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泉北の女神様  作者: 大和 政
第3巻 鬼探し
24/53

第24話 別れの夢

 初めて泉に逢ってもう一年ほどが経っていた。

出会いは運命的って程じゃなく、むしろ滑稽と言った方がピッタリと来る感じだったけど、それが良かったのかも知れない。

肩を張らず気を張らず、俺は泉と会う度に自然と頬が緩むのを嬉しく楽しく、そして幸せに思うようになっていた。

その幸せが大きくなるほどに、もう一つの幸せが追いやられていくのも感じていた。


 咲か。泉か。

いずれはどちらかを選ばなきゃいけない。

もしかすれば、いつかどこかで泉への想いは膨らむのを止めて、

そんな考えたくもない二者択一の時なんて訪れない。

そう残念な未来を期待していたが、現実は、愛は残酷だった。

膨らみ続ける泉への想いはいつまで経っても止まらないで、ついにもう一つの幸せを俺の心から追い落とした。


 その日、いつものように岩湧く山の頂から西に沈みゆく夕日を眺めながら、俺は咲が帰ってくるのを待っていた。

和泉の山々は木々は黄金色の夕日に照らされて、遠くに見える明石の海もキラキラと黄金色に輝いていた。

 もうじき夜が訪れる。

木の実を野草を川魚を捕らえに山に入っていた咲ももうすぐ帰ってくるだろう。

その時に答えを出す。

でも、俺はちゃんと咲に言わなければならないことを言えるのか。

考えれば考えるほど、喉の奥はカラカラに渇いて、手の平にはビッショリと汗が広がっていた。

駄目だ。

動揺するな。冷静になれ。落ち着いて。事実だけを伝えよう。

絶対に、動揺していることを知られるな。

嫌われるんだ。

そう、嫌われる。

それで良い。そうでないとダメだ。

 背中から迫る足音に咲の気配を感じて、俺は手の平の汗を握り潰すかのように拳を握り締めて「俺は山を下りる。」とそう咲に告げた。


「何を言うのじゃ兄様。

また里へ行くつもりか?

ならばわざわざ此方に断りを入れずとも、いつものように行けば良いではないか。

それとも暫くは帰らぬ。と。」

 それもそうだ。いきなりこんな話をされて理解できるはずもない。

一体何の話を始めるのかと、訝しげに首をひねる咲に、

俺は「泉と添い遂げる。」と、ただそう言うのが精一杯だった。


「兄様。少しは落ち着きなさいませ。

兄様がいかに思いを重ねようとも相手は所詮人の子。夫婦などにはなれませぬ。」

 そんな俺の決死の思いを込めて言い放った俺の一言を咲は溜め息混じりに一笑して、まるで子供に何かを言い聞かせるかのようにゆっくりと落ち着いた口調で答えた。

そう。相手は所詮人の子。夫婦などになれるはずがない。

けど、それでも俺の思いは止められなくて、だから俺は覚悟を決めたんだ。

「ならば我も人の身となり、泉と共に生き、泉と共に死ぬつもりじゃ。」

 流石に、この言葉には咲も言葉を失った。

まさか俺の覚悟が泉への想いが、ここまで大きいものだとは思いも寄らなかったのだろう。

咲は言葉を探して口をパクパクと動かして、ようやく理解が追いついたのか。

言うべき言葉を見つけた咲は、一つ大きく息を吸って、重く冷たくハッキリと、

「なりませぬ。」

と言葉を吐いた。


「いいですか、兄様。

泉という女、所詮は人の子ではありませぬか。

此方らのように千年、二千年とは生きて往けませぬ。

故にいずれは死に別れることとなりましょうぞ。」

 そうだ。それは咲の言う通りだ。だから…

「故に我も人の身となり、共に人の子として生終まで添い遂げようというのだ。」

 今度こそ咲は言葉を失った。

咲の考え得る常識を飛び越えた答えに、咲はただ驚きとも悲しみとも分からない表情を浮かべていた。

「兄様?正気か?

何故兄様がその女の為にそこまでの事をするのじゃ。

共に添い遂げたいと言うのなら、なにも人の身とならずとも、このまま今のままその女と祝言を挙げれば良いではないか。

そうじゃ。いずれ死に別れることとなっても、百年、二百年と時が経てばそれも良き思い出となりましょう。」

 そういう咲の言葉には間違いはなかった。

ただ泉と共に暮らすだけなら、このまま今のままで泉と暮らしても何の問題もない。

けど、それは俺がしたいことじゃない。

「そうだな。

泉と共に暮らすだけの事ならば、それでも問題は無いのかも知れぬ。

きっと泉と死に別れても、いずれには良き思い出となろう。

しかし、それは我の望むことではない。

苦楽を共にすることが夫婦(めおと)になることと言うのであれば。それでは夫婦と呼べぬ。

……それに、泉と死に別れたのなら、その後千年、二千年の時が過ぎても良い思い出などにはならんよ。」

 それにもし、泉を失った悲しみをも時の流れが忘れさせてしまうなら、俺はそんな未来はいらない。

ゴメン。咲。


「なりませぬ!

絶対になりませぬ!

あの女と添い遂げると言う事が、共に死ぬと言う事ならば、此方は絶対に承知致しませぬ。」

 咲は絶叫した。

俺の言葉を聞いて、覚悟を知って、涙を浮かべて拒絶した。

ゴメン。

ゴメン。

ゴメン。

でも、それでももう気持ちは変わらないんだ。

泉に出逢って。

想いに気付かない振りをして、蓋をして、それでも膨らむ想いは止められずに、何ヶ月も悩んで出した答えなんだ。

だからもう他に話す事はない。

これはお願いや相談じゃない。宣告なんだ。

悪者でいい。嫌われていい。許して貰えなくてもいい。

そうでもしないときっと咲は……


 俺はただ無言で咲を見つめていた。

そして咲が「是(YES)」と首を縦に振るのを待っていた。

どれだけの時間が過ぎようともどんな言葉を投げかけられようとも、俺が受け入れられる答えはそれだけだったから。

そんな気配は咲にも伝わって、でも「是」とは言えるはずもなく、なんと応えるべきか言葉が見つからずワナワナと唇を震わせていた咲は、震える声で俺に尋ねた。

「…兄…様。

兄様は、死ぬとはこの世から消え失せる事とご承知か?

もう二度とこの現世に戻れぬ事とご承知か?」

 そんな当たり前のことを聞いてくる咲の、その質問の意味に気が付いて俺は心の中で唇を噛んだ。

多分、咲は気が付いた。

俺が隠しておきたかった事に。後に俺が恨まれる原因になるであろう理由に。

なら、徹しよう。悪者に。嫌われ者に。

これ以上の秘密に咲が気が付かないように。


「もちろん承知の上だ。」

 俺は冷徹にそう言い切った。

心の迷いを知られぬように動揺を悟られぬように、短く言い放った。

その答えに咲は瞬きさえ忘れて、その(まなこ)に涙が浮かび上がると、大きく息を吸い込んで、肩を(いか)らせて絶叫した。

「兄様は何も分かっておらぬ!!

考えておるのは己と泉のことばかり!!

兄様がこの世から消えて無くなるのじゃぞ!!

もう二度と会えなくなるのじゃぞ!!

死んで消え去る泉は良い。兄様は良い。

しかし、後に残された此方はどうなるのじゃ!!

兄様は兄様のおらんようになった世で、此方一人で生きよというのか!!」

「そうだ!!」

 全く、微塵も、露ほども予想していなかった答えに咲は凍り付いた。

丸く大きく開かれた眼は色を失い、信じぬ信じられぬと語っていた。

ゴメン。嘘だ。嘘なんだ。

両の眼から止めどなく涙を流す咲。

その咲を抱き締めて、ゴメン。と、悪かった。と、謝りたかった。ずっと一緒にいる。と、慰めてやりたかった。

でも、それはできなかった。

それでも俺は泉を選んだから。咲を選ばなかったから。

だからせめて咲がこれ以上傷付かないように、今は咲を傷付けるしかなかった。


 けどそんな俺の傲慢な思いは咲に通じるはずもなく。

咲は言葉を続けた。

きっと言葉はこの俺の心に届くと信じて。

「この千年、邑を去り山に籠もっておっても寂しくなかったのは、一人ではなかったから、兄様がおったからじゃ。」

 言うな。もう言うな。

咲の悲鳴にも似た言葉が胸を(えぐ)る。


「それを……」

 それでも俺は何も言わなかった。何も言えなかった。

咲の言葉を止めることも、涙を止めてやることも。

どれほど悩んだ結果であろうと、それでも俺は泉を選んだのだから。

だから、俺は揺らいだら駄目なんだ。

どれだけ、どんな言葉を投げかけられても、俺はそれを平然と受け止め、顔色一つ変えず、

決して俺の決心が揺らぐことはない。と、咲に思い知らせないといけない。

そうしないと、きっと咲はいつまでも俺の説得を続けるだろうから。

そしてその内に、咲は自分を苦しめる事になる、ある事実に気付いてしまうから。


「それを、兄様は。兄様がいなくなった後の世を、此方ただ一人で過ごせと申されるのか。

幾百年。幾千年。

どれほど年月が過ぎ去ろうとも、此方の寂しさは消えぬ。

兄様を失った悲しみが消える筈…が…ない。」

 咲の声が途切れ途切れに小さくなって、遂には声は途切れ果てた。

それは考えたくなかった最悪の展開だった。

咲は気付いた。気付いてしまった。

咲に伝えず、悟られず、考えさせないようにしていた事。

俺が悪者になってまで咲に隠し通したかった事。

それは、俺が泉を失う悲しみと咲が俺を失う悲しみに違いはない。という事。


 百年、二百年、例え千年経ったとしても、悲しみの傷が癒えることはない。

それは俺も咲も同じこと。

だから、今ここで俺が咲を選ぼうが泉を選ぼうが、結果、咲は悲しみと後悔に暮れてしまうと。

そう、咲は優しい。

我がままで、単細胞で、怒りっぽいけど、ちゃんと人の心の想いを汲み取れる心根がある。

だからきっと、泉と死に別れて悲しみに暮れる俺の姿を見れば、咲はいつか俺を引き留めた自分を責めるようになるだろう。

俺を行かせれば後悔する。

俺を引き留めても後悔する。


 そのことに気付いてしまった咲は、もう何と言えばいいのか。どんな決断をすればいいのか。どんな顔をすればいいのかさえ分からずに、道に迷った幼子のようにハラハラと涙をながしていた。


 きっと咲には答えは出せない。

どちらの想いが重いのか。

もしこれを心の天秤に掛けたのなら、その重みはピッタリに釣り合って、終いには天秤はその重みに耐えきれず裂けて壊れてしまうだろう。


 咲の眼からはいつまでも涙が溢れ出て、咲はヒクヒクと肩を揺らして啜り声を上げていた。

咲の心の天秤は今にも壊れてしまいそうだった。

そんな咲に俺は答えを与えた。

俺も長い時間をかけてようやく出した答え。

咲を選ぶか、泉を選ぶか。

その咲と泉の差。

その僅かな差は、それでもピッタリに釣り合った咲の心の天秤に答えを与えるだろう。


「咲、我は人となる。

人の身となり、泉と子をなして、やがては(かくし)()に参る。

そこでだ。咲。其方に頼みがある。

我がおらぬようになったこの(うつし)()で、我が子や孫が末永く幸せに過ごせるように、この地を我が子孫を見守ってはくれまいか?」

 俺は卑怯だ。

咲の苦しみも悲しみも心根の優しさも知った上で、わざと咲の無視できない、断ることのできない言葉を選んだ。

そうだ別れを告げる俺は悪者でいい、卑怯者でいい。

いつか咲が一人で悲しみに明け暮れる日が来たときには、全てをこの俺のせいにして怒り悲しみ恨んでくれればいい。

それで少しでも咲の気が紛れるのなら、それも本望だ。


 思わず一瞬目を背け、自傷気味に鼻を鳴らした俺。

そんな俺に、咲は胸を張って相対して、涙に濡れた瞳でこの俺を真っ直ぐに見つめると、口元を緩めて微笑んだ。

「兄様は真に卑怯者じゃ。

此方はこの地の守り神。

ならば、子孫の繁栄とこの地の安寧を願われて、何故断ることができましょう。」

 胸を張りそう言う咲の姿は、今まで俺が見たことのない咲だった。

俺の言葉を全て受け止めて、俺を卑怯者だと優しく微笑んで、そうして俺の全てを受け入れた。

 そうか、咲ももう立派に育っていたんだ。

そして俺は、俺の知らない内に咲を見くびっていたんだ。


 感謝の気持ちか謝罪のつもりか。俺は自然と瞳を閉じ、咲の前に頭を下げた。

「兄様、お幸せに。」

 咲の両腕が俺の首元に回り、頭を包み込む。

そうして咲は俺を引き寄せると、優しく胸元へと誘った。

「兄様。

兄様は泣かずとも良いのです。」

 耳元に紡がれる咲の優しい声に、いつからだろう、俺はその時になって初めて自分が涙を流していることに気が付いた。

駄目だな、俺は。肝心なところで妹に心配をかけさせてしまった。

本当に駄目な兄だ。

そんな俺を、咲はまるで子供を慰めるように、優しく髪に触れ頭を撫でて言葉を続けた。

「此方はここで千年、二千年。兄様の子、孫の末代まで繁栄とこの地の安寧を祈り続ける、見守り続ける。

故に此方は寂しくなどなりませぬ。

ですから兄様。

()()()(かど)()じゃ。

笑うて別れを告げて下され。」

 咲がゆっくりと優しく俺の頭に回した腕を解いて微笑んだ。

そんな咲の姿に俺はまた目頭を熱くして、それでも俺は涙の流れるままに笑顔を作り、

咲への別れの言葉を口にした。


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