第19話 鬼捜し
ニュータウンの住宅街を抜けて幹線道路に出ると、道は途端に走りやすくなった。
四車線の広い車道に歩道、ガードレール、車道と歩道の間には青くペイントされた自転車専用レーンまであって、さっきの田舎道とは大違いだ。
駅に向かっての道路は緩やかに上り坂が続いていて、左手には木々の合間から緑の芝生の大蓮公園が見え隠れしていた。
坂道を上り切って図書館の前の交差点を右に折れると泉ケ丘駅はもうすぐそこだ。
三階建ての駐輪場に自転車を止めて、駅に向かって歩いて行けば、送り迎えの車からバスロータリーから専門店街から続々と人が集まって、周りはどんどん駅前らしく賑やかになっていく。
新作パンを店頭に並べたパン屋さんから漂う焼きたてのパンの甘い香り、向かいの果物屋さんからは甘酸っぱいフルーツの香りが風に乗って運ばれてきた。
眼鏡屋さんや本屋さんの前を通り過ぎると泉北一号線の上を跨ぐ陸橋があって、たくさんの人と一緒に陸橋を渡ると泉ケ丘駅の改札口だ。
いつもの癖でリュックから通学定期を取り出して気が付いた。
そうだ。今日は反対の電車に乗るんだっけ。
残金を気にしながらICOCAを改札にタッチすると、目の前にある電車の到着表示板を確認する。
和泉中央行きまであと八分。
缶ジュースでも飲もうかな?なんて考えて、余裕を持ってホームに下りると、ちょうど二番線に難波行きの特急泉北ライナーが止まっていた。
車体も窓も扉も金色。こんな金ぴかの電車に誰が乗るんだろう?
そんな事を考えながら缶ジュースを買って、クーラーの効いた待合室に入ったとき、どこからか鈴の音が聞こえた。
カラコロカラコロ。
周りを見ても待合室には誰も居ない。
カラコロカラコロ。
その時になって初めて私は音の出所がリュックに付けた丑虎の鈴だと気が付いた。
カラコロカラコロ。
風なんて吹いていない。何も揺れてもいない。
カラコロカラコロ。
なのに丑虎の鈴からは乾いた鈴の音が鳴り続いていた。
カラコロカラコロ。
鈴をリュックから外して、手で握りしめても鈴は鳴り止まない。
カラコロカラコロ。
えっ、やだ、チョット!なによ!止めてよ!
カラコロカラコロ。
もう止めて!
恐くて怖くて、掌の中で鳴り続ける丑虎の鈴を投げ捨てようと振り上げたとき、丑虎の鈴の音はピタリと止んだ。
何が、どうなっての?
クーラーの効いた待合室の中で、私の背中は冷や汗でグッショリと濡れていた。
「これはな、三琴。
丑虎の鈴って言うて、近くに鬼が居るときにだけ鳴る鬼除けの鈴や。」
お祖父ちゃんの言葉を思い出してゴクリとツバを飲み込んだ。
じゃあもしかして、今、近くに鬼がいたの?
慌てて周りを見渡しても、どこにも鬼はいない。
どういう……事?
丑虎の鈴はもう振っても爪弾いても元の通りカラともコロとも鳴らなかった。
もう近くに鬼はいないってこと……かな。
『間もなく一番線に和泉中央行きが到着いたします。』
駅員さんの放送が何事も無かったかのように、下りの電車の到着を告げていた。
けど、今はもう立ち上がる気力もない。
パラパラとお客を降ろした電車の扉は目の前で閉まって、私はただ電車が走り去っていくのを見送っていた。
鬼って本当にいるんだ。
そう、お祖父ちゃんが言っていた。
「なんぼ口で言うてかって、ホンマに経験せんと分からんわ。」って。
お祖父ちゃんの話を聞いて、あの古木が消え去るのを見ても、それでもまだ私は鬼なんて信じてなかった。
そんな事もあるのかも知れないって。まるで夏の怪談話を聞いたかのようにそう思っていただけで、信じてはいなかったんだ。
でも、今なら分かる。信じられる。
そう、魂が凍り付いたように、心臓の鼓動が痛い程感じられて、奥歯と太股の震えが止まらない今なら信じられる。
鬼は本当にいるんだと。
そんな……そんな昔話みたいなことが本当にあるんだと思い知って、私は気が抜けて、もう直ぐに電車に乗るような気にはなれなかった。
ホームから走り出す電車を見送って、私は誰もいなくなった待合室に一人残り、また待合室に人が増えて、電車の到着と共に引いていく。
私は暫く一人で待合室に残って、いくつもの電車を見送って、その頃になってようやく、どうしようかと頭が動き始めた。
鬼だ。鬼がいた。あの時、そばに鬼がいたんだ。
思い出しただけで手足が震えて身が凍る。
でも今は、もう今は丑虎の鈴は鳴っていない。
鬼はそばにはいないって事……だよね?
私は恐る恐るリュックの肩掛けに付けた丑虎の鈴を爪弾いて、それでも何も音が鳴らないのを確認してようやく人心地付いた。
じゃあ、鬼はどこに消えたんだろう?
鳴らない丑虎の鈴が鳴った。
それは近くに鬼がいた証拠。近くに鬼がいたんだ。
鬼…どこにいたんだろう?
えっと……思い出せ。
ホームに下りて丑虎の鈴が鳴ったとき、周りに鬼はいた?
ううん。いなかった。
周りに居たのは普通の人ばかりで変った様子はなかった。
いや、そうじゃない、違う。落ち着け、私。
鬼って、あんな赤肌で角が生えてて縞々(しま)虎柄パンツを履いてるわけじゃない。
お祖父ちゃんは鬼のことをどんな風に言ってたっけ?
そう、たしか女の子。髪の長い可愛らしい女の子。
髪の…長い、可愛らしい…女の子。
ダメだ。あの時どんな人がホームにいたのかまで覚えていない。
ああ、そうだ。それに髪型なんて髪を切ってしまえば、いくらでも変えられる。
それに鬼が化けてるのなら、姿形なんていくらでも変えられるのかも知れない。
昔と同じ姿をしているなんて限らない……か。
ともかく、私がホームに下りたときには鬼は近くにいた。
そして今は近くにいない。
それは間違いない。
もう一度、鳴らない丑虎の鈴を爪弾いて、分かってることからいくつか推論を立ててみる。
あのときホームにいて、今はいないってことは、電車に乗ったってこと?
ううん。もしかしらすれ違ったのかも知れない。
私がホームに下りたときに、鬼はホームから上がって改札を出たのかも。
あ、そうか。すれ違ったというのなら、改札の前の陸橋を渡ったのかも知れない。
このホームの上には、改札口から左右に伸びる陸橋がある。
気を付けてないと分からないけど、この頭の上に陸橋があるんだ。
もしそうなら鬼は人混みに混じって陸橋を渡っていたのかも知れない。
……そう考えれば、車だって怪しい。
この駅のホームの両側には高速道路のような泉北一号線が走っている。
もしかしたら、そこを鬼を乗せた車が通り過ぎたのかも知れない……。
考えれば考えるほど分からなくなるけど、でも一つ確かなことがある。
それは『泉北に鬼はいる。』ということ。
そしてその鬼は今も、この泉北の人の中に紛れているんだ。




