二話 塔の世界の最下層で
レシアの動きが止まる。それから、村人達の首がゆっくりとレシアへ向けられた。
「んー? ああ、君がレシアかな?」
「え、あ、あの……」
レシアは戸惑った様子で、キュスターを見上げる。レシアよりも高い所から見下ろすキュスターは、相変わらず不気味な笑みを絶やす事なく口を開く。
「君がレシアかあ……ふうん? 最下層の民にしては、中々……いんや、随分と将来有望な容姿だねえ。公務じゃなければ、私の手元に置いておきたいくらいだけどお……」
キュスターがそう言うと、後ろで控えていた騎士が腰の剣に手を掛ける。キュスターは残念そうに溜息を吐いた。
「まあ、仕事だからねえ。さあ、レシア。私達と一緒に上層へ行くよお」
「え、上層……?」
「そう……ああ、ちなみに拒否権はなあい。拒否するなら、ここの村人全員血祭りだからねえ?」
「っ!?」
レシアと村人達はその一言で体を硬直させる。
「くふふ……良い子だねえ。それじゃあ、行こうかあ」
「は……はい……」
大人しく連れ去られようとしているレシアに、俺は体の痛みに耐えながら叫ぶ。
「ふ、ふざ……けんなあああ! 行くんじゃねえ! そんな野郎に付いて行くなよ!」
「……っ! お、オルト……でも、あたしが行かないとみんなが……!」
「おんやあ……まだ抵抗するんだあ……」
キュスターは徐にレシアの手を引き、軽々ともう一人の騎士へ投げる。騎士はレシアを抱き留める。
それからキュスターは、ゆっくりと俺の所まで近寄ると、
「本当にクソ生意気なガキだねえ……!」
「ごっ!?」
キュスターが俺の腹部を蹴った。
耐え難い痛みが俺を襲い、呼吸が出来なくなる。それでも、キュスターは不気味な笑みを一層増して、何度も俺を蹴った。
「ひはははは!! 非力な子供がいたぶられている様を見ているかい? 下層の民の分際で、この私に刃向かうからこうなる……!」
「ぐあっ!」
俺は蹴り飛ばされ、地面を転がる。
意識が飛びそうなのに、痛みで意識が引き戻される。いっその事、このまま気を失えたらどれだけ楽になれる事か。
「ふう〜。さて、トドメを刺そうかなあ」
「や、やめて……! 下さい……! あたし、行きますから! 大人しく行きますから! オルトには……手を……出さないで……!」
「んー……。まあ、いいでしょう。未来の勇者がそう言うのであれば……ねえ」
キュスターは少しだけ面白くなさそうにしながらも、レシアの言う事に従って踵を返す。
そして、二人の騎士はレシアを連れて行く。
俺は定まらない視界の中で、必死に手を伸ばす。
「れ、しあ……! いく、なよ……!」
視界の中でワイバーンに乗せられ、連れて行かれるレシア……。
なんで、どうして、行くんだよ! なんで大人達は何もしてくれないんだよ! なんで……なんでなんでなんで!
その様な憤怒が激流が如く、俺の精神を支配する。
誰も逆らえないから、誰も何も出来ない。何もしてくれない大人達に腹を立てるが、今この場で一番腹が立つのは――自分自身だ。
「もっと……おれに、ちか、ら、があればっ!」
そんな後悔。
ふと、足音が近づいて来る。
顔を上げるとキュスターではない、もう一人の騎士が俺の前に立っていた。
「まだ意識があるみたいだな」
「……な、んで……てめえらは、れしあを……」
「彼女は未来の勇者候補として、我々ノブリス騎士団に見出された」
「ゆう……しゃ……?」
「そうだ。彼女には、これから過酷な運命が待っているだろう。最悪の場合は死ぬ」
「……っ!」
レシアが死ぬと聞かされ、俺の背筋が凍る。
「や、めろよ……!」
「無理だ。止められなかったのは、彼女を助けられなかったのは、全て君が未熟で力がなかったからだ」
「――っ」
その通りだった。俺は何も言い返せず、ただ黙り込むしかない。
「君の所為で、彼女は死ぬ。全ては大人達を過信した子供の君が招いた結末だ。大人も君も無力なのだよ」
「なら、どうすればよかったん……だよ!!」
「そうやって、直ぐに他人の力に頼る。だから、彼女を助けられない」
「――――」
この時、騎士は子供の俺に何を求めていたのかは今でも分からない。しかし、次に投げられた言葉が俺を奮い立たせた。
「彼女を助けたいか?」
「…………」
どうしてレシアを攫った騎士が、そんな事を口にしたのかは分からない。しかし、俺は何も迷う事なく頷く。
「……8年だ」
「え……?」
「8年後、彼女は上層で勇者としての英才教育を受けた後に、第90階層にある勇者養成学校へ入れられる予定だ。それまでの猶予が、8年という事だ」
「…………」
騎士の言っている意味は分かる。しかし、だからなんだとオルトが眉を顰める。それに答える様に、騎士は言った。
「それまでに力を付けろ。第90階層まで上がって来い。そして、勇者養成学校に入り、彼女を助けろ」
「……あ」
騎士は俺の横に丸められた羊皮紙を置いた。
「これは後で必要になる。8年間、失くすな。これがあれば、君でも勇者養成学校の門を叩く事が可能だ。いいか……8年だ。彼女を救えるのは、君だけだ」
騎士は最後にそれだけ言い残し、立ち去ろうと踵を返す。俺は残っている力で、声を絞り出す。
「な、んで……そんなこと、おしえ……るんだよ……」
「なぜ……か。今の君に言っても理解する事は難しいだろう。だから、建前ではなく本音だけ教えよう」
騎士はそう言って振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「私はね、あの騎士が嫌いなのさ。何もしてくれない大人も。そして、無力な自分も。だから、君に同情したのさ」
――ただ、それだけだ。
騎士は今度こそ振り返る事なく、乗ってきたワイバーン乗って去った。
その直ぐ後に、俺を心配した村人達が駆け寄ってきたが――俺はその全てを振り払い、騎士の残した羊皮紙を手に、歩き出した。
体はキュスターに受けたダメージで重く、酷く痛む。しかし、俺は足を引きずりながらでも進む理由がある。いや、理由ができた。
「れ、しあ……絶対に……俺が、助ける……!」
まだ、俺はあいつに伝えられていない。
今まで素直になれなくて、伝えられなかった言葉があるんだ――レシアが好きだって事を。
「おおおおおお!!!」
その日から俺は、ただ強くなる為に自分を鍛えた。
上の階層へ上がる為には、モンスターが犇めく迷宮を登らなくてはならない。
「まさか、レシアとの約束がこんなに早く来ちまうとはなあ……」
大人になったらって約束だったのにな……。それに、二人じゃなくて一人だ。だけど、このずっと上に、レシアはいる。
「待ってろよ……レシア!」
そうして、俺は僅か8歳にして迷宮へ挑んだ。
何度も死にかけた。何度も泣いた。何度も苦しんだ。
飢え、睡眠不足、感染症にも罹患した。
それでも、ただ純粋に上を目指し、少しずつ登った。
第1階層から第10階層まで5年の歳月を要した。そこから、第50階層までは2年。そして、現在――俺は第89階層の迷宮にいた。年数にして、あの日から丁度、8年目くらいとなるだろうか。
「本当に……ここまで長かかったなあ。ったく」
俺は独り言で悪態を吐きつつ、襲い掛かってきたモンスターを剣で斬り裂く。
そして、迷宮を仰ぐ。
「いやあ、それにしても、こりゃあまだ時間が掛かりそうだな……」
視線の先には永遠と上へ上へと続く、入り組んだ階段が映る。全く、この光景を何度見た事やら……。
「まあ、それもここで暫く見納めだけどな」
自然と笑みが零れる。
俺はもう一息だと、気合いを入れて歩を進めた。