9・バグローヴィ辺境伯がやって来た!
わたしは、最初から勘違いしていた。
ずっと光の竜王姫たちにユーリアを託してきたくせに、自分は彼女たちの力をわかっていなかったのだ。偽りの男性の体は、わたしの本当の体を動かせば勝手に動くもの。昨日ダヴィートに言われたみたいに、重い荷物のように持ち歩くものじゃない。
それに光属性の武竜の力は『増幅』だ。
包んだわたしの体の能力だって高めてくれる。
武竜は道具。
わたしが動かなければ動けない。
だけどわたしが動けば、一緒に動いてくれる。
(反撃よ、光の竜王姫、怠け者!)
(おう。炎のに吠え面をかかせてやろうぞ)
(……!)
猫を飼うときと一緒で、複数の武竜と契約したときは、先に契約したほうの武竜を常に優先しなくてはならない。猫を飼ったことはないけどね。
言葉にはなっていなくても、怠け者も楽しげな意識を送ってくる。
銀の弓を握りしめ、わたしは跳び上がった。
「ふーう」
思っていたよりも高く飛べる。
(さすが光の竜王姫ね)
(当然であろ)
追ってくるお父さまの視線から逃げるため、わたしは近くで戦っていたダヴィートの頭に手を突いて飛距離を伸ばす。
「なにしやがる、イオア……隙あり」
「あっ」
ダヴィートの鞭が、ヴェニアミンさまの斧の柄に巻きついて地面に叩き落とした。
相対稽古の最中によそ見してぼーっとしてちゃダメですよ、ヴェニアミンさま。
まあ、わたしが変なことしてたからですけど。
弓を持つわたしがお父さまに勝つためには、距離を稼いで矢が射れる状況にするしかない。ごめんなさいね、と心の中でヴェニアミンさまに謝りつつ、わたしは相対稽古中の同級生やら先輩やらの隙間を抜けて進む。
勝手ながら、ときおりみんなの肩を跳躍のときの力点にさせてもらったりして。
一瞬でも足や跳躍を止めたら、お父さまに追いつかれてしまう。
とはいえ距離を稼いでも、ふたりの間に人間が密集していたら矢は射れない。
ん? そうなるとわたしの勝利条件、結構難しい?
……ううん、大丈夫。
なんの勝算もなしに動き出したわけじゃない。
お父さまの指導が聞こえやすいよう、今日はみんな校庭の真ん中に集まっている。
でも普段はそうじゃない。
校舎に囲まれた校庭のところどころに植えられた木々の近くで相対稽古をしていた。
なんの障害もない開けた場所で災霊と戦えるとは限らないもの。
二年生はときどき、校舎内でも相対稽古をする。
廃墟や使われていない砦に災霊が出現したときを想定しての大がかりなかくれんぼ、そして戦闘だ。
森に出現することが一番多いと、辺境伯領の武竜や騎士団員が言ってたっけ。
災霊は、森に転がる死体に宿るのだ。
……だから。
木々を使って戦闘することを考えに入れておく。
わたしは校庭に植えられた木の枝をつかみ、上に登った。
「そこから射るつもりか? だが追いつくぞ」
言葉の通り、お父さまが距離を詰める。
もうこの辺りには生徒たちはいなかった。みんな校庭の中央から、ぽかんとした顔でこちらを見つめている。
わたしが太い枝の上にしゃがんだのは弓を構えるためではないのよ、お父さま。
枝を蹴って跳躍する。
もう木の真下まで来ていたお父さまは、揺れる枝葉から落ちるゴミに顔を覆った。
その隙に、
「……俺の勝ちですよね、閣下」
わたしはお父さまの後ろに降りた。距離を取って弓を構える。
葉っぱの間に溜まったゴミが入ったのか目を擦り、軽く咳き込みながらお父さまが振り返った。
「げほ……っ、そうだな、悪ガキめ」
お父さまは残念そうだ。
たぶんわたしが負けたら、辺境伯領へ連れ戻すつもりだったのだろう。
そうでなくても、娘に負けたら悔しいのかもしれない。
でもわたしが頑張れたのは、お父さまのお言葉があったからなんですよ。
(イオアンナ姫、よくやった! よく頑張った!)
(ふふ、わらわの力があってこそじゃ。わかったであろ、炎の)
(……!)
光の竜王姫と怠け者が、自慢げな意識を炎の竜王へと送る。
(ああ、お前たちも素晴らしかった! 私は感動した! うおおおぉぉぉっ!)
(……イオアンナ?)
(……?)
わたしの武竜たちが困惑したような感情を向けてくるけど、仕方がないでしょ。
だって炎の竜王なのよ?
暑苦しく燃え盛ってるに決まってるじゃない。
生まれたときからのつき合いなので、わたしは慣れている。
うん、適当に流しておけば大丈夫だから。
思う存分体を動かして戦うのは、気持ちが良かった。
──この夜、別邸へ戻ったわたしは泥のように眠ったのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日は闇の日。
待ちに待った週末、お休みの日。春の日差しが心地良い。
王都の別邸へ帰ったわたしは、イオアンナの姿でお父さまと歩いていた。
下町の大通りは活気に満ちていて、客引きの陽気な声が響いている。
立ち並んだ屋台から、お腹をくすぐる美味しそうな匂いが漂ってきた。
「任せとけ、今一番美味いのはあの店だ」
お父さまが笑って、近くの屋台へ歩いていく。
揚げパンのお店かな?
中に挽き肉をくるんだ種類のようだ。混ぜ込まれたニンニクの匂いが鼻をくすぐる。
イオアンナの姿といっても、王宮にいたときのようなドレス姿ではない。
どこにでもいる下町の娘で通用する格好だ。
……まあ、自分が思っていたよりずっと世間知らずな貴族令嬢だってことは、ここ数日の学院生活で思い知っている。お父さまから離れて無茶したりしません。
というかお父さま、ふたりしかいないのに、どれだけ揚げパンを買うつもりなの?
屋台の店主が、お父さまの指示に従って大きな袋に揚げパンを入れていく。
今できているものを全部入れてしまいそうだ。
子どものころ、バグローヴィ辺境伯領の村にお忍びで行ったときもあれくらい食べ物を買い込んでいた記憶がある。
でもお父さま、騎士団のみんなは辺境伯領でお留守番中よ?
(……イオアンナ……)
左足の光の竜王姫が、呼びかけてきた。
袖の下に隠してある右腕の怠け者は眠っているようだ。
戦闘中以外の武竜は、こちらが話しかけない限り話しかけてくることはない。
一体どうしたのかしら。
わたしのほうから話しかけたときは、いつでも返事をしてくれる。
だから寮や別邸の自室では、だらだらと他愛もない話をしていたりもした。
同級生の男の子たちの品定めとか、ね。
だって女の子なんだもん。
(あそこにおるのは……ダヴィートではないか?)
武竜の声に辺りを見回して、人込みの中、だれかと話している彼を見つける。
下町出身のダヴィートも、この週末は実家に帰っていた。
ほんの数歩進めば肩も叩ける距離なのに、この姿では声をかけられない。
黒髪の少年の前には小さな子どもたち。五人いるっていう弟かな。
(光の竜王姫はダヴィートがお気に入りなのね)
(お気に入りというか……気になるのじゃ)
(ふうん)
わたしよりダヴィートと契約したいって言われたら、ちょっと寂しいな。
なんて思っていたら、目の前で意外な光景が。
ダヴィートが弟らしき少年の頭に、拳を振り下ろそうとしているのだ。
たぶん、なにか理由があるのだとは思うのだけど──




