第8話 妹の記憶
夕飯が済んで俺は咲を部屋に誘った。
まだ家に不慣れな咲を連れて、階段を上がり段ボールに占領された廊下の脇を通って部屋の扉を開いた時、俺はアッと自分のしでかしに気が付いた。
部屋の中、掃除してなかった。
脱ぎ散らかしたままの服や下着を一纏めに部屋の隅に固めて、散らかった空き缶やペットボトルを寄せ集めながら、俺は部屋の入り口で立ち竦んでいる咲に「遠慮すんなよ。」と手招きした。
まぁ、遠慮してるわけではないだろう。
咲の口元が引きついているのを見逃さなかった俺は、そんな事は無視して強引に中に咲を引っ張り込むと、親が二階に来てないことを確認してガチャリとドアの鍵を締めた。
さて、咲に聞きたい事は山ほどある。
いや、聞きたい事は一つだけか。
でもその一つがとんでもなく大きくて、山のようにあるのだ。
「さてと。」とドアを閉めて振り返ると、咲は散らかった部屋の真ん中にチョコンと座り、ハムスターのように怯えた目で俺のことを見ていた。
その表情に俺はドキッとした。
そう言えば、この部屋に女の子を入れるのは初めてだ。
そう気が付つくとみるみる頬が熱くなった。
「いや、違う。
お前は、俺のい、妹だろ。
鍵をしたのは、親に話を聞かれたくないからだ。
ヘ、ヘンな事はしないから、あ、安心しろよな。」
ダメだ。
ヘンに意識するとますます声色が妖しくなる。
あ~。せめてもっと部屋を掃除しとんくだった。
とにかく、トットと本題に入ろう。
これ以上余計なことを言うと、咲が悲鳴を上げそうだ。
俺は、泣き出しそうな咲の前を通って、ベッドに腰掛けると、スプリングがギシッと音を立てるより早く、「それで聞きたいんだけど。」と話を切り出した。
そして、「お前は…」と言いかけて早速言葉に詰まった。
お前ってちょっと他人行儀だよな。咲?咲ちゃん?ちゃん付けはちょっと子供っぽいか。
「お前のこと。咲って呼んでいいか?」
そう言うとやっと気が解れたのか、怯えた様子はなくなって咲は「うん。」と明るく答えてくれた。
「で、お前…いや、咲はいつからここに居るんだ?」
昨日の夜、俺が寝るまでは咲は確かに家に居なかった。
その俺の質問に咲は少しの間をおいて、「今日の朝。」と短く答えた。
「その前の事は?」
「何も分からないの。」
ここまでの事は知っている。
公園からの帰り道、咲が心細そうな声で俺に教えてくれたことだ。
「なら、その時の事を教えてくれ。」
俺に妹はいない。
咲は俺の妹じゃない。
その事は俺と咲だけが知っている真実だ。
だけど、その他の人は親父や母さんも含めて、みんな咲は俺の妹だと信じ込んでいる。
この奇妙な現象の原因を探るには、咲が何処から来たのかを知るのが一番だ。
「なあ、この家に来たときの事は覚えてるんだろ?
いつ、何時頃、どんな風にこの家に来たんだよ。」
別に難しい質問をしてるつもりも意地悪をしてるつもりもなかった。
けど咲は俯いて「は……」と小さな声でボソボソと何かを呟いていた。
「何だよ。
居ないはずの妹が居て。
周りのみんなもそれを知ってて。
こんな変な事が起こってるんだ。
もう今更何言われたって驚きはしねぇよ。」
俺は前屈みに咲の顔を覗き見ると、咲は顔を真っ赤にして「裸だったの!」と声を荒げた。
「気が付くと…裸…で、家の…玄関の前に居て。
それで、新聞を取りに出てきたお母さんが慌てて家の中に入れてくれたの!」
咲の目尻に涙が浮かんで、恨めしそうに咲が俺を睨んだ。
お、俺が悪い…のか?
恥ずかしいのも怒るのも分かるけど、そんな事、言ってくれるまで分からねえよ。
「それで母さんはどんな様子だったんだ?」
ともかくソコはスルーしよう。
それより話の続きだ。
普通なら、は…裸の女の子が家の前に居たら即行で110番だろ。
一瞬、咲の裸を想像して、鼻の下が伸びたのを察したのか、咲が唇を尖らせて睨んできたのに気が付いて、慌てて俺は頭を振って話を進めた。
「うん。
お母さんは、始めスッゴく驚いてたけど、すぐに普通になって、何寝ぼけてるのよ。って、家の中に入れてくれたの。
それから、私の服とか下着を探してくれて。
でも見つからなくて…。」
そりゃそうだ。
なにしろ咲は昨日までこの家に居なかったんだ。
その咲の服や下着が家にあるはずがない。
「それで下着はお母さんのを借りて、服は庭に干してあったお兄ちゃんのジャージを持ってきてくれたの。」
なるほどな。
美琴の時と同じような感じかな。
確か美琴も咲に会うまでは「俺に妹なんて居ない。」って言ってたのに、咲の姿を見た瞬間、咲が俺の妹だと言い出した。
そんな風に咲の姿を見た瞬間、咲のことを家族だと信じ込んだんだろう。
「それからは?」
「うん。それからお母さんは、私の分の食材を買い忘れてた。って慌てて冷蔵庫を漁ってお弁当を作り始めたのよ。」
2人分の食材で3人分のお弁当。
いや手間も3人分かかるよな。
なるほど、それで今日は弁当を作るのが遅かったのか。
となると、母さんも今朝までは咲がこの家に居ることを知らなかった。
いや、咲という家族が居ないって事を知ってた訳だ。
「それで他には?」
「他?」
咲はキョトンとしてオウム返しに聞き返してきた。
「そう、何か、お前…咲の今までの手掛かりみたいなものはなかった?」
咲は座り込んだ膝先を見詰めて少しの間考え込んだけど、結局無言で首を振った。
「そうか。
ちょっと手掛かりはなさそうだよな。
でも、咲はここに居る。
漫画じゃあるまいし、突然この世界に現れたなんて事はないだろ?
一緒にお前が何処から来たか考えてやるよ。
どうしてこんな事になったか、一緒に考えよう。」
そう言うと、咲は相変わらず俯いたまま「うん。」と小さく頷いた。