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泉北の女神様  作者: 大和 政
第4巻 咲と俺
28/53

第28話 光明池の思い出

 もうずっと乗っている泉北高速の電車。

咲だってもう十日の間、登下校に乗り降りして慣れた様子で電車乗り込むと、電車はウィーンと音を上げて動き出した。

深井駅から泉ケ丘駅、栂・美木多駅、そして光明池駅。

窓から見える泉北一号線を走る車を眺めていると、十分ほどで光明池駅に着いた。

 ホームから階段を下って、咲は可愛らしいピンクのウサギの形をした定期入れを改札機にPiとタッチして駅の外に出ると、左右に分かれた通りの真ん中に立って、「お兄ちゃん、どっち?」と俺を振り向いて手を振ってきた。


「こっちだよ。こっち。」

 大袈裟に腕を振って指さしたのは左の方向、駅の南側の方角だ。

俺たちの家は駅の北側だから、いつも通る道とは反対の方向。

駅のこっち側は商業エリアでバスのターミナルやショッピングセンターのサンピア、ダイエーが建ち並んでいて、途中、ジャンカラの看板を見かけた咲は「これ何?」って指さして首を傾げていた。

「はぇ?咲、カラオケも知らないのかよ。

って、覚えてないのか?」

 咲のまさかの質問に気の抜けた声が口から飛び出して、落ち込みかけた咲の哀しげな顔に込み上げてきた笑いが混ざって口元がへの字に歪む。

……変な顔。

「だって、お兄ちゃんが変な声出すからイケないんでしょ。

それに、カラオケは知ってるよ。カラオケは。

マイク持ってテレビ見ながら歌詞を確認してみんなの前で歌うんでしょ?」

 うん。確かに間違っちゃいないが……。

「だからカラオケは知ってるの……。

でも……歌った……ことは、思い出せない……。」

 やっぱり……そうか。

込み上げてきた笑いは一瞬で、すぐにションボリと俯いた咲。

俺はそんな咲の肩に腕を回して力一杯に咲を引き寄せた。

「じゃあ、今度カラオケ行こうぜ!

咲のカラオケデビューだ。

里中とか三琴とかと一緒にさ。

なんだったら高崎も呼ぶか?

高崎も咲がいるなら来るんじゃねぇの?」

 記憶が無いんだったら、覚え直せば良い。

思い出が欲しいなら、思い出を作れば良い。

そんな俺の言葉を咲は信じられない物を見たような目で、瞳を大きく見開いて俺の事を見つめると、満面の笑みで「うん。」と頷いた。


 コムボックスの前を通り、「ここには何があるの?」って言う咲の質問に「百円ショップとか本屋とか服屋さんとか……」と答えると咲は「行ってみたい。」と目を輝かせる。

こうして増えていく咲の行ってみたい場所。

「じゃあ、ちょっと寄ってみるか。」と答えた俺を甘かったと反省したい。

女の子って服とか本とか見てるだけでも、あんなに夢中になるもんなんだな。

予想外に時間を使って、空は赤味が掛かってたけど、コムボックスを出た咲の楽しげな笑顔を見れば、悪い気はしない。

「じゃあ、他にもハーベストの丘とかラウンドワンとかにも行ってみるか?」

 そう言った俺に、咲は、

「うん。ハーベストの丘にはコアラはいるのかな?」と、さっきの沈んだ表情はもう完全に消え去っていた。

そんな風に俺たちは、お喋りしながら泉北四号線の歩道橋を渡り、光明池への緑道の坂を上って行った。


 そういやあの時もここを歩いたんだよな。

十日前、咲が家に来て、誰も俺の言うことを信じてくれなくて。

『これは蝶が人になった夢を見ているのか、それとも人が蝶になった夢を見ていたのか。』

そんな哲学めいた昔話に出てくる答えの出ない問い掛けを延々とグルグルグルグル考えていた時。

でも、もうそんな事を考える事自体、必要ない。

咲はいる。

それが全ての答えだ。

「ここの坂道、急だね。」と少し遅れて歩いてくる咲に手を差し伸べて、今度は二人で、あの時通り抜けた薄暗い木々のトンネルを通り抜けていく。

そうして緑道の坂道を上り切った先に光明池があった。


 光明池。

大阪でも一番大きな溜め池で、南葛城の山々が映る水面が視界一杯に広がる様子は溜め池と言うより、もう小さなダム湖だ。

実際、緑道から堤防の上に出ると周りのマンションより高くて、数㎞先の駅前のマンションまで見下ろせる。

 こんな大きな溜め池を目の当たりにして、

咲は「お兄ちゃん、ここ凄いね。」と、堤防の上から光明池の街を見下ろし、大きなカエルの石像を写メで撮ったり、柵に寄り掛かりながらさざ波の揺れる水面に映る山々を眺めていた。

「そうだろ?凄いだろ。」


 そうだ、思い出した。

ここは俺にとっても思い出の場所だった。

小学校の時に片蔵から光明池に引っ越しして来た俺。

街の事も駅前のお店も何もかも知らないで、友達もいなかった俺に、

一番最初に声を掛けてきたのが里中だった。

転校して初めて学校へ行ったその日、みんなの前で自己紹介をした俺に里中は元気よく「ハイハイ」と手を上げて、「どこから来たの?運動は好き?お昼休みにサッカーしようぜ!」と有無を言わせず質問攻めにして、そしてその日の放課後、おれは里中に誘われてこの光明池に来たんだ。

里中を中心に男の子ばっかり5人くらいで自転車に乗って、家の前の緑道から駅前を通り抜けて、坂道の緑道を立ち漕ぎで登り切って、ダム湖みたいな光明池を見た時、里中は俺の背中を叩いて「どーだ。スゲーだろ。」って言ったんだ。


 そうだ、思い出した。凄いだろ?って。(かぶ)ってるし。

気が付けば込み上げてくる笑いを押し止める事はできなかった。

ふっふっ。って止らない思い出し笑いに、咲がキョトンと首を捻っている。

「いや。思い出したんだ。

どーだ。スゲーだろ。って、里中が俺に言ったんだ。

ほら、咲には言ったっけ?

俺、小学校の時に片蔵から光明池に引っ越ししてきてさ。

今ならすぐ近くで自転車で行けるような距離だけど、小学生の俺には全然違う街に来たような気分でさ。

街の事は分からない。友達もいない。

ひとりぼっちでこの街に来た俺に声を掛けてくれたのが里中だったんだ。

…なぁ、咲。

だからって、お前の気持ちが分かるなんて言えない。

けど、同じように知らない街に放り出された経験は俺にだってあるんだ。

あの日、里中が俺をここに連れてきてくれたみたいに、この街の事を教えてくれたみたいに、今度は俺がお前にこの街の事を教えてやるから。

これからは、過去の記憶を探すだけじゃない。

これからの思い出も作っていかないか?」


 そんな事、言わなくたって伝わっていたと思う。

けど、大切な想いは声にしないと伝わらない。

心の中で思っているだけの想いを声に出すのは決意だ。

儀式だと思う。

そんな俺の思いが伝わったのか、咲は息を飲み込んで俺の方を見つめた。

西に傾いた太陽が咲の背を黄金色に染め上げていた。

ああ、これはまるで今朝見た夢みたいだ。

けど、今朝見た夢とはまるで違う。

今朝見た夢は俺が咲を別れた話。

けど、今俺が言っているのはこれからも咲と一緒にいるって事だ。


 そんな俺の決意の前に、咲は何を躊躇っているのか言葉を探しあぐねるかのようにモジモジと俯いて指を動かし、一言、一言、確認するかのように言葉を紡ぎ出した。

「だっ…て、お兄ちゃんは……私が、妹じゃない…って。

それを確かめるために、私の記憶を捜してるんでしょ?」

 ほら、想いは言葉にしないと伝わらない。

「違うよ。

いや、最初はそうだった。

けど、今は違う。

やっぱり俺は咲が悲しむような姿を見たくない。

咲が喜ぶ顔を見たいんだ。

だから咲が思い出を思い出したい。って悲しむなら咲の記憶を捜したい。

新しい思い出を作って喜ぶなら、一緒に新しい思い出を作ってやりたい。

だって、咲は俺の大事な妹だからな。」

 そう言った瞬間に咲の長い髪が揺れた。

そして咲は俺のシャツを掴んで顔を押しつけた。

「お兄ちゃん……。お兄ちゃん……。お兄ちゃん……。」

 そう繰り返す咲の頭を優しく撫でてやると、フワッと柔らかな香りが俺を包み込んだ。

「おい、なんか誤解されるだろ?」

「いいもん。私はお兄ちゃんの妹だから、変な事はないもん。」

 別に本気で周りの目を気にしてる訳じゃない。

それより今は咲の気持ちの方が大切だ。

咲だってそんな俺の気持ちを感じ取ってるのか、拗ねたような口ぶりでますます顔を俺の胸に押しつけると俺の背中に腕を回してギューッと力を込めてくる。


おい、咲。こんな事をされたら……ドキドキするだろ。

なぁ、咲。分かってんのか?

お前にとって俺はお兄ちゃんでも、俺にとってお前は……。

でもその続きの言葉は出てこなかった。

その答えを出してしまうと、この関係が変ってしまいそうで、壊れてしまいそうで。

だから俺は自分の気持ちに蓋をした。


そうだ、俺は咲のお兄ちゃんなんだ。




「じゃあ、帰ろうか。」

 そう切り出したのは日も落ちて、太陽の残光が空を紫に染め上げた頃だった。

別に何かをしていた訳じゃない。

ただ、光明池の堤防に腰を下ろして街を見下ろしながら咲をお喋りする時間が楽しくて気が付けばこんな時間だった。

 逢魔ヶ時、いや誰彼時かな?

迫り来る夜の闇に影はその色を濃くして闇に染まっていた。

「ここの緑道には灯りがないからな。日が暮れると真っ暗だ。

そうなる前に帰ろうぜ。」

 どっちがって訳じゃなかった。

ただ俺と咲の手は、足元の怪しくなった緑道に用心するように自然と重なって、「気を付けろよ。」と俺は優しく咲の手を引いた。


 緑道を抜けてコムボックスの前を通って、駅に向かって歩いているうちに電車が到着したんだろう。駅から押し寄せる人の波に気恥ずかしくなって、咲から手を離した。

丁度そのとき、里中からの電話が鳴ったんだ。

「悪りぃ、咲。ちょっと里中と電話だ。」

 鞄からスマホを取り出して通話ボタンに触れる指が僅かに震えていた。

けど、逃げる訳にはいかなかった。無視する訳にもいかなかった。

それに俺は思い出したんだ。

 里中は悪い奴じゃない。

馬鹿で単純で難しいことなんか考えない奴だけど、その分、素直で純粋で真っ直ぐな奴だ。

通話ボタンをスライドさせるちょっとの間に俺は迷う心にケリを付けて「なんだ、里中」と電話に出た。


 僅かに流れる無言の時間。

里中のことだ。何か言わなきゃ。って気持ちだけで、何を話すか考えもしないで電話してきたんだろう。

「用が無いなら切るぞ」と言うと「いや……あの……さ。」と、軽い頭をフル回転させて言葉を捻り出そうとしている里中の困惑の声が漏れた。

「冗談だよ。

なんだ?部活終わったのか?」

「えっ。あ……ああ。

さっき部活が終わって、今は光明池に帰ってきたところ。

お前は?」

 多分、相当堪(こた)えていたんだろう。

わざわざ答えやすいように選んだ俺の質問に電話越しの里中の潜った声に安堵の色が広がっていた。


「俺も今、光明池の駅前にいるんだ。」

「そ、そうか。

ならさ、少し会えねぇか?

今朝はさ、俺もちょっとテンパってて怒らせるような言い方になっちまったけど。落ち着いてさ、もう一度ちゃんと話ししたいんだよ。」

 里中は今、どんな顔をして電話をしてるんだろう。

きっと額に脂汗を浮かべながら一生懸命に話してるんだろう。

「いいよ。

それに今、咲と一緒なんだ。」

 そんな俺の言葉に一瞬、里中の言葉が途切れた。

その間に「咲と変わろうか?」と言ってやると、里中は「えっ?いや……その……」とまた電話越しに困惑の色が広がった。

「良いんだよ。マジで。

俺も今朝はビックリしてあんな態度になっちまたけど、ちょっと落ち着いた。

それにお前と咲の話だろう?これは。」

「そ、そうか……じゃあ悪い、咲ちゃんと変わってくれ。」

 そう言う里中の言葉に電話から耳を離した瞬間、スマホから「翔、すまねぇ。」と言う里中の声が小さく聞こえた。

 その言葉に返事するタイミングを逃して、そのままスマホを咲に渡すと、咲はスマホに耳をくっつけて「なぁに?さとちん。」と何の事情も知らないまま「うん。うん。」と返事を繰り返していた。

「……お兄ちゃんは?……うん。分かった。」

 分かってる。里中は悪い奴じゃない。

今だってわざわざ電話する必要なんてなかった。

ちょっとくらい気まずくたって明日にだってまた会うんだ。

それを律儀にわざわざ電話を掛けて。

電話越しにうんうん頷いて里中を話している咲を横目にしながら、俺は里中のことを思い起こしていた。

そうだな。少なくとも俺がどうこう言う必要はねぇか。

「うん。じゃあ後でね。」

 そういってスマホから耳を離した咲が「さとちんが私に話があるんだって。それでね……」とちょっと言い辛そうに話を切り出すと、俺は「分かってる。俺は先に家に帰ってるから。」と告げた。

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