第16話 笑顔
咲の涙はイチゴパフェで吹き飛んだ。
いやむしろ今度は俺の方が泣きたい。
アメ村から戎橋へ戻った俺たちは、今度はそのまま天王寺まで歩いてみようかと、なんばグランド花月から道具屋筋を南へ向かった。
なにしろ天王寺までの道中には新世界や通天閣、天王寺動物園がある。
悪いアイデアではなかった。
しかし、道具屋筋を抜け日本橋へ入ったとき、咲が興味を示したのはメイド喫茶だったのだ。
「お兄ちゃん、ここ入ろう?」
そう言って咲が指差したのはインメイドとかいうメイド喫茶だった。
その店の入り口には可愛らしいメイドの服が飾り立てられていて、窓に掛けられたレースのカーテンの隙間からはその可愛らしいメイド服を着たバイトの女の子が忙しそうに動き回っている姿が見えた。
「マジかよ。」なんて溜め息と一緒に心の声が口から漏れると、「ダメ…かな?」と咲が上目遣いに呟いた。
ダメには決まっている。ダメには。
しかし、だ。
さっきは俺が咲を無理やりアメ村に連れて行ったんだ。
今度は俺が合わせる番じゃないのか?
そんな考えが頭をよぎれば、「ダメだ。」と言うことは出来なかった。
「分かったよ。」
そういう俺の言葉を合図に咲は嬉しそうに俺の手首を掴むと店のドアを開けた。
「お帰りなさいませ。ご主人様、お嬢様。」
半ば強引に店の中に連れ込まれれば、その姿を見たメイド姿の店員が深々と頭を下げた。
ゴメン。さっきの咲の気持ちが痛いほど分かった。だから、なぁ、咲。もう良いだろ?帰ろ?
でも咲は目をキラキラさせて店の奥へと入っていくし、店員さんは椅子を引いて席を用意してくれている。
もう今更、お店を出ていく訳にもいかない。
こうなりゃヤケだ。と腹を括れば、括ったお腹がグゥと鳴った。
お店の中には穏やかなクラシックの音楽が流れていた。
天井からは小さなシャンデリアを模した照明が架かっていて、蝋燭の灯にも似たオレンジの明かりを放っていた。
それは本格的だった。
壁紙も暖炉もテーブルもその上に置かれている小物も、その一つ一つが本格的だった。
壁紙には薔薇の紋様があしらわれていて。
お店の奥にある暖炉もハリボテに見えない。
テーブルは木目が綺麗な豪華なテーブル。
椅子は木組みに綿がみっちりと詰まったフカフカなクッションが取り付けられていた。
それは昔、家族で行った神戸の異人館のような内装で、その中で甲斐甲斐しく給仕に勤しむメイドたちの姿に何の違和感も感じなかった。
「メイド喫茶ってこんなのだったのか。
前に学園祭でやってたのとはエラい違いだ。」
そう俺がイメージしていたメイド喫茶は、去年学園祭で隣のクラスがやっていたメイド喫茶だ。
里中に無理やり連れて行かれた教室には、BGMにキャピキャピしたアニメの歌が流れていて、どこから持ってきたのかフリフリのメイド服を着た女子が「いらっしゃいませにゃ☆」なんて言ったのを聞いて、俺は出されたコーヒーを一気に飲み干して店を出た。
なんとも苦い思い出だ。
そんな事があったから、俺はてっきりメイド喫茶ってみんながみんなそんな風だと思っていた。
でもそうでないのもあるんだな。
そう落ち着いて周りのテーブルを見渡せば、店の中には女の子ばかりか外国人の観光客やスーツを着たサラリーマンまでいた。
「良かった。お兄ちゃん怒らなかった。」
その声に釣られて視線を咲に戻すと、咲はとっても嬉しそうに微笑んで俺の顔を見つめていた。
「メイド喫茶って言っても色々あるんだって、それでここならお兄ちゃんと来ても大丈夫だって、高崎さんが教えてくれたの。」
「なんの情報交換やってんだよ。」
「秘密~。」
そう言ってエヘヘと笑う咲。
甘いイチゴパフェをスプーンで一掬い、口に入れるとさぞ幸せそうにウゥーンと上げた。
そんな咲の笑顔を見たのはいつ以来だろう。
初めて名前を聞いたとき微笑んだのは照れ笑いだったし、それからは笑顔を交わす仲じゃなかった。
咲はいつも明るく居たけど俺はしかめっ面のしっぱなしだ。
そう言えば、屈託のない笑顔を見るのは初めてかも知れない。
「さっきはゴメン。」
そんな咲の顔を見ていると自然と「ゴメン」と言葉が出てきた。
そんな急な俺の言葉に咲の方が目を丸くして驚くと「いいよ。いいよ。」と手を振った。
「だってお兄ちゃん、私の記憶を探そうとしてくれてるのに、なんか私の方が邪魔しちゃって、ゴメンなさい。でもね。ちょっと怖かったの。」
さっきまでの咲の笑顔が消え失せて、咲はテーブルの上に視線を落とした。
本当に胸が痛む。
咲を連れてアメ村に行ったとき、もう咲の記憶の事なんて俺の頭にはなかったんだ。
「なぁ、この後、動物園に行かないか?」
本当はもう一度ゴメンと謝りたかったけど、きっと咲も「ゴメン」と言葉を重ねてくるだろうから、そこは言葉を飲み込んで俺は次の行き先を提案した。
「動物園?」
オウム返しに聞き返してくる咲は、満面の笑みを取り戻して顔を上げた。
「パンダいるかな?」なんて聞いてくる咲の質問に、さっきまでの面倒臭さは感じずに、「流石にパンダはいないだろう。」と真面目に答えると、咲はエヘヘとはにかんで、俺もつられて笑い声をあげた。
そうだ。どうしてこんな簡単なことが分からなかったんだろう。
記憶を無くしても咲は咲だ。
咲が嫌がるような場所に咲が行ったはずなんてないじゃないか。
行ったことがある場所というのは、咲が喜びそうな場所、喜ぶ場所。
いくら咲の記憶が蘇る兆しがなかったとはいえ、咲の事を考えずに行き先を選ぶなんて、少し投げやりになりすぎだ。
それに、今日は咲の記憶を探すために難波へ来た。咲のためにだ。
だからもし記憶が戻らなくても、咲が喜ぶならそれはそれでいいのかも知れない。
ほっぺが落ちそうなほどの笑顔でイチゴパフェを食べる咲を見て、俺はそう思った。




