第37話 鬼退治
ハァハァハァ。
胃の中の物を吐き出したからか少しは目眩も治まって、それでも急に動く気にもなれなくて、私はそのまま床に寝転んだ。
どうしちゃったんだろ?
これがただの体調不良だなんて思えなかった。
だって、握りしめた丑寅の鈴が小刻みに震えて熱くなってる。
なにか鬼と関係があるとしか思えない。
お祖父ちゃん、どうしたの?なにがあったの?
鬼に、咲ちゃん……に……。
……あれ……咲ちゃんって誰だっけ?
そうよ、翔の妹の咲ちゃんよ。
でも、翔は一人っ子で妹なんていなかった。
でも、翔と咲ちゃんは同い年の兄妹で、いつも保育園で一緒にいて。
でも、保育園にも小学校にも咲ちゃんは……
……いた。
……いなかった。
また目の前がグルグル回る。
まるで目一杯に回した遊園地のコーヒーカップの中にいるみたいにグルグルグルグル。
床の上に大の字になって腕で目を覆って、それでも私は咲ちゃんの事を考えていた。
おかしい。おかしい。おかしい。
咲ちゃんはいた。
一緒に保育園に通って、小学校に行って、遠足に行って、お泊まり会もして。
でも咲ちゃんはいなかった。
小学校の教室にも、遠足の日にも、卒業式の日にも。
変だ。おかしい。こんなの間違ってる。
私の中に二つの記憶がある。
咲ちゃんがいた記憶と咲ちゃんがいなかった記憶。
目眩が治まり、吐き気が治まり、……そして記憶の混乱が収まった。
今の私には二つの記憶がある。
咲ちゃんがいた記憶といなかった記憶。
そんなはずはない。
そんなことあるはずがない。
けど、今の私にはどちらの記憶が間違っているか区別は付かずに、ただ歴然と事実として二つの記憶が並行して存在している。
「これが鬼に化かされるということ……」
そんな事分かるはずがない。
けどそう考えるしかない。
そして咲ちゃんがいた記憶が間違った記憶で、いなかった記憶が正しい記憶なんだ。
そう理解が出来たからなのか、今までの目眩が嘘のように治まって、
私は洗面台の戸棚から雑巾を持ってきて汚れた床の後始末をした。
ほんと、カーペットじゃなくて良かった。
床を拭き終わって窓の外に目をやると、外はもうすっかり暗くなっていた。
家の前の道路を音を立てて何台も車が通り過ぎていく。
そんな中で一台、ジャリジャリと音を立てて神社の敷地に入ってくる軽トラがあった。
お祖父ちゃんが帰ってきた。
今あったことを話そう。聞いて貰おう。
そう思って窓から乗り出して軽トラが入ってくるのを見下ろすと、その軽トラの荷台に信じられない物が乗っていた。
「咲ちゃん!」
荷台に咲ちゃんが乗っていた。
まるでマネキンのようにピクリとも動かず、仰向けに乗せられて、そしてその胸元には深々と日本刀が突き刺さっていた。
咲ちゃん!お祖父ちゃん!
突き破るくらいの勢いで開けた部屋のドアがバンと大きな音を立てる。
階段を二段飛ばしに駆け下って、悠長に靴を履いてる暇も惜しい。
運動靴を踵踏みして家から飛び出すと、お祖父ちゃんが何事もなかったかのようにゆっくり運転席から降りてきた。
「お祖父ちゃん!咲ちゃん!」
「お前にもこの姿が見えとるんか。」
「何言ってんのよ!咲ちゃんが!」
軽トラの荷台に飛び乗って、咲ちゃんを抱きかかえる。
暖かい。まだ生きてる。
早く病院に、お医者さんに……。
「落ち着け三琴。」
慌てて咲ちゃんを抱き起こそうとする私の後ろからお祖父ちゃんの冷静な声が聞こえた。
何言ってるのよ。どうしてそんなに落ち着いていられるのよ。
もしかしてお祖父ちゃんが咲ちゃんを殺しっちゃったの!?
振り返ると厳しい目付きをしたお祖父ちゃんが私と咲ちゃんを睨み付けていた。
「三琴。よう見てみい。」
お祖父ちゃんの言っている意味が分からない。
体中から脂汗が出て鼓動は治まらずパニックを極めた頭で、それでもお祖父ちゃんの声に咲ちゃんの姿を見直すと、今度はスッと頭から血の気が引いていくのが分かった。
生きているはずがない。
胸に突き刺さった日本刀、鬼切り頼光は確かに深々と咲ちゃんの胸元に突き刺さっていた。
けど、咲ちゃんの身体からは血の一滴も流れていなかった。
咲ちゃんの身体はまるでただ眠っているかのように暖かく、小さくけれど健やかに呼吸をしていた。
それに……あまりに慌てて気にも留めていなかったけど、咲ちゃんの服装も普通の服じゃなかった。
和服……とはまた違ったその服装は、まるで昔話に出てくる乙姫様が着ているような服だった。
「お祖父ちゃん……これって……」
「親父、三琴、どないしてん?」
振り返って聞いた言葉を遮ったのは、家から出てきたお父さんだった。
「これは……和田川の御神木やんなぁ。」
お父さんは私が抱きかかえる咲ちゃんの姿を覗き見るとそう暢気な声を上げた。
「せや、これからこっちの社殿にお祀りするのにそのまま置いとく訳にもいかんやろう。
御神殿まではいかんでも、なにか納めるもんでも拵えようと思ってな。
電話口で寸法を言っ(ゆう)ても上手く伝わらんから実物を見て貰ってたんや。」
御神木……。
お父さんには咲ちゃんが見えていない。
咲ちゃんが御神木に見えている。
そんなはずはないのに、そう考えるしか辻褄が合わない。
「取りあえず話は済んだから、三琴に御神木を本殿に戻すのを手伝って貰ってるんや。
どや、三琴、一人で持てそうか?」
「う、うん。」
間違いない。お父さんには咲ちゃんの姿は見えていない。
「見た目は大きいけど水気は抜けとるからそう重くはないやろ。」
まるで全てを見透かしているようなお祖父ちゃんの言葉。
いや、そうじゃない。
知っているんだ。経験している。
お祖父ちゃんが前に鬼を封じたとき、「他の人には鬼の姿は古木のようにしか見えてなかった」って言ってた。
だから、お父さんには咲ちゃんの姿は御神木にしか見えていないんだ。
「とりあえず納めるもんが出来るまで、御神木はこのまま社殿に置いとこか。」
咲ちゃんを寝かせた社殿で、お祖父ちゃんはその咲ちゃんの四方に縄を張り結界を張っていた。
胸に深々と鬼切り頼光が突き刺さり、それでも小さく息をして眠っている咲ちゃん。
ううん。咲ちゃんじゃない。これは……鬼だ。
その四方に結界を張り終わって、私の鬼退治は幕を閉じた。




