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泉北の女神様  作者: 大和 政
第4巻 咲と俺
29/53

第29話 理不尽

 カレーライスの湯気の向こうで三琴は眉をひそめて儂の話を聞いとった。

「鬼に……化かされてる……?

私が……?」

「そうや。三琴。

お前、鬼に化かされてるんや。」

 そう断言しても、三琴はその言葉の意味を飲み込めずに、驚きと困惑の混ざった顔で儂の顔を眺めてた。

「鬼に……って……

じゃあ、咲ちゃんも……」

「いや、違う。

言うてるやろ。泉さんとこに咲ちゃんって子はおらへん。

せやのにお前も翔くんも咲っちゅう子のことを妹やと思ってるんやろ。

それはな、お前も翔くんもみんな、鬼に化かされてるんや。

鬼は……泉咲や。」


 そこまで言い切っても、三琴には儂の言葉を届かんとますます眉をひそめて疑り深い目で儂のことを見ると、三琴は自分の記憶に自信を持って言い切った。

「お祖父ちゃん、何言ってるのよ。

咲ちゃんが鬼のハズないでしょ。」

「ほんなら、なんで儂が咲ちゃんの事を知らんねん。

お前と同い年で、小さい時は一緒に片蔵に住んでたんやろ。

なら儂が知らんはずがない。」

「そんなのお祖父ちゃんの思い込みでしょ?

咲ちゃんは身体が弱かったから、あまり外に出てなかったのよ。

咲ちゃんが片蔵に住んでたのはもう何年も前のことだから忘れちゃったんじゃないの?」

「そんな事あるか!

あの時の子はみんな名前も言えるくらい憶えとる。」

「嘘よ!」

「違わへん!

ほんならその時のアルバムでも見るか?

入会式の写真にもミカン狩りの写真にも名簿にも、泉咲っちゅう名前はないわ!」

 そこまで言っても三琴は引き下がらずに、(しま)いにはホンマに蔵の奥から昔のアルバムと子供会の名簿を引っ張り出すことになって。

どうにか三琴の目が覚める事を祈って、そのアルバムのページを捲ったけど、それでも三琴の目は覚めんかった。

(つい)には三琴は儂からアルバムを()()()って慌てて最初から順にページを捲った(あげ)()に「いない。いない。」と繰り返して、最後に「そうよ。咲ちゃんは別の学校に通ってたんだ。」と言い始めた。

 ……そうか。鬼に化かされるとは……、こういうことか。

確かに一つ一つの言い逃れを聞くと、確かにそうかも知れん。そんな風に思える事や。

せやけどそんな言い逃れが次々と出てくる自体がおかしいと思わんか?

そのおかしいと思わん事自体がおかしいと気付かんか?

 結局、儂がどう言っても咲は儂の言う事に得心がいかずに、「お祖父ちゃんがド忘れしてるだけよ。」とまで言い始めた。

「ほんなら他の者にも聞いたら良え。」


 こうなっては何を言うても水掛け論や。

儂は覚悟を決めた。

まだ手を付けてないカレーライスを持って立ち上がると、「どこに行くの?」と聞いてきた三琴に「家や」と答えた。

三琴を連れて社務所を出て家に行き、「やっぱりカレーはみんなで食べた方が美味いから。」とか言い訳しながらダイニングで夕食の席について、浩一や千春さんが揃ったところで、

「ところで泉さんとこの娘さん。咲ちゃんって知ってるか?」と話を切り出した。

「泉さんって、昔、片蔵に住んでた?」

「そうや、守さんとこの子でな。咲ちゃんって娘さんおったやろ?」

「娘さん?翔くんじゃなくて?」

「もう引っ越しして随分経つからなぁ。

守さんとこ、娘さんができたんだ。

それで親父、その娘さんがどないしてん?」

 噛み合っているようで噛み合わない会話。

その違和感を一番感じていた三琴が「そうじゃなくて、咲ちゃんよ!」と声を荒げても、浩一も千春さんも首を傾げるばかりだった。

「翔くんと同い年でな。翔くんの双子の妹の咲ちゃんや。

どうや?覚えてへんか?」

 覚えてるも何も知ってるはずがない。

案の定、「何言うてんや親父。守さんとこに娘なんかおらんかったやろ。

誰かと勘違いしてんとちゃうん?」と言ったところで三琴は口を摘むんで俯いた。

「せやな、()()の子と勘違いしてたんやろか。」と言って、そこで儂は話題を打ち切った。

これ以上言い争っても飯が不味くなるだけや。

三琴はそれでも何か言いたげやったけど、元々儂と浩一は喧嘩の最中で、この食卓に家族全員が揃うのも久しぶりや。

三琴にこれ以上の追求はようできんかった。

「ほな、ご馳走さん。

儂はまだちょっと用事があるから蔵に戻るわな。

それから千春さん。

儂も明日からこっちで食べるから、まぁ頼むわ。」

 ここに来てしもたもんはしゃあない。

これで「明日からはまた蔵で飯を食べる」とはよう言えずに、軽く頭を下げると「いえいえ。」と食器を下げる背中越しに千春さんのホッとした声が聞こえた。




 さて、どないしたもんか。

流石にあれ以上は何も言えなかった三琴は自分の部屋に上がって、儂は一人で蔵に戻って煙草に火を付けた。

 どうやらやっぱり鬼は甦ってたらしい。

それは儂が一番恐れた事やった。


 あの日。

あの鬼を封印した日から儂は鬼の事が頭から離れへんかった。

もしあの封印が解けて鬼が甦ったらどないしよ。

もしあの鬼が封印された仕返しに儂の前に現れたらどないしよ。

そんな誰にも言えん悩みや恐れを打ち消すために、儂は鬼の事を調べるようになったんや。

鬼の逸話を扱った絵本や昔話や伝承を拾い集めて、鬼の伝説が残る地方へ出かけては、鬼の話が載った古文書や鬼が使ったと言われる道具なんぞを集めて。

気が付けば鬼の本やらけったいな品物なんかで蔵は一杯になっとった。

そして、鬼の事を調べるうちに儂はあの鬼の正体を知るようになったんや。


 ほんま、どないしたら良いんやろうか。

二本目の煙草に火を付けて、吐いた言葉は煙と一緒に宙に消えた。

どないしたら良いんか。(なん)(べん)考えても答えは一つしか出てこうへんかった。

「なぁ、横山さん。

なんであんたはあの時儂のところに来たんや。

なんであんたは儂にあんな事を言うたんや。」

 五十年前の大雨の時、「これは鬼の仕業や。」そない言うて儂のところに来た横山さん。

その話に乗せられて鬼を封印した儂。

その儂にも横山さんにも何も悪気があった訳やない。

だた儂らはあの時あの雨を止めるため、自分の生活を守るために精一杯の事をしただけや。

ただその結果、儂らは知らんながらに大きな間違いを犯してしもた。


「理不尽や……」

 この世の中にはどうしょうもない理不尽な事がなんぼでも転がってる。

七十歳を越えてそんな事はもう充分に分かってても、その理不尽が自分の身に降りかかればこんなに苦しい事はない。

ましてや、知らずに犯した過ちの帳尻を合わせるために、今度は分かって罪を犯すとなれば……。

せやけど、それでも、その帳尻を合わせるためには、この泉北を鬼の手から守るためには、それしか方法は思い浮かばんかった。

今までは……、せめてそんな事をせんで済むように。鬼が甦らんように。と祈っとったけど、とうとう恐れてた事が起こった。

恐れてた日が来てもうたんや。

「年貢の納め時やな。」

 儂は二本目の煙草を吸い終わってテーブルの下に手を伸ばした。

そこには一本の刀が入った刀袋があった。

儂はその刀袋を手に取って、固く結んだ結紐を解くと、中からは白木鞘で拵えた日本刀が姿を現した。


 それは鬼切り頼光。

千年も昔、源頼光が鬼退治に使ったと言われる刀。

そして五十年前、儂と横山さんが鬼を封印した刀。

その鬼が甦ったんなら、やっぱりこの鬼切り頼光でその鬼を封印せならん。

それがどんなに理不尽な事でも他に方法なんか思い浮かばん。

あの鬼からこの身を、家族を、そしてこの泉北を守る為。

その為には、分かってても延々とこの罪の上塗りを続けていくしかない。

儂と横山さん。神官と僧侶が犯した罪に神も仏もないんや。

そんな救いのない事に思い至って三本目の煙草に火を付ければ、溜息と一緒に吐き出した。

「なぁ、横山さん。儂ら仲良く地獄行きやで。」

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