氷の魔女と百年菊
薄暗い明かりの下で、痩せぎすの男が少女に語る。
「知っているかね? 来年でちょうど百年になる。
その時代、この町は、一人の男によって恐怖のどん底に突き落とされていた。
悪魔の化身とも呼ばれたその男の名は……」
「……切り裂きジョニー」
ぼそり、と……澄んだ、そして冷たい、少女の氷のような声。
溜めた言葉をさえぎられた男は、しかし満足そうに微笑む。
グラスの中で、魔力の氷がカランと鳴った。
「被害者は四人」
「たったの?」
「平和な町は大騒ぎさ。何せ遺体は、それはそれは凄惨な殺され方をしていたんだからね」
カウンターの向こうでマスターが息を呑んだ。
ここはいわゆる冒険者の酒場。
当時十三歳のスリサズは、酒に入れるためのレモンをそのままジュースにしてもらっていた。
「切り裂きジョニーは自警団を欺き、包囲網をかいくぐって町を抜け出したのだが……
メイブリック村の納屋に隠れていたところを住人に見つかってリンチに遭い、自分が殺してきたどの被害者よりも悲惨な死体となった」
(メイブリック村……)
スリサズが頭の中で地図を描く。
今居る町から馬車で半日ほどのところにある、何の変哲もない小さな村だ。
目の前に居る男は、メイブリック村の……
「メイブリック村の当時の神父は、聖職者の意地で、前代未聞の殺人鬼の遺体を教義のとおりに葬った。
しかしすぐに、切り裂きジョニーに恨みを持つ者や、ただおもしろがっているだけの者が、この町はもとより外国からすら集まってきて墓を荒らしてね。
それで神父はジョニーの墓を、森の奥の人目につかない場所に建て直し、ゴーレムに守らせた。
そのゴーレムが、最近になって発見されたのだよ」
退屈そうにグラスを見ていたスリサズの視線が、いぶかしげなものに変わって男に向けられる。
「神父に魔法の素養があったのか、誰かに頼んで作ってもらったのか。
その辺は歴史のナゾってやつなんだがね。
ゴーレムが居るってことは、近くにジョニーの墓があるってことなんだ。
で、氷の魔女殿への依頼。
切り裂きジョニーの墓を探すために、邪魔になるゴーレムを退治してもらいたい」
「殺人鬼のお墓なんか見つけて何すんの? 今さら復讐?」
「いやいや、まさかまさか」
男はゲラゲラと品なく笑った。
「ヤツにはね……役に立ってもらうのさ――地域活性化のために!」
痩せぎす故に目つきまで悪く見える男が、両手を広げて熱く語る。
「切り裂きジョニーの墓を観光地化して人を集める!
そりゃあ十年前、二十年前の事件ならば不謹慎とも言われもするが、これが百年前となれば、恐ろしさの中にロマンチックさまで感じさせる伝説となるのだよ!」
目つきが悪いだけの普通の人、メイブリック村の役場に勤めるシッカートおじさんの高笑いが、むさ苦しい酒場いっぱいに響き渡った。
馬車に揺られて村に着き、今日はもう遅いからと宿屋に通される。
夕食は、村の名物……になる予定の……切り裂きジョニーパンだった。
コッペパンに複雑な切れ目を入れてイチゴジャムを流し込んだもので、手で持つと指で押されて、切れ目からジャムが流れ出る。
パンもジャムも上質で、スリサズは指をベトベトにしつつもおいしく食べていたが、名前を聞いた途端にちょっと吐きそうになった。
そして翌朝。
スリサズはシッカートの案内で、ゴーレムが目撃された森へと入っていった。
「私らではまったく歯が立たなかったんだがね、魔法で攻撃すればちょちょいのちょいなんだろう?」
「種類によるわ」
ゴーレム――石や土を材料にした人型の傀儡には、作り手の癖が強く出て、魔法でしか倒せないタイプもあれば、魔法がまったく効かないタイプもある。
だからシッカートがクワで殴りかかっても効果がなかったと聞かされてもあまり参考にならなかったが、とりあえずデカくてカタいという点だけは間違いなさそうだった。
そのまま歩いて昼過ぎ頃。
木々が途切れ、スリサズ達の目の前に、大きな滝が現れる。
人の倍ほどの背丈のゴーレムが、滝つぼの周りの開けた土地をゆっくりと歩いていた。
「……何……アレ……」
スリサズは思わずつぶやいた。
「何って、ゴーレムだろう?」
シッカートは状況がわかっていない様子で肩をすくめた。
「何であいつの頭に草が生えちゃってると思っているの?」
「そりゃあ、土でできているのだから。え? だってゴーレムって土でしょう?」
そもそも魔法を使える人間が村に居ないから役場でスリサズを雇ったわけで、魔法に縁のないシッカートがこういう反応になるのは仕方ないことなのだが、スリサズは気にせず盛大にため息をついた。
「切り裂きジョニーのお墓が建てられたのって百年前よね?」
「九十九年だよ。来年で百周年だ」
「ゴーレムにも寿命ってモンがあってね、遺跡とかを守ってるような石のゴーレムも、何千年も持ちはするけど、やっぱり寿命はあるわけなのよ」
「ふむ」
「そこのゴーレムは土製。普通、土のゴーレムは、簡単に作れる代わりに、すぐ壊れるの。
旅の魔法使いが行きずりの魔物に襲われた際に、足もとの土を使って数秒で作って、戦闘が終わったらさっさと土に戻しちゃうみたいな感じね」
「んんん? 待ってくれ。どういうことだね?」
「わからない。
あのゴーレムが、九十九年前ではなく、つい最近作られたのか。
それとも作り手が、土のゴーレムを百年近く持たせられるような強力な魔力の持ち主だったのか……
でも、長持ちさせたいんなら、何で石でなくわざわざ土にしたのかしら……」
「変わり者だからじゃないのかね?」
「ああ。シンプルでいいわね。そりゃまあそうなんでしょうけれどね」
ゴーレムに見つからないようにしばらく尾行する。
スリサズ達はすぐに切り裂きジョニーの墓の場所にたどり着いた。
ゴーレムは、墓石を磨き、野の花を供え……
そのために、こちらに背中を向ける姿勢になった。
「チャンスだぞ、スリサズ君! さあ、今のうちに魔法をぶち込みたまえ!」
「…………」
「どうしたのかね? スリサズ君?」
「…………」
「……まさかゴーレムに同情でもしているのかね?」
「はア!? なワケないでしょ!?」
「だってあいつ人型だし、人間っぽい動きしてるし」
「あーのーねーえー! ゴーレムってのは、単なる動く物体なの! 命もなければ魂もないの!
それなのに、ただのモノを壊すのがかわいそうだなんて、ありえないでしょ!? そこいらのシロートじゃあるまいし!!」
「いや、しかし、君……」
「こっちは一流の冒険者で一流の魔法使いなんだから!! 仕事ぐらいちゃんとやるわよ!!」
一流とはあくまで自称だが、少なくとも気持ちは一流だ。
シッカートの声にからかいの色を感じ取ったスリサズは、怒りをぶちまける代わりに、魔法で作り出した無数の氷の矢をゴーレムに撃ち込んだ。
が……
「まさかッ!?」
氷の矢はゴーレムの背中でパリンと砕けて弾け散った。
ゴーレムが立ち上がり、振り返る。
スリサズは力を強めて今度は氷の槍を撃ち込んだが……
「君イ!? 効いてないじゃないかア!?」
シッカートが叫ぶ。
「下がってて!!」
ゴーレムがこちらへ突進してくる。
威力の高い魔法を放つには、魔力を溜める時間がかかる。
スリサズは、一瞬でできる中では最強の魔法で、ゴーレムとほぼ同じ大きさの氷の塊を作り出してゴーレムにたたきつけた。
バキッ!!
ゴーレムのパンチで、氷塊は真っ二つに割れてしまった。
「うわあああっ!!」
慌てて逃げ出そうとしたシッカートは、魔力の余波で足もとが凍っているのに気づかず、すっ転んで川に落ちる。
ゴーレムがスリサズに迫る。
スリサズは、先ほどゴーレムに割られた氷が水面に浮いているのに気づいてそこに飛び乗った。
「えい!」
風の魔法で落ち葉を運び、氷の上に敷き詰めて滑り止めにしてシッカートを引き上げる。
そのまま川を下ってメイブリック村へ。
無事に帰れはしたものの、スリサズの魔法はゴーレムに通じないとわかり、シッカートはスリサズをクビにした。
ここまでが、一年前の話である。
十四歳になったスリサズは、旅の中で流れ着いた大きな町の大きな図書館で、ゴーレムの頭に生えていた草について調べていた。
スリサズの魔法はあのゴーレムに傷をつけることはできなかったが、頭の草の葉を一枚、落としていた。
その葉っぱを乾かして標本にしたものを、図鑑の挿絵と見比べる。
どちらの葉も、葉脈が数字の形に浮き上がっていた。
挿絵の葉っぱの数字は百。
標本の葉っぱは九十九。
図鑑はこれを、百年菊と記していた。
(はるか東の国で咲く、百年かけて育つ花……ね……)
メイブリック村がある地域に自生するような植物ではない。
誰かが、きっとゴーレムの製作者が、ゴーレムの頭に種を植えたのだ。
(でも、何のために?)
スリサズは別の本を手に取った。
古今東西殺人鬼辞典。
悪趣味な本だ。
切り裂きジョニーのページをめくる。
ジョニーの百回目の命日はもうすぐだった。
スリサズは、その日を狙って再びメイブリック村を訪れた。
あの後、噂を聞きつけた何組もの冒険者達がゴーレムに挑んだものの、いずれも惨敗。
ただ、度重なる挑戦により、墓に近づかない限りはゴーレムから襲ってはこないと判明し……
シッカートは、切り裂きジョニーの命日に合わせて、ジョニーの墓の見学ツアーを強行していた。
観光客の一団は、滝の上から安全にゴーレムの墓参りを眺めていたが、滝が高いので墓まで遠くて良く見えず、やがて退屈して騒ぎ出してしまった。
滝は、高い。
だからゴーレムがここまで上がってくるはずないと、誰もが高をくくっていた。
ゴーレムが、ジャンプした。
たった一回のジャンプで、ゴーレムは滝を超え、観光客の頭上を飛び越え、一行の背後に着地した。
ゴーレムには感情はない。
だから怒っているわけではない。
ただ、墓参りという『使命』を邪魔されたという事実があるだけ。
『使命』の妨げになるものを排除するのも『使命』の一部であるというだけ。
滝が立てる轟音を、人々の悲鳴が飲み込んだ。
怯えきった視線の先に、人の身の丈の二倍のゴーレム。
思わず後ずさりをした踵が、崖のふちに触れ、また悲鳴。
そこに……
「ブリザード!!」
茂みの中から巻き起こった氷の嵐が、ゴーレム目がけて襲いかかった!
ゴーレムは吹雪を振り払って茂みへ突進。
茂みから素早く飛び出したスリサズは、木の陰に隠れながら更なる吹雪をゴーレムに撃ち込む。
ゴーレムの腕が大木をなぎ払うが、そこにはすでにスリサズは居ない。
攻撃対象を捜すゴーレムの目線が、観光客の一団に戻る。
「こっちよ!」
スリサズはゴーレムを引きつけるべく氷を炸裂させた。
攻防は二時間に及んだ。
逃げ出そうにも倒木に阻まれて身動きが取れない観光客の間から、いつしかスリサズへの声援が上がり始める。
だけどスリサズが、ゴーレムの頭で揺れる黄色いつぼみに魔法が当たらないよう細心の注意を払って戦っていることには、誰も気づいていなかった。
傾き始めた日差しの中で、ついにゴーレムの体が崩れ始めた。
百年間、狂った殺人鬼の墓を守り続けて。
でもその墓は今はもう観光地。
これからは村の人達が守ってくれる。
「……お疲れさま」
ゴーレムの頭部だった土くれの上で、百年菊が大輪の花を咲かせていた。
観光客の拍手喝采を浴びながら、スリサズはシッカートの前に歩み出た。
「さあ、一年前にもらいそびれた依頼料と、あの後で役場がゴーレムにかけた賞金をもらうわ。それから観光客の命を救った分もねっ」
実はこのゴーレム、スリサズが倒したわけではなかった。
遠い異国から百年菊の種を持ち込んだゴーレムの作り主は、魔法で開花の日付けを設定し、花が咲くとゴーレムの魔法が解ける仕組みにしていたのだ。
開花の日付けをスリサズは、切り裂きジョニーの没後百年の命日と読んだ。
時間まではわからなかったので、スリサズが現場に着く前に菊が咲いてしまったらこれはもうあきらめるしかないが、逆に咲くのが夜中にでもなれば、それまで戦闘を引っ張るつもりだった。
百年菊を切り裂きジョニーの墓の隣に植え替える。
墓石には墓碑銘の他にも文字が刻まれていた。
『あなたの無実をわたしは知っている』
この文字を刻んだのはいったい誰なのだろう?
観光客はさまざまな思いつきを仮説ぶって並べ立てる。
「百年前の神父だろう」
「神父はジョニーとは面識がなかったはずなのに、どうして無実だと言い切っているんだ?」
「ゴーレムを作ったのは神父様じゃなくて旅の魔術師だって聞いたわ。その人が書いたのかも」
「碑文の言葉が本当なら、真犯人は誰なんだ?」
「無実を知ってるってことは、この文字を刻んだ奴が犯人なんじゃねーのか?」
「そうとは限らないザマス。そもそもこの文字は単なるイタズラかもしれないザマス」
切り裂きジョニーの正体については、事件当時からさまざまな説がささやかれていた。
なかなか捕まらないのは役人の中に犯人が居るからではないかとか。
遺体があまりにも上手にバラバラにされていたから、解体に慣れた肉屋か、人体に詳しい医者じゃないかとか。
「実は私の先祖も容疑者の一人だったんですよね」
シッカートがニヤニヤと自慢げでいられるのは、事件からすでに百年が経ち、事件が過去の話になっているからに他ならない。
そうでなければきっと誰も……少なくともメイブリック村の住人は……犯人とされて殺された男が無実だったかもしれないなんて口が裂けても言わないだろうし、その頃に碑文を見ていれば墓石ごと壊してしまっていたはずだ。
スリサズは小さく肩をすくめた。
全ての謎は、百年菊の花弁の下で眠るのみ。