第48話 此方は此処におりまする。
前に投稿したエピソードと重なっている部分があります。
本来であればその部分は削除して編集すべきところなのですが、作業が繁雑になってしまうので、そのままの形で投稿させていただきます。
申し訳ありません。
『……翔』
顔を上げて周囲を見渡しても、誰も俺を呼んだ気配はない。
黒板に向かってカツカツと方程式の解法を書き綴る先生。
その方程式をノートに書き写すクラスメイト。
誰も無駄口なんて利かないで、真面目に授業に集中していた。
空…耳……?
聞こえてくるはずのない咲の声。
それが聞こえたように感じたのは、俺の勘違いか?
首を傾げて、前を向き直したとき、また声が聞こえた。
『……翔。此方は此処におりまする。』
空耳……じゃない。
それは確かにハッキリと俺の耳に届いた。
この声は、咲の声だ。
さ…!!
思わず慌てて教室を見渡たして、叫び出しそうになる声を何とか我慢できたのは、誰も何事もなかったかのように授業に集中していたからだ。
ただ教室には、森先生が黒板に書く方程式の解法のチョークの音がカツカツ響いているだけだった。
『どうか、此処より此方を放ち給え』
また咲の声が聞こえた。
だけど、みんなは変わらずにノートを取るのに真剣で、教室を見渡しても、誰も何も声に反応していない。何の素振りもしていない。
みんな、聞こえていないのか?
みんなには分からないのか?
俺には聞こえる。
咲の声が聞こえる。
ほかのみんなには聞こえない咲の声が、
俺だけには聞こえる。
そんな不思議な事、あるはずはない。ってことはない。ってことを俺は知っている。
咲は、鬼……らしい。
ある日突然、妹になって姿を現し、周りの人の記憶を書き変えたり、周りから姿を消して、記憶を掻き消したり。
そんな不思議な力を持った、鬼……らしい。
『咲!咲!!』
どれだけ心の中で叫んでも、咲の返事は帰って来ない。
ただ『此方は此処におります』と咲の声は繰り返すばかりだった。
『咲!!!
お前は……。
お前が鬼だなんて本当なのか?
どうしてお前は、人の記憶を書き換えたり、こうやって人の頭に声を届ける事ができるんだ?
お前は本当に鬼なのか?
なぁ、咲!答えてくれ!!
お前は……鬼なのか』
聞きたい事が沢山ある。
言いたい事が沢山ある。
けど、そんな事はどうでも良かった。
ただ、ただ、一目、咲に逢いたかった。
『咲!お前はどこにいるんだ!!』
『兄様……此方は此処におまする。』
俺の問いかけに咲が答えた。
その瞬間、まるで冬の朝の凛とした風が俺の頭の中をすっと吹き抜けたように、これまでのモヤモヤが一気に晴れた。
そして冬の日の澄み渡った空のように冴えた俺の脳裏には、ハッキリと咲の居場所が理解できた。
『此方は此処におりまする。』
次に頭の中に咲の声が響いたとき、一限目終了のチャイムがなった。
『待ってろ、今行く!』
俺は手早く鞄の中に教科書ノートを詰め込んで、「えっ、泉、帰んの!?」と声を掛けてきた同級生に「ちょっとな。先生には体調不良って言っといてくれ。」と言い残して教室を出た。
外は雨が本格的に降り始めていた。
傘を差して、逸る気持ちを抑えながらも早足で通学路を駅へと向かう。
こんな時にこんな雨が降るなんて。
一秒でも早く咲の下に行ってやりたいのに、傘を差したままじゃあ走る事もままならない。
水溜まりも避けずに靴が濡れるのも構わずに、早足でバス通りに出るとタイミング良く深井駅に向かうバスが止まった。
『此方は此処におりまする。』
ジャストタイミングでバスが止まり扉が開くと、俺は手早く傘を畳んでバスに乗り込んだ。
そしてバスは深井駅に向けて発進した。
途中のバス停で乗る人も下りる人もいなくて、それどころか信号に引っかかる事もなく、バスはノンストップで深井駅に到着した。
『此方は此処におりまする。』
早足で駅の改札を通り抜け、ホームに上がったときに下りの電車が到着した。
電車は俺が飛び乗るのと、同時に扉が閉まってゆっくりと動き出した。
『此方は此処におりまする。』
『分かってる。もう少しだ。』
俺は咲の声に導かれるように泉ケ丘で電車を降りると、迷う事無く南口のバスターミナルを目指した。
そこには一時間に一本しかない畑行きのバスが待ち構えていて、またまた俺が乗り込むと同時に扉が閉まって走り出した。
『もう少し、もう少しだ。』
バスの中には俺しかいなかった。
途中のバス停で乗る人もおらず、またしてもバスは信号にも捕まらずノンストップで走り抜けていく。
行き先は、櫻井神社だ。
バスは泉北高校の前の坂道を下り、旧村の道へと曲がる。
そして片蔵の交差点を左折して、次のバス停が櫻井神社前なのを確認して俺は降車のブザーを押した。
『ここにいるんだな。』
『此方は此処におりまする。』




