8・バグローヴィ辺境伯がやって来る!
「イオアン、一緒にメシ食うか?」
武竜学の授業が終わって、ダヴィートに誘われた。
頷くと、窓際にあるわたしの席に、彼の机をくっつけてくる。
うん。なんか友達っぽくていいな。
「私たちもかまわないかな」
ヴェニアミンさまとフォマーもやって来る。
わたしとダヴィートはフォマーを見たが、彼は無言で肩をすくめただけだった。
ヴェニアミンさまの独占は諦めたらしい。
外食するという前の席の生徒に許可を得て、よっつの机をくっつける。
わたし以外の三人が油紙に包んだパンを取り出したとき、わたしは気づいた。
「……俺、昼食忘れた」
「あっから」
ダヴィートが苦笑して、もうひとつ、ふたつみっつ、パンの包みを出す。
「どれも中身は朝食のニシンだ。好きなの食え」
「……ありがとう」
「礼はいいから、そのうち妹紹介してくれ。妹の友達の貴族令嬢でもいいぞ」
「……イオアンナ、女の子の友達いない」
ユーリアは親友だ。
わたしの発言に、ダヴィートは顔色を曇らせた。
「そっか、悪いこと言っちまったな。国王陛下の元許婚ともなれば、嫉妬と羨望の的で大変だったんだろ」
わたしは首を横に振る。
「……違う、イオアンナは武竜バカ。だれも話について来れない」
ダヴィートは溜息を漏らし、油紙をめくってパンを食べ始めた。
わたしもひとつもらって、齧る。油紙はちゃんとめくった。えっへん。
「……美味しい」
もちろん食堂の料理人の腕もいいのだけれど、朝食で食べたニシンとは違う味だ。
あのときは揚げたてのニシンだったから、レモンを絞っただけで美味しかった。
今は冷めて油が染みているのだが、副菜だったニンジンとお豆の茹でたのが潰されて、タレのようにかかっている。野菜本来の甘みもさることながら、塩コショウを加えて最初の状態より濃い味にしているので、冷めていても味がぼやけていない。
ニシンの旨みが引き立てられていた。
「野菜も一緒に入れているんだね」
「美味しそう」
ヴェニアミンさまとフォマーのパンは、ニシンしか挟んでいない。
「もらえる食い物は、全部食うのが我が家の家訓だ」
「ほほう。……ところでダヴィート、さっき聞くともなしに聞いてしまったのだが、君もイオアンナさまに焦がれているのかい?」
「目の前で話してたんだから、どうしたって聞こえるだろ。そうだぜ、俺はヴェニアミンさまの恋敵ってことだ。つってもイオアンナさまとやらにお会いしたことはないけどな。……なんかの祭りのとき、王宮のベランダにいたのを見たっけか」
「そうか……私は幸せ者だな」
「はぁ?」
「武竜学院に入学して二日、入学式も足したら三日目で、友達と恋敵ができた。なんだかまるで物語の主人公になった気分だよ」
「そ、そうっすか」
「ダヴィート」
「なんすか、ヴェニアミンさま」
「さま付けはやめてくれ。最初から武竜学院内では、身分など関係ないのだから。フォマー、イオアン、君たちもだ。……ダヴィート、私たちはこの武竜学院で競い合い、友情を深めていこう。そしてイオアンナさまに相応しい立派な男を目指すんだ」
ヴェニアミンさまは立ち上がり、ダヴィートの隣に立って彼の肩を抱いた。
緑玉の瞳を煌めかせて、窓の外の太陽を指差す。
ダヴィートにもらったパンの端をちょこっと千切ってフォマーに渡し(ねだられたのだ)、わたしはヴェニアミンさまに声をかけた。
「……きちんと昼食摂らないと、立派な男になれないと思う」
「今日は午後からバグローヴィ辺境伯による特別授業ですよ、ヴェニアミン」
フォマーの助けもあって、ヴェニアミンさまは自分の席に戻った。
ダヴィートが食事を再開する。
少しは役に立てたかな。
……お父さまの特別授業か。
実家で騎士団員をしごいているときは見学していた子どもが泣き出すくらい怖いお父さまなのだけど、武竜学院の生徒に対してもあんな風なのかしら。
それはともかく、久しぶりに炎の竜王に会えるのは嬉しいな。
炎の竜兵を連れてきてもらったとき以来だから、半月ぶりくらいだけど。
お父さま、辺境領に着いたと思ったら、すぐ王都に戻った感じね。
「そうだ、ダヴィート。良かったら姉を紹介しようか?」
ヴェニアミンさまの突然の発言に、ダヴィートは食べていたパンを喉に詰まらせかけた。
うん? まあ、わたしはこれからも彼とは、さま付けでお付き合いさせてもらいたいと思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(ぶち殺すぞ、小僧っ!)
頭の中で、わたしとお父さまにしか聞こえない声がする。
お父さまの契約武竜、バグローヴィ辺境伯家に伝わる炎の竜王の心の声だ。
今日は大地の日、明日からはお休みの週末。
揚げたニシンを食べたお昼の後、わたしは相対稽古の特別授業を受けていた。
校庭に転がったわたしを見下ろす、お父さまの眉間には皺が寄っている。
たぶん心の中で、炎の竜王になにかを言っているのだろう。
武器の形のときの武竜の声は聞こえるけれど、それに答える契約者の声は聞こえない。
(ザート、これは特別授業だから)
炎の竜王を止めながら、わたしは体を起こした。
さっき投げ飛ばされたときに手を離れた、炎の竜兵が宿る弓を拾う。
本当に、なんだってこうも上手く動けないんだろう。
勝利条件は昨日と同じだ。
相手から距離を取って、弓を構える。
だけどお父さまから離れることもできなかった。
地面に転がっていたのも、お父さまに転がされたからではない。
離れようとするたびに回り込まれ、疲れて足がもつれてしまったのだ。
お父さまは炎の竜王が宿る剣を、鞘から抜いてもいない。
(だからってこんな暴挙は許せない。これは先代に報告して、マリッサ姫との離縁も視野に入れなくてはならない案件だ)
「……っ! 特別授業だっつってんだろうがっ!」
ああ、お父さまってばやっちゃった。
バグローヴィ辺境伯の叫び声に、わたしとお父さまの対戦を息を殺して見つめていた生徒たち──今日は特別授業なので、普段の組や学年ごとの場所にわかれての相対稽古と違い、全校生徒が校庭の真ん中に集まっている──が、慌ててそれぞれの相手に対峙する。
昨日わたしの相手だったダヴィートは、今日はヴェニアミンさまと組んでいた。
というか、みんなに言ったわけではないのよ。
頭の中だけで思考と言葉を切り離すのは難しいから、慣れなかったり疲れたりしていると、心の声が口から出ちゃうのよね。お父さまは特に出やすい単純男だと、お祖父さまが笑っていらっしゃった。
それにお父さま、お母さまのことが大好きだから、マリッサって名前を出されるとすぐ感情的になるの。
(……落ち着け、炎の)
べつの武竜の声が聞こえる。
こちらはお父さまには聞こえない、わたしの契約武竜の声。
銀色の弓に宿った『怠け者』ではない。
ラヴィーナ王家に伝わる光の竜王姫だ。
竜王姫と竜王、意識を持つ二柱は知り合いだった。
(光の左。……私は、お前にも文句がある)
(なんじゃ)
(どうしてお前が、私の可愛いイオアンナ姫の契約武竜なのだ! 姫はバグローヴィ辺境伯家の跡取り、私こそが姫に相応しい契約武竜だ)
(はあ? ではそなた、イオアンナの姿を変えることができるのか? 炎の力でできるのは、燃やすことと燃やさないことだけであろうが)
(……うっ)
(そもそも戦闘訓練ごときで騒ぎ立てるそなたが、イオアンナと一緒に災霊を倒しに行くことができるのか?)
武竜学院の二年生には、災霊が出現した地域に赴いて討伐する実習授業がある。
(そ、それは……可愛い姫にそんなことさせられるはずがあるまいっ!)
(ならば口を閉じておけ。ここできちんと訓練しておかねば、イオアンナは生き残れぬ)
なんか盛り上がってるけど光の竜王姫、わたし卒業まで武竜学院にいられても、たぶん騎士団には入れないから。
……そりゃあ、だれ憚ることもなくあなたたちの契約者だって言えたら、どんなに嬉しいかしれない。でもあなたたち二柱の竜王姫は、ラヴィーナ王国に伝わる武竜なのよね。
そしてさっきの炎の竜王の言葉に、わたしは前々から疑っていたことを確信した。
武竜学院が女人禁制で女性の契約者が現れないのは、武竜たちが自分を受け継いでいる貴族の家に生まれた娘たちに対して過保護過ぎるからだ。
「……イオアン、とやら」
立ち上がったわたしを、お父さまが睨みつける。
あくまで初対面を装ってくれる気持ちは嬉しいものの、それ、無理です。
燃え盛る赤毛も、深く暗い緑色の瞳も、浅黒い肌も筋肉質で大柄な体も、全部そっくりなんだから。
それにフォマーがお昼の残り時間に、昨日わたしが話した設定を学校中に触れ回ってくれたの。勘ぐられたり、一々聞かれたりするの面倒でしょ? って言われたわ。
ダヴィートにもらったパンを千切ってわけたお礼、なんだって。
「武竜を扱えぬのなら、契約など破棄してしまうがいい。武竜は道具、お前がいなければ動くこともできない存在なのだぞ」
お父さまの言葉が、私情を含んでいることはわかっていた。
わたしの今の状況については、徹頭徹尾反対の姿勢だったし。
それでも否定したかった。
道具なんかじゃない。武竜には心があるのだもの。
そう反論しかけたとき、光の竜王姫に呼びかけられた。
(イオアンナ、そなたの父の言葉は真実じゃ。わらわはそなたの道具。この訓練、直接攻撃にさえ使わねば、わらわの力を使ってもかまわぬのじゃろう? わらわの力を使え。これまでもずっと、使ってきたではないか)
確かに、今だって男性の体になることに光の竜王姫の力を使っている。
彼女に借りた力を、使って……あれ?




