第17話 思い出
メイド喫茶を出て、日本橋から天王寺動物園までは歩いて移動する距離だ。
途中の新世界で通天閣に上ってみたけど、ここでも咲の記憶は戻らなかった。
でもそれはもういい。咲の好みから考えてもあまり通天閣には思い入れはないだろう。
それより勝負は動物園だ。
咲のヤツは動物園に行くと決まってから「パンダいるかな?」「エリマキトカゲは?」「ウーパールーパー見てみたい。」なんてハシャぎまくりだ。
「いやウーパールーパーは水族館じゃないかな?」なんて答えると「じゃあ次は水族館に連れて行って。大きなジンベエザメがいるんだって。」と両手を一杯に広げてクルクルと回る。
見ててちょっと恥ずかしいけど、まぁこんなに喜んでるんだったら、もしかしたら何か思い出すキッカケがあるかも知れない。
天王寺動物園は何年ぶりだろう。
幼稚園の時に来たのは覚えているから、それ以来十何年か振りか。
阪神高速の高架下の正面ゲート。
天王寺動物園ってこんなに立派だったけ?
なんてビックリしながらチケットを買って中に入ると、都会の中にあるとは思えないほど園内は緑で溢れていた。
子どもたちを集めてジャグリングを披露する曲芸師。
アイスを食べながら木陰で一休みしている大人と、
夢中になってフラミンゴの檻で指さして笑っている子どもたちの姿。
象の檻では大きな象が飼葉を長い鼻で一掴みしてムシャムシャと食べて。
シロクマはコンクリートの岩山の上で頭をフリフリしながら後ずさりを繰り替えていた。
「なにしてんるだろうな?アレ。」
シロクマは何度も何度も、頭をフリフリ数歩後ずさりをしては元の位置に戻りまた頭を振り始めていた。
蜘蛛の巣でもあるのか?それともハエか何か集っているのか?
そんな事を考えながらそんなシロクマの様子を眺めていると、隣の親子が「頭フリフリダンス!」なんて手を叩いて笑っていた。
「ねぇ、お兄ちゃん。向こうにはコアラもいるんだって。早く見に行こうよ。」
いつの間にか園内の案内MAPを手にした咲が駆け出すと、俺もそれに続いて走り出す。
全くもう、ハシャイじゃって。
見に行ったコアラは木の枝の合間に体を入れ込んで気持ちよさ背負うに目をつむっていた。
そういやコアラって1日のほとんどを寝て過ごすんだっけ?うらやましい。
「なぁ、ちょっと一休みしないか。」
俺がそう根を上げたのは、オオカミ、ペンギン、ライオンなんかを見て、園内をぐるりと一周した時だった。
なにしろ9月の太陽は秋になったのを忘れたみたいにカンカン照りで、アスファルトには陽炎が立ち上り、汗はびっしょり喉はカラカラだ。
ライオンパークの向こう側に、動物園の隣を走る高速道路の高架の影を見つけたときには、もう気が抜けて俺はもうこれ以上歩けそうになかった。
「もう駄目だ。」なんて言ってヒンヤリと冷えた高架の下のコンクリートに腰を下ろすと、咲は気を利かせて近くの自動販売機でスポーツドリンクを買って来てくれた。
「生き返る~。」なんて言って手渡されたスポーツドリンクを一気に飲み干すと、「ちょっと一休みだね。」と咲は初めて会った時のような照れ笑いを浮かべた。
炎天下の高架の影は砂漠のオアシスのようで、俺たちの周りには同じように腰を下ろして休憩している家族連れもいて、子供が「早く行こ」なんてお父さんの手を引っ張っていた。
家族か。
もし俺と咲が本当の家族、兄妹ならこんな感じなのかな?
一生懸命お父さんの手を引っ張る子供の姿を眺めている咲の横顔を見ながら、ふとそう思った時、急に咲が隣に居ることが当たり前のような気がしてきた。
初めて会った時にはあれだけ不可解で不気味で恐ろしかったのに、今は遠目に子供の姿を眺めている咲の横顔が少し可愛く見える。
えっ!? いや、違う!!
「そ、そう言えばさ…
俺、幼稚園の頃にここに来たことがあるんだよね。」
そんな気を紛らわそうと発した言葉は妙に裏返っていて、余計に胸がドキドキした。
なんとも不自然にドギマギしている俺の様子に、けれど咲は微笑んで俺の話の続きを待っていたから、俺は堪らずに目をそらして話を続けた。
「そう、幼稚園の遠足だ。
その時タイミングよく孔雀が大きな綺麗な羽根を広げてさ。
先生が、写真撮られへんかった。なんて言ってたのを覚えてるよ。
その時には分かってなかったんだけど、孔雀が羽根を広げるのって珍しいんだって。
孔雀の羽根なんて毎日見れるものかと思っていたよ。
もしそうだと知ってたら、もっとちゃんと見ていたのにな。
もうどんな模様だったのか覚えてないや。勿体ない。
ああ、それからちょうどこの場所でお弁当を食べたんだよな。
このコンクリートの上にシートを広げてさ。
なんでか俺はそのシートの上にお弁当箱を置いたまま、三角座りから体だけを前に倒したバッタみたいな格好でお弁当を食べててさ、それを写真に撮られたんだよ。
後で母さんが大笑いして。
そりゃ今から思えば絶好のシャッターチャンスだよな。」
ハハハと乾いた笑い声を上げて咲の方を振り返った時、咲の顔から笑みが消えていた。
泣き出しそうな悲しげな顔で「やっぱり私、思い出が欲しい。思い出を思い出したい。」と呟いた時、初めて俺は記憶を失った咲の気持ちを思い知った。思い知らされた。
馬鹿だ。俺は。
夕日は煌びやかに天王寺公園を照らし出していた。
キラキラのてんしばにはたくさんの家族連れやカップル、老夫婦が、芝生の上で寝転んだりフリスビーを投げ合ったりペットを遊ばしたりと思い思いに楽しんでいた。
みんな笑顔だった。
なのに俺はあの後から咲に掛ける言葉を見つけられずに、そんな賑やかなてんしばの横を無言で歩いていた。
なにか喋ろう、なにを話そう。
なにも好き好んで黙って歩いているんじゃない。
だけど、なにか言葉が浮かんでくる度に、そんな言葉でいいのか?今まで咲の気持ちを考えた事もないくせに。なんて考えが浮かんだ言葉をかき消していく。
ゴメン。なにも考えてなくて。
違う。それはきっと今言うべき言葉じゃない。
動物園、楽しかったね。
それも違う。いや、タイミングが遅すぎた。
そうだ、せめてこんなに沈黙が続く前なら、もっと自然に言えたのに。
結局、言葉は見つからず、遂には一言も言葉を交わせずに大通りへと出た。
目の前にはあべのハルカス。
「ハルカス、大きいね。」
「そうだな。上ってみるか。」
それはきっと何の意味もない一言。
けど、だからこそ、今の俺たちには必要で。
俺たちは顔を見合わせるとようやく微笑みあった。
エレベーターはグングンと上昇する。
俺たちを床に押しつけて、高度計はグルグルと回って、LEDの流れ星が降り注ぐと上空300Mの扉が開いた。
凄い。
俺と咲はそう呟いて足を止めた。
夕陽は明石大橋の上にあって、大阪湾をキラキラと眩しく照らし出しいた。
大阪平野のビル群は夕焼けのオレンジに染め上がり、生駒山のその向こうにはもう夜が迫っている。
「綺麗だね。」
そう呟いた咲の瞳はすっかり見下ろす風景の虜になって、ただ夢中に瀬戸内海に沈んでいく夕陽を眺めていた。
「写真撮るか。」
それは自然と口に出た言葉だった。
「うん。」と振り返った咲の表情は夕陽の影に隠れて見えなかったけど、その咲の後ろから差し込む金色の光の帯が咲を祝福してくれているみたいだった。
俺はその光景を残したくて「逆光になりますよ。」とスマホを手渡した人の声に「はい、構いません。お願いします。」と返事した。
明石大橋の向こう側に沈む夕陽を背景に、俺は咲は隣同士に並んだ。
きっと今俺たちは光の帯に囲まれている。
夕陽のオレンジに染まりながらスマホを構える人の姿にそう思いが浮かんだ。
「じゃあ撮りますよ。」そう声が掛かった時、
咲が「手をつないでもいいかな?」と小さく呟いた。
恥ずかしそうに俯いて俺の顔を見ることもしない咲に、俺も恥ずかしくなって断るつもりで「俺たち兄妹なんだろ!?」と返事したのに。
咲のヤツは何を勘違いしたのか「ありがとう。お兄ちゃん。」と、そっと手をつないできた。
その手があんまりにも自然で小さくて柔らかかったから、俺はついにその手を振り払うことが出来なかった。
まぁ、逆光なら頬が紅くなってるのも分からないだろうしな。




