第6話 いないんだよ!!
「三琴。サンキュー。」
と上機嫌に礼を言って自分の教室に帰ろうとしたときだった。
「お兄ちゃん、こんな所に居たんだ。探したよ。」
とアイツの声が聞こえてきた。
振り返れば教室のドアを開けて、アイツが中に入ってくる。
一歩一歩アイツが近付く度に背中に脂汗が浮かんでくる。けど大丈夫だ。
俺には三琴がいる。
「ほら、コイツだよ。
朝から俺の妹だって言って家にいる奴って。」
もう怖がる理由なんてない。
俺は教室に入って、近付いてくるアイツを指差した。
「三琴、なんか言ってくれよ。」
そう言って苦笑いしながら三琴の顔に目をやると、美琴は今までのやりとりを忘れたかのように、また俺のことを冷ややかな目線で見据えていた。
「なに?咲ちゃんは妹じゃないって訳?」
三琴は片頬を釣り上げて笑っていた。
本気でキレている時の癖だ。
えっ?どうして?
今さっき俺に妹は居ないって話したばかりじゃん。
「いくら兄妹だからって、ケンカも程々にしないとややこしいことになるわよ。」
「ちょっと待てよ!
今さっき、俺に妹はいないって言っただろ。
そんな冗談は止めてくれよ!」
いきなり大声を上げた俺を教室のみんなが見た。
でも、そんな視線を気にする余裕はもうなかった。
今だぜ。今。
五分も経ってない、今さっき。
その口で俺に妹は居ないって言ってくれたのに、どうしてそんな事言うんだよ。
「冗談って。
悪い冗談を言ってるのはアンタの方でしょ。
俺に妹は居ないだなんて。
居る人を居ないって言うなんて、ケンカじゃなくて最低のイジメなんだからね。」
「居ないって言うって、お前も居ないって言っただろ。」
「はぁ?言ってないわよそんな事。」
ヤバい。また気持ちが悪くなってきた。
目の前にいる三琴の目は真剣で、刺すように俺のことを睨みつけている。
嘘や冗談を言ってるようには見えない。
でも、嘘や冗談じゃなければ何なんだよ。
どうしてさっき言った言葉をもう忘れてるんだよ。
「言った!
アンタに妹なんて居ないって言った。
そんなに信じられないならアルバムでも見て確認すれば良いって言ったじゃねぇかよ。」
「知らないわよそんな事。
写真でもアルバムでも見ればいいでしょ。
なによ咲ちゃんが居ないって。
ここにいるじゃない。」
もう十分だ!!
どうせ通じない話なんてするするだけ無駄だ。
じゃあ、証拠を持ってきてやるよ。
家の写真を。
お前が教えてくれたんだよ。
居ない人が写真に写ってるはずはないって。
もう我慢できなかった。
このおかしなやり取り。正しい俺が間違ってるように言われる事が。
俺はすぐ隣に立っていた咲の肩を押し退けて、三琴に背を向けて駆けだした。
走らずにはいられなかた。
教室から駆け出して、階段を二段飛ばしで駆け下りて、下駄箱から叩き付けるかのように靴を放り出すと、そのまま学校を抜け出した。
手には何も持ってない。
鞄もノートも教科書も教室に置きっぱなしだ。
それでも取りに戻る気にはならなかった。
そんな事より家に帰ってアルバムを見て、アイツが写ってないことを確認する方がずっと大事だった。
これで全部スッキリする。アイツなんて居なかったってハッキリする。
俺は家の玄関のドアを開けてようやく一心地着いた。
早くアルバムを確認したくて、靴を脱ぐのももどかしく乱雑に脱ぎ捨てると「ただいま」と言うと同時に階段を駆け上がった。
アルバムがあるのは二階の奥の部屋だった。
親父がこの家を建てたとき、もしかしたら子供がもう一人増えるかもしれない。と余分に作っておいた部屋。
結局、子供部屋になることはなくて、いつの間にか季節の物を仕舞っておくようになった物置部屋。
アルバムはその部屋の棚に並んでいるはずだった。
急いで二階に上がると、その廊下にはいくつもの段ボールが積み上げられていた。
なにこれ!?
理由はすぐ分かった。
奥の部屋から母さんが段ボールを抱えて出てくると、それをそのまま廊下に並んだ段ボールの上にドスンと置いたのだ。
「あれ?翔?学校は?」
普段通り何も変わらない口調の母さんに不安と苛立ちが募ってくる。
「母さんこそ何してるんだよ?」
「え?ああ。部屋の掃除よ。
いつの間にか咲ちゃんの部屋が物置にみたいになってたからね。荷物を移動させてたのよ。
それより翔、学校・・・」
それよりじゃねぇよ。
「どうでもいいんだよ、そんな事。
それより咲ってなんだよ朝から。
里中も美琴も母さんも!
そんな奴、初めっから居ねぇんだよ!!」
母さんが本気で怒ってる。目に涙を浮かべて。
なんだよ。なんで俺が悪者なんだよ。
母さんが何かを言う前に、俺は物置部屋に入った。
もう返事は期待してない。
ただ、アルバムを見れば全部分かる。分かってもらえる。
「翔!こっちを向きなさい!」
背中に響く声を無視して、段ボールの合間に足を進めて、アルバムを引っ張り出した。
これだ。
アルバムを段ボールの上に置いて捲ると、一番最初のページにはピカピカのランドセルを背負った小学生の俺の写真があった。
二枚目三枚目には小学校の入学式の写真。
それから遠足、子供祭り、登山訓練の写真。
「あら、懐かしい」なんて母さんも隣に座って一枚一枚写真を眺めていく。
アルバムの中の俺は段々と成長していって、小学校の卒業式の写真で終わっていた。
その中のどの写真の中にもアイツの姿はなかった。
「ほら、これで分かっただろ?」
俺の言葉に母さんは「えっ」と素っ頓狂な声を上げた。
「アイツだよ。アイツ。咲。
居ないだろ?アイツの写真なんてどこにもない。」
「そ、そんなはずないわよ。
ほら、コレは翔の小学校の時のアルバムだから無いのよ。
咲ちゃんは咲ちゃんのアルバムにまとめてあるはずよ。」
「それでも兄妹で一枚も写ってないのはおかしいだろ。
ほら、これなんて完全に家族写真だろ。ここにも写ってないんぜ。」
俺が指差したのは初めて家族でディズニーランドに行ったときの写真。
シンデレラ城を背景に、とびきりの笑顔で大きなヌイグルミを抱えて大喜びしている俺と、その俺の両肩に手を置いて力強く微笑んでいる親父、そんな二人に寄り添って写っている母さん。
そんな幸せが溢れ出てくる家族写真。
ここに、実はもう一人写っていない子供がいる。なんてあり得ない。
俺が「ほら」と問い詰めると、母さんは顎に指を当てて考え込み「ああ」と何かを思い出した。
「そうよ、この時、咲ちゃん熱を出してディズニーランドに行けなかったのよ。」
「はぁ?熱を出した子供を放っといてディズニーランド?
あり得ねぇだろ。」
「何言ってるのよ。忘れたの?
どうしても行きたいって駄々をこねたのは翔じゃない。
飛行機もホテルも予約取ってあって、勿体ない、仕方ないからってお祖母ちゃんにお願いして咲のお守りをしてもらたんでしょ。」
「じゃあこれは?
子供会のクリスマス会の集合写真。
ここにも、いない。
それから家族で海に行った時の写真にもいない。」
「だって、ほら、あの子。
小さいときは体が弱くて、いつもすぐに熱を出してたでしょう?
だから写真が少ないのよ。」
あり得ないだろ。
どんな理由があったて、一枚も写真がないなんてあり得ない。
その事を不思議に思わないなんてあり得ない。
こんなおかしい言い訳を、おかしいと思わないことがあり得ない。
居ないはずの人間が居ること自体があり得ない。
あり得ない。あり得ないだろ。






