第34話 気付かない振り
気が付けば朝になっていた。
一睡もしていないような、浅い夢を見たような。
どこか暗い洞窟のような所で迷子になっている咲の夢を見たような気もする。
寝不足のどこかピントの合わないボウッとした頭でベッドから這い出ると、俺はいつもの通りに制服に着替えて教科書とノートを鞄に詰めて一階へと階段を降りた。
昨日聞こえていたドライヤーのブローの音は聞こえてこない。
キッチンでは親父がいつものようにテレビのニュースを聞きながら新聞片手に朝ご飯を食べていた。
母さんもいつもと同じくシンクに向かって忙しくお弁当を作っていた。
テーブルに置かれた弁当箱は二つ。
俺と親父の分だ。
咲は帰ってきてないのか。
記憶と共に現れて、記憶と共に消えていく。
そんな咲のことを話しても親父は母さんは理解できない。
里中や三琴に相談したところで、今度は何のゲームに嵌まってんだよ。」って茶化されるのが関の山だ。
結局、昨日一晩中寝ないで考えて、出てきた答えは『考えない事』だった。
どうして咲はいなくなったのか。
どうして咲は現れたのか。
どうして咲は記憶と共に現れて、記憶と共に消えるのか。
そしてどうして俺には、咲のいなかった記憶もいた記憶も消えずに残っているのか。
いくら考えても答えは出なかった。
集団催眠にかかっている。とか、まだ醒めない長い夢を見ている。だとか。
思いつく答えは納得には程遠く、終いには考える事が無駄にさえ思えてきた。
咲、どこにいるんだろうなぁ。
心配なのは心配だ。
だけど俺にできることは何もない。
警察に言ったって、親父や母さんに言ったって、里中や三琴に言ったって、返ってくる答えは「咲って誰?」って事だけで、一向に話は通じない。
それに多分、事故とか事件に巻き込まれたって訳でもないと思う。
もしそうならみんなの記憶から消えてることが腑に落ちない。
記憶と共に姿を現したのなら、記憶と共に姿を消した。
そう考える方が自然だ。……理屈は分かんねぇけど。
でもそうだとしたら、また咲が現れたその時にみんなの記憶の中に咲の事が甦るんだろう。……多分。
そして何事もなかったかのように、また咲と一緒に暮らすようになる。
多分、そんな風になるんだろう。
それがいつになるか分からない。
明日なのか一週間後なのか。
でも俺にできる事なんて何にもないんだ。
キッチンに咲の姿がない事に少しの寂しさを感じながら、俺は眠気ばかりが先立っていまいちエンジンのかからない頭をスッキリさせようと、洗面台へ向かった。
目の下のクマ、寝癖の頭、生気のない顔。
鏡に映る自分の面に「酷い(ひでえ)面」と悪態ついて、勢いよく出した水を両手に掬って顔を洗う。
ちょっとは目が覚めたか。
洗面台の脇に掛けられたタオルで顔を拭いて、元に戻そうと洗面台の棚にタオルを掛けたとき、その奥にあったアルものが無い事に気が付いた。
咲の歯ブラシがない。
洗面台の鏡の横にある小さな三段の棚。
その一番下の歯ブラシ立てには俺と親父と母さんの三つ歯ブラシだけが立てられていた。
あれ?
咲の歯ブラシは?
咲がいなくなって、咲の記憶がなくなって、咲の持ち物も消えたのか?
まさかそんなハズはないよな。
俺は歯を磨きながらキョロキョロとあるはずの咲の歯ブラシを探して、
嫌な予感が湧いてきた。
それはきっと今まで分かっていたのに分からない振りをしてきた気持ちの正体。
誤魔化しが隠しきれなくなって、現れた不安と恐怖と絶望。
咲の歯ブラシはほかのゴミと混ざってゴミ箱の中に捨てられていた。




