あの時ぶりの彼
ジハネ王国の玄関口である港町イサカはあらゆる国の文化が混じり合った町並みと商人達の活気のある声が印象的な場所である。
「あの高台に見える、馴染みのある建物がマノフ王国の大使館かしら?見てターニャ、あの建物の屋根は不思議な形ね。」
「変わっておりますね。まるで、たまねぎを半分に切ったようです。
さぁ、お嬢様、船まで大使が迎えに参られるそうですのでお部屋へ戻りましょう。」
接岸間近の船の甲板に出ていたアナスタシアは興奮気味にターニャに話しかけた、ターニャも珍しく興味を覚えたようであったが、人混みに紛れてはたまらないとアナスタシアを船内へと戻すのだった。
セルゲイ王子の部屋にて大使を待つこと数刻、大使とともに現れた男の姿をみて驚くのだった。長い黒髪を後ろで束ね、日に焼けた肌と長身、何より肩に乗った赤い鳥が印象的な男である。
「ユージン殿下っ...この度はご招待ありがとうございます。学園はいかがなさったのですか?」
「もともとあちらの学園に居るのも昨年まででね。貴女を驚かせたくて前もって帰って来たのだが、どうかな?」
精悍な顔にいたずらっ子のような笑みを浮かべる王子に、アナスタシアは軽く声をだして笑うのだった。ユージン王子のサプライズは成功したことに間違いはないようである。
「えぇ、驚きましたわ。イヴァン殿下とともに卒業されるまでご一緒だとっ」
突然、ユージンの肩にいた赤い鳥がアナスタシアの肩に飛んできて、愛おしいように頬ずりするのだった。
「くすぐったいわ、それにアケボシにも再び会えて嬉しいのよ。」
そう言って、アケボシの背から不思議な形の尾まで何度も撫でている。
その姿をみた大使は隠せない動揺が顔に出ていたのだが、アナスタシアの目に入ることはなかった。ターニャは訝しく思って心に留めとくのだった。
お互いがしっかり堪能してユージンの肩にアケボシが戻ったところで、
「数日ゆっくり観光をと言いたいところだが、ジハネの入学の時期はマノフ王国より半年早くてな。明日にはまた首都に向かって移動してもらうことになる。
アナスタシア嬢いまからイサカの町を案内しようと思うのだが、お疲れだろうか。」
「私はかまいませんが、ターニャは大丈夫?」
「お嬢様のお身体が心配ですが、殿下のお誘いを断ることも出来ませんでしょう。私もしっかり付いてまいりますので、どうぞ。」
ターニャの言葉のとげが自らに向かっていることを感じてはいたが、ユージンはとがめる気はないようで苦笑でとどめている。
そしてアナスタシアに手を差し伸べた。ユージンはエスコートをかって出ることにしたらしい。
「僕がいることも忘れないで欲しいんですが。」
「失礼しました、セルゲイ王子。ようこそジハネ王国へ。王子のトウダ学園への入学を心より歓迎いたします。」
とても良い笑顔でお互い見合っている王子達にターニャは先行きの不安を感じるのだった。
そして、ユージン王子はしっかりとアナスタシアの手を持って離さなかった。
「大丈夫か?船が出入りする時間帯はいつもこんな感じなんだ。もう少し側にいるといい。」
商店が並ぶ大通りを一本入ると小さな店が軒を連ねて、軽食やアクセサリーを店前に出している。
それを見る人と道を進む人で混雑した中を一行は進んでいた。
ユージンはアナスタシアを引き寄せ、腕にアナスタシアの手を添えさせた。
(シトラスの香りかしら?)
柑橘系の香りがユージンからかすかに流れてくることが、必要以上に接近してることを感じさせるのか、アナスタシアの挙動がおかしい。
「あっあれは何かしら?」
とっさに目についた髪飾りを両手にとって、ユージンから少し離れる。
「これは珊瑚だ。この桃色のは、貴女の髪色に似合いそうだな。それにこの花は桜といってこの国の国花なんだ。おやじこれを。」
そう言って、髪飾りの代金を払ってからアナスタシアの手にある髪飾りに手を伸ばそうとしているところを、おもむろに後ろにいたターニャが素早く手に取りアナスタシアの髪に飾るのだった。
ユージンは伸ばそうとした手の行き場がなく閉じたり開いたりしている。
「あの、ありがとうございます。代金はこちらの貨幣に代え次第お返しいたしますわ。」
「いや、記念に受け取って欲しい。とても似合っている。それに、初めて訪れた国の思い出になると嬉しい。」
そう言って再び手を重ねたエスコートで先に進むのだった。
「それでは、また明日。ゆっくり休んでくれ。」
「今日はありがとうございました。殿下には多大なる歓迎をいただき見に余る光栄ですわ。」
「あの場で助ける事が出来なかった俺の贖罪でもあるんだ。この国が君を癒す事ができると良いと思っている。」
ユージン王子の黒曜石のような黒い瞳がアナスタシアの紫の瞳をじっと見つめる。
「殿下、公爵に代わりまして御礼申し上げます。お嬢様もお疲れでしょう。ターニャお嬢様をお部屋へ。」
セバスチアンが突然現れてアナスタシアはびっくりしたが、さすがに疲れていたのでユージンに一礼してその場を離れた。
王子はセバスチアンに向き直って微笑んだ。
「殿下のお嬢様への心遣い、公爵へしっかりとお伝えさせて頂きます。」
「公爵の本気を感じるよ。まずは貴方達の信頼を勝ち取るべきかな?」
「殿下の御心のままに。ですが、信頼とはおのずと出来上がるものかと。私どもはお嬢様の幸せを崩す不届きものが許せないだけでございます。」
セバスチアンの醸し出す冷気に、私はこの国の王太子なんだがなと苦笑しつつ帰っていったのだ。
「お嬢様、こちらは塩で作った入浴剤だそうですよ。さすが、海に囲まれているだけありますね。」
「良い香りね。控えめでゆったりとした気分になるわ。」
「サクラだそうですよ。殿下が話しておられた国花です。」
「そう、これがサクラの香りなの。」
(心臓がドキドキする。そういえばアクセサリーを父以外の男性からいただいたのは初めてだわ。)
顔が赤くなってきたアナスタシアにターニャは慌てて、湯船から出るよう促すのだった。
ほんのりと香る桜の香りに包まれながら、アナスタシアは夢を見る事なくぐっすりと寝て朝を迎えた。
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