当か?」
「嘘を言ってどうしますの? 試験があったのは、つい一昨日ですわ」
「試験を受ける以外に入る方法はねえのか?」
「無い事はありませんけれど……。例えば、生徒会の推薦枠とか」
「生徒会ってなんだ?」
「簡潔に申しますと、学生達を纏める組織ですわね。ちなみに、わたくし……生徒会で会長というのをやらせて頂いておりますの」
エレシュリーゼは腕を組み、少し得意げに述べる。
なるほど、つまりなにか。この女の推薦を受ける必要があるって事か?
俺に、この女以外に生徒会とやらの知り合いはいない訳だし。
そして、この女の目的は正しくそれだろう。
「ちっ……俺に何をやらせてえんだ?」
「察しが良くて助かりますわ。わたくしが、あなたを推薦するに当たって条件は一つ。身分証明だけですわ」
「名前を教えろって事かよ……。ったく、オルトだ。オルト」
「家名が無いという事は貴族では無いのですわね」
「だからなんだ?」
「いいえ。特には」
俺は少しだけ面喰らってしまう。いや、肩透かしというか……。大抵の貴族は、相手が格下だと分かれば見下して来るものだ。だから、見下されないというのは……新鮮な感覚だ。
まあ、後ろに控えている男は見下して来てるけど。
「あとは……そうですわね。何か犯罪歴はございますかしら?」
「犯罪歴……」
俺が目を逸らすと、エレシュリーゼは露骨に目を細めた。
「まさか、お持ちで?」
「……まあ、ちっとだけな。な、なんだよ……犯罪者は入学できねえってか?」
「いえ、養成学校は実力があり、しっかりとした身分証明が出来れば入学を許されていますわ。だから、中には柄の悪い生徒が数名いらっしゃるのですけど……。しかし、あなたは普通に入学するのではなく、わたくしの推薦で入るのですわよ? つまり、わたくしが後見人、後盾になるという事なのですわ」
確かに、そうなるとエレシュリーゼに迷惑が掛かる訳か……。
と、ここで再び男が突っかかって来る。
「エレシュリーゼ様! なぜこの様な貴族でもない下賎な男を推薦なさろうとするのですか! しかも、前科のある者など!」
「……そうね。ねえ、オルトさん。何か持って無いのでしょうか? ここに来たという事は、自分の身分を後盾するものを持っていらっしゃるのでしょう?」
「ん? ああ、そういえば……」
俺は思い出し、懐から例の羊皮紙を出す。この羊皮紙は、8年前に騎士から貰ったものだ。
それをエレシュリーゼに渡す。エレシュリーゼがそれに目を通している間、男がうるさかったが無視した。
「これは……なるほど。いいでしょう……わたくしがあなたを推薦致しますわ」
「エレシュリーゼ様っ!?」
エレシュリーゼは渡した羊皮紙から目を外し、不敵に笑いながら言った。
「お、本当か。いやあ、助かるわ」
「いえ、別にいいのですわよ」
「ええー!? え、エレシュリーゼ様!? なぜです!? なぜこんな男を推薦なさるのですか!?」
「うるさいですわ。貴族なら上品な振る舞いなさい」
と、エレシュリーゼが叱責したが、男の不満は絶えない。
「納得できん! 貴様! 一体、どういう手品を使ったのか知らんが、栄光ある勇者養成学校に下賎の民が入れると思うなよ! この俺が世の中の厳しさを叩き込んでやる! この俺と戦え! 俺に勝ったら入学を認めてやろう!」
「……愚かな」
男は俺と戦うつもりらしい。宙に手を翳すと、槍が生成され、それを手にして構えた。
魔力で作られた槍だ。普通の槍よりも硬く鋭い事が、見た目の光沢から伺える。
「へえ? 俺とやるのか?」
喧嘩を売られて思わず買いそうになったが、俺は剣を抜くのをやめた。
そういえば、ここに来てからというもの戦ってばかりだ。ラッセルとか、モンスターとか、あと騎士。
今日の所は、あまり戦いたい気分ではない。
俺が剣を抜くのをやめたからか、男が挑発を繰り返す。
「おい! どうした! 怖気付いたか!?」
「声を張り上げて……はしたない。それでも貴族ですか?」
「エレシュリーゼ様! なら、どうしてこの男を推薦したのかお教え下さい! 出なければ納得できません!」
「どうして? 答えは簡単でしょう? これからの、人類の未来を考えれば――彼程の実力者は必要不可欠ですわ」
エレシュリーゼの言った意味が分からないのか、男が首を傾げる。
「ど、どういう事ですか!」
「オルトさんを見ていれば、分かるでしょう? 相当な手練れですわよ」
面と向かって言われると、少し照れるな……。
俺は照れ隠しに肩を竦めて見せた。エレシュリーゼはクスクスと笑う。
「なんでそう思ったのか、理由を聞いてもいいか?」
「だって、あなた……自分が強者である事を隠そうともせず振舞っているでしょう? 歩き方や身に纏う気迫。見る人が見れば、分かるでしょう」
「そういうもんかねえ」
「そういうものですわ」
男は、俺とエレシュリーゼが会話している内容の意味が分からない様で、構えた武器を引っ込めない。
「こんな下賎の民が強い筈ありません!」
「……わたくしの裁定が間違っていると?」
「そ、それは……!」
どうやらエレシュリーゼの機嫌を損ねたらしい。
エレシュリーゼは底冷えする様な眼差しを男に向ける。文字通り射殺す様な殺気が込められている。
「わたくしからすれば、あなたの様な下級貴族は相手にもなりませんのよ? 全く、あなたの様な能無しが生徒会役員に居るとは嘆かわしいですわ……。今日を持って解雇です。直ちに去りなさい」
「え、あ、は……!? な、なぜです!? 俺はあんなに忠誠を尽くしていたというのに!」
「忠誠? わたくしが、あなたが何をしているのか知らないとでも? あなた、平民の学生に対して散々な暴力を振るっているそうですわね」
「そ、それは……へ、平民なんて下賎の民がどうなろうが問題はないかと」
「わたくしは、全ての学生を平等に扱うと宣言していますわ。あなたの行動が、わたくしの評判を貶めている事を自覚なさい」
男は口を噤むが、それでも納得できないらしい。
再び俺に武器を向けてくる。
「く、くそ……! 平民なんてどうなろうが別にいいだろうが!」
「んあ?」
八つ当たりか、頭に血の登った男は俺に向かって槍を突く。それを避けようとしたところ、エレシュリーゼが間に割って入り、槍を素手で止めた。
「……愚か過ぎる!」
エレシュリーゼは止めた槍先を引き寄せ、勢い良く男を前蹴りで蹴り飛ばす。
「ごはあ!?」
吹き飛んだ男は口から血反吐を吐き散らしながら、数百メートル先に見えていた壁に衝突し減り込む。
エレシュリーゼは長い髪を払うと、こちらを振り返る。
「お見苦しい所をお見せ致しましたわ」
「いやあ、別に。つーか、養成学校って、あんなのばっかしかいない訳?」
「いいえ、善良な学生も沢山いらっしゃいますわ。しかし、どうしても……今の体制下ではあの様な輩が湧き出てしまうのですわ……」
エレシュリーゼは自嘲気味に笑う。
「ああ、たったいま生徒会役員の枠が一つ空きましたの。入学したら、生徒会に入りませんこと? 歓迎致しますわ」
「いやあ、遠慮させてもらうわ」
「そうですの……残念ですわ」
などと言っているが、ただの冗談だったのは見て取れた。
俺は溜息を吐きつつ、入学に当たって必要な事をエレシュリーゼから聞き出す。それから、エレシュリーゼと別れ、適当な宿で一晩過ごした。