第26話 里中の恋心、男心
家の外は、うだるような暑さが続いていた。
暦の上ではもう秋のハズなのに、降り注ぐギラギラの太陽の光を浴びる木々の枝からは蝉の大合唱が聞こえていた。
「全く、いつまで夏が続くんだよ。」
結局この夏は異常気象の連発で、大型台風に気温四十度超え、テレビのキャスターは毎日のように温暖化の温暖化と連呼していた。
「でも、最近は日が暮れると秋の虫の音も聞こえるよ。」
そんな風に悪態をつく俺に、咲は柔らかなフェイスタオルを取り出して俺に手渡してくれる。
「サンキュー。」
額に流れる汗を拭き取って首筋を拭うと俺はそのタオルを咲に返した。
「やっぱりそれでも秋は近づいてるんだよなぁ。」
どんなに異常な暑さでも自然のサイクルは変らない。
酷暑と呼ばれる夏が過ぎ、次には少し短めの秋が来る。
自然って偉大だ。
「そう、どんなに熱くても夏は終わって、もう秋は始まってるの。
お兄ちゃん、秋の実力テストは来週なんだからね。
分かってるの?」
「っちょ。今はそんな話じゃなかっただろ?
なんかこう、自然って偉大だなぁ的な?。」
「だって、お兄ちゃん。全然勉強していないんだもん。」
俯き加減でこっちを睨んでくる咲の視線は本気で俺を心配していて…糾弾していた。
「だ、大丈夫だって、実力テストは定期テストとは違うんだから。」
別に何が大丈夫かなんかは言わないけど、今さら慌てても仕方が無い。
それに成績には反映されない実力テストだ、別に慌てる必要もない。
「そんな事言ってたら、お兄ちゃん。私に負けちゃうかもよ?」
そんなまさかの一言にビックリして咲の顔を見ると、咲は口元を上げてイジワルそうな微笑みを浮かべて俺を見ていた。
咲、それ好きな子をからかう小学生みたいだぞ。
「へぇ、お前こそ大丈夫なのか?そんな事言ってて。」
「だって私は真面目にお勉強してるもん。
それに、実力テストは補修がないから大丈夫だ。って。」
『って』ってなんだよ。『って』って。
一体誰からそんな入れ知恵をされたのか。
そんな事を喋っている内に後ろから里中が追いついてきて「なに?試験の話?」と話しに混ざってくる。
「俺は大丈夫!
先週は毎日放課後、学校に残って勉強してたんだぜ!?
試験勉強はバッチリよ!!」
「よく言う。
お前、夏休みの宿題サボったのがバレて居残りさせられただけじゃねぇか。」
「それでも勉強は勉強。なんなら勝負するか?」
「あぁ?乗ってヤンよ。
負けたらジュース一本奢りな。」
「言い訳なしだかんな。」
里中が半袖シャツの袖をめくり運動部らしく日に焼けた二の腕に大きな力こぶを作った。
これで馬鹿じゃなかったら、コイツ結構モテるんだろうな。
いや、もうモテてるような気がする。
よし、今度のテストは手加減無しだ。
「咲、お前も勉強付き合え。
勝ったら里中が何でも好きな物買ってくれるってよ。」
「ジュースだろ!!」
叫ぶ里中に咲は目を輝かせて上目遣いに「ありがとうサトチン」と両手を合せる。
女子のおねだりのポーズは破壊力満点だな。
ほら、里中まで顔を赤くして焦ってら。
三人ヤイヤイ言いながら緑道を歩いている内に間木や竹田、山西も合流。
いつものメンバーが勢揃いする頃には、駅はもう目の前で沢山のサラリーマンや学生達が駅の改札口に吸い込まれていく。
俺たちも鞄から定期券を取り出して改札機にタッチするといつものように階段を上っていく。
「あ、わりぃ。
ちょっと便所に行きたいから先行っててくれよな。」
ちょうど俺が階段を上ろうと足を掛けた時だった、目の前にいた里中が足を止めると「ちょっと付き合えよ」と肩に手を掛けた。
電車はもうすぐに来る。
なんとなく里中がワザと俺に声を掛けたような気がして「悪いけど俺も。みんな先に行っててくれ」と階段を下った。
予感は的中した。
トイレの後、里中はみんなが電車に乗っていなくなったのを確認して、
俺を人気の少ないホームの端に誘った。
「……で何の用だよ。」
ここは鉄道マニアの御用達のでっかいカメラを持った奴がよくいる場所だが、里中にそんな趣味があるなんて今まで聞いたことがない。
何か人に聞かれたくない話なんだろうな。とは見当が付いたものの、それがどんな話かはまるで見当が付かない。
何か詫びを入れるつもりなのか?
それとも逆に何か俺を追求するつもりか?
けど、どちらにしても俺にはちっとも心当たりがない。
そんな風に考えてる間、里中も足下に視線を落としたり空を見上げたりして落ち着きなく視線を動かすと、いよいよ覚悟を決めたのか一歩俺へ歩み出して、
真っ直ぐ俺の目を見据えて里中は「好きなんだ。」と呟いた。
……
…………
………………
「はぁあ?」
なんだ。全く理解が追いつかん。
好き?誰が?何を?なんで?
なんだ……これは?
もしかしたらこれは新手の嫌がらせか?
そうか、里中。嬉しいよ。実は……俺も何だ。
そう言ってやったらいいのか?
いいのか?マジか?冗談か?
そんな混乱の嵐に包まれている俺の事に気がついて、
里中は「咲ちゃんだよ。」と言葉を継ぎ足した。
それでも俺の混乱は収まらない。
なんだよ。それどういう意味だよ。
そんな文字通りの、言葉の裏なんてあるはずないのに、ただ頭の理解に感情が追いついてこない。
「じ、実はさ。
結構前から俺、咲ちゃんの事可愛いなって……思っててさ。
それでもう近いうちに告っちまおうって、……思っててさ。
それでもし告ったら、どうせその話しはお前にはバレちまうし。
でもさ、正直、俺、お前とはギクシャクしたくなくてさ。
だから先にお前には話し通しとこうって……思ってさ。」
誰も近づかないホームの端で里中は一言一言絞り出すように言葉を紡いだ。
正直に、誠実に、真っ直ぐに。
でも違う。
それは違うよな。
「前からって。いつからだよ。」
腹の底から湧き上がってくるのは苛立ちの感情。
それを隠すことなく言葉に添えると、里中は慌てて手を振って言い訳のように言葉を紡いだ。
「前って、……前だよ。
ってか、いつの間にか。
小学校の頃から一緒にいて、それであんまり好きとか嫌いとか気にしてなかったけど、一度気になると駄目でさ。
好きなんだよ。咲ちゃんが。」
ほら、そこだよ。そこが違うんだよ。
小学校の頃から?
よく言う。
そんなんでよく咲の事が好きなんて言えるよな。
咲がここに来たのはほんの十日前のことだ。
それまではどこにもいなかったんだ。
それなのに、なんだ。「いつの間にか咲のことが好きになってた」って。
お前のその記憶が偽物なら、その気持ちも偽物って事じゃないのか?
どうなんだよ、違うのか。
喉まで出かかった台詞を俺は必死に飲み込む。
それはダメだ。言ってもどうせ通じない。
それは言うべき言葉じゃない。
だから俺は言葉じゃなく視線で拒絶の意思を伝えると、それでも里中は俺の肩をグッと引き寄せて里中は真剣な眼差しを俺に向けてきた。
「俺はマジなんだ。
でも、お前とケンカしたい訳じゃない。
急にこんな事言われても訳分かんなくなるのも分かる。
でも、だから俺はまずはお前に打ち明けたんだ。
俺は咲ちゃんが好きだ。
それだけなんだよ。」
ウゼよ。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、睨み付けるように里中を振り返ると、あいつはその場で足を止めていた。
「先に行けよ。
俺はもう一本後の電車で行くから。」
たぶんもう何を言って良いかも分かんなくなったんだろう。
それは俺も同じで「悪りぃな」とだけ言い残して俺はホームに到着した電車に乗り込んだ。
電車のドアが閉まって、ガタリと電車は動き出した。
窓の外を見れば、ホームの端にいる里中が目に入るんだろうけど、俺はそれが嫌で窓に背を向けてドアにもたれ掛かった。
なんなんだよ。
なんだ?なんだってんだ。畜生!
胸の底から沸いてくる無性の腹立たしさに、時速百キロで走る電車さえ「もっと早く走れよ!」と苛立ちを感じる。
なんだよ?なんでだよ?
底無しに沸き立つ苛立ちとその原因が分からない事が、更に苛立ちを大きくする。
なんでこんなに苛立つんだよ、俺は!
何にも知らないくせに、それなのに里中の奴が咲を好きになったって事に苛立つのか。
ついこの間までいなかった咲の事を「昔から気になってた」って、そう言った里中の言葉に苛立つのか。
でもそれは里中のせいじゃない。
俺の親父や母さんでさえ、咲のことを生まれたときから一緒に暮らしている家族だと思い込んでいるんだ。
里中が咲のことを小学生の頃から一緒に遊んでいる幼馴染みだと思い込んでいても仕方のないことだ。
でもいくら頭でそう理屈を整理しても苛立ちは治まらない。感情が追い付いてこない。
咲は俺の妹なんだよ。
苛立ちに紛れて頭に浮かんだ言葉。
その言葉でいきなり霧が晴れた。
いままでモヤモヤしていた苛立ちの原因がハッキリと姿を現した。
俺は、里中が咲のことを幼馴染みだと思い込んでいる事に苛立ってるんじゃない。
里中が咲がつい最近まで俺たちの前にいなかったことを知らないことに苛立ってるんじゃない。
俺は……、里中が咲を好きになった事に苛立ってるんだ……。
これは……嫉妬だ。
なんだ?なに考えてるんだよ、俺は……。
もうマジでなにがなんだか分からなくなってきた。
だって、咲は俺の妹なんだ。
妹のことを好きになった奴に嫉妬するなんて、兄貴として普通じゃない。
でも、ハッキリと姿を現した苛立ちの原因は間違いなくて、俺は里中が咲のことを好きになった事に苛立っている。
この感情は普通のことなのか?当たり前のことなのか?
例えば、結婚式で泣き出す父親なんてドラマなんかでもよくあるよな。
その前の初めての彼氏との挨拶で怒り出すやつとか。
だから……妹を取られるとか、そんな風に感じるのも普通のことなのか?
考えても考えても考えがまとまらない。
苛立ちと焦りと不安が考えを浅いところで空回りさせて、同じところの堂々巡りだ。
そうこうしてるうちに電車は深井の駅について、俺は一人で電車を降りた。
先に行った咲と間木と山西はそのままバスに乗って学校に行ったみたいで、もしかしたら深井で待っててくれてるか?なんて考えてた俺の淡い期待は見事に裏切られた。
とはいえ当然、今は里中には会いたくない。
あいつだってそうだから俺を先に行かせたんだ。
仕方なく俺は一人でバスに乗って学校に向かった。
バスに揺られながらでも俺の思考は堂々巡りで、果たして俺はどんな顔をして咲に会えば良いのか?なんて、とうとうそんな事まで考えるようになったとき、ついにバスは学校の前に到着して、俺は学校の門をくぐった。




