第33話 咲は消えたんだ。
咲がいない。
俺の前にいない。
この部屋にいない。この家にいない。
駅前のマクドにもミスドにもダイエーにもカラオケボックスにもいない。
それどころか、母さんや親父の記憶の中にも咲はいなくなっていた。
目の前には暗闇が広がっていた。
月明かりが照らし出す部屋の天井。
ベッドに仰向けになってどれだけ目を閉じていても眠気なんて全然起きない。
眠れない、いや眠れるはずがない。
暗闇の部屋の中でどれだけ時計の秒針がカチコチと時を刻んで分針が何周しようとも、俺はベッドの上で何度も何度も寝返りを打って、咲がどこに行ったのか考え続けた。
本当は今すぐにでも家を飛び出して、咲の行方を捜したかった。
間木や山西に電話をして、街中探し回って、それでも見つからないなら警察に行って……。
けど、俺は震える指先に勇気を込めて……でもLINEにメッセージを送る気力すら起きなかった。
『咲がいなくなった』
たったその一文が打てなかった。
「咲ちゃんって誰のこと?」
そういった母さんの言葉がまだ耳に残ってる。
「お前……何言ってるんだ?」
そう顔色を失い言い漏らした親父の声がまだ心に残っている。
それに里中だって咲のことを知らない風に話してた。
そう、咲はただ居なくなったんじゃない。
母さんの記憶からも親父の記憶からも咲の記憶が消えていた。
咲は……消えてしまったんだ。
そんな馬鹿げた事があるはずがない。
例え姿を眩ましても、人の記憶からその人の事を消すなんて出来るはずがない。
そんな事がある訳ない。
常識ではそうだ。当たり前ではそうだ。
……でも、俺は知っている。
今までいなかったはずの人間が急に目の前に現れて……。
無いはずの記憶がみんなの中にはあって……。
そんなあるはずのない事が……あったんだ。
そう、それは咲が俺の家に現れた時のこと。
咲が俺の前に現れたとき、何故か咲と過ごしていた記憶がみんなの中にあった。
この家で、俺の妹として、過ごしていた記憶が……。
辻褄の合わない記憶の誤差は思い違いやありもしない偽物の記憶で帳尻を合わせて、それで咲はこの家の、俺の妹だってみんな思い込んでいた。
あの時俺は咲なんていないって叫んでいた。
居なくなれ。消えてしまえと考えていた。
だから、いま、この状況が、何が起こっているのかが分かる。
分かってしまう。
咲が消えたんだ。
原因なんて、理由なんて分からない。
ただあの時と逆のことが起こった。
そう考えると全て納得できてしまう。
あの時、咲が現れたとき。
周りのみんなが咲のことを知っていて、咲がいる。今まで一緒に暮らしていたって偽物の記憶を信じ込んでしまった。
その逆の事が起こった。
いや、元に戻ったんだ。
あの時に俺が望んでいた、咲なんていない世界。
そんな元の世界に戻ったんだ。
でも、どうして、なんで……。
なんで、咲は消えたんだ!
どうして、今、今更なんだ!
どうして、どうして俺は、元の記憶を、咲がいなかった記憶を、咲がいた記憶を覚えてるんだ。
覚えてるんだよ!
もう、俺は咲の事を忘れる事なんてできなかった。
咲がいないなんて事にはできなかった。
咲と一緒に動物園に行った。
咲と里中と間木と竹田と山西と一緒に学校に行った。
これから一緒に新しい記憶を作っていこうと言ったんだ!
なのに、どうして……。
これならいっそ俺の記憶も消してくれれば……。と浮かび上がった考えを髪の毛を掻き毟って掻き消した。
駄目だ。そんな事を考えたら駄目だ。
もし、俺まで咲のことを忘れたら、咲は本当に消えてしまう。
この世に咲のことを覚えている人間が1人もいなくなって、この世と咲の繋がりが切れてしまう。
そうだ、咲のことを、この世の誰が忘れても、俺だけが覚えている限り咲との繋がりが切れたりしない。
この世から咲が消えたりはしない。
だから、きっと、絶対、何があって俺は咲のことを忘れたら駄目なんだ。
誰がなんと言おうと、何があっても、俺は絶対咲の事を忘れたりはしない。
もう一度「お帰り」って言ってやるんだ。




