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7・ゴトフリート先生は、麗しの大公。

 二日目午前中の授業は武竜学だ。

 教室の扉が開いて、級長ヴェニアミンさまが号令を放つ。

 そのまま号令に従って、入ってきた先生にお辞儀をして席に就く。

 昨日の竜神学のときもおこなった、なんの変哲もない行為だ。

 しかし今日は、号令に置いて行かれた生徒が何人もいた。

 みんな平民寮の生徒だ。

 教壇に立つ先生を瞳に映して、無言で立ち尽くしている。

 隣の席のダヴィートがわたしを見て、声もなく唇を動かす。


 ──なんだ、アレ。


 わたしも声を出さず、唇の動きで答える。


 ──麗しの大公。


 へーアレが、と唇の動きだけで言って、ダヴィートは腰を降ろした。

 ほかの生徒も、近くの貴族寮の生徒に促されて座っていく。

 教壇の上で、武竜学の先生が口を開いた。

 女人禁制の武竜学院にいるはずのない、麗しいドレス姿の人物の唇から、掠れた男性の声が朗々と流れ出る。


「おはよう。初めましての人もいるね。僕はゴトフリート。先王の母親違いの弟で、今のユーリイ国王陛下の叔父に当たる。大公位を授かっているけれど、ここでは先生と呼んでくれるかな。……ああ、ちなみに僕がドレスを着ているのは、ただの趣味だ」


 そう、彼は女性の格好をしていた。

 王宮でもそうだったので、貴族はみんな知っている。

 平民でも噂を聞いたことがあるかもしれない。

 銀の髪に白い肌、真っ青な瞳。柔和で整った美貌の持ち主だ。

 どこか苦悩に満ちた表情で眉間に皺を浮かべていた先代の陛下と違い、いつも笑顔を浮かべている。あまり筋肉はないものの、しなやかに伸びた手足に無駄な肉はない。

 わたしは認めないけれど、ユーリイ国王陛下よりも美しいと評するものもいる。

 失礼しちゃうわ。


「恋愛対象は女性なので、僕には恋しないようにね、諸君」


 高く盛った銀の髪は、金色の針で留められていた。

 麗しの大公が契約している水の竜将が宿る針だ。

 ゴトフリート大公が女装を始めたのは、先々代陛下の後妻だった母君に、自分は王位に興味がないと伝えるためだったといわれている。

 権勢欲の強い母君がなさぬ仲の先代陛下相手にいろいろやらかしていたらしいけど、大公と先代陛下の関係は良好だった。

 でも母君の死後も女装で生活してるのだから、やっぱりただの趣味だと思う。

 二十代半ばで独身で、恋人がいるという噂も聞かないのは、趣味のせいかしら。

 女として、自分より麗しい恋人は辛いものねえ。

 わたしもたまに、美し過ぎるユーリイ国王陛下の隣に立つのが辛かった。

 まあユーリアが好きだから頑張ったけどね。

 大公はユーリアの事情を知らないものの、ユーリイ国王陛下にとっては優しく頼りになる良い叔父さまなので嫌いではない。


「……声さえ気にしなけりゃ、確かに惚れちまうかもな」


 隣を見ると、ダヴィートが苦笑を浮かべて教壇を見つめていた。

 実際のところ、声で同性とわかっていながらも恋してしまう男性が後を絶たないらしい。


「それじゃあ教科書は机にしまってね。今日はみんなの武竜の幻影を見せてもらう。もちろん教室内で武竜の力を攻撃に使ったりしたら、大変なことになるよ? どうやったら安全な形で力を発することができるか、考えてみよう。できると思ったら挙手してね」

「……はい」


 わたしは手を挙げた。

 麗しの大公は、楽しそうな笑みを浮かべて見つめてくる。


「君は……イオアン、くんだったかな?」

「……そうです」

「うん、じゃあ見せてみて」


 わたしは立ち上がり、竜環が巻きついた右腕を前に突き出した。

 しゅるん、と竜環が変化して銀色の弓が手の中に出現する。

 最初のひとりだ。

 教室中の視線を感じる。

 笑っていたダヴィートも真面目な顔になっていた。

 本当は光の竜王姫の力を借りるほうが得意。竜環がほかの人、ユーリアに巻きついた状態でも力を発してもらうことができる。得意というか、たぶん向こうが調整してくれているのだろう。邪神封印のときから経験を積んでいる武竜なのだもの。

 だけど今は炎の竜兵の姿を見せなくてはいけない。

 教室で弓を射るわけにはいかないから、矢ではなくべつの形で力を発してもらおう。


(……リェンチャイ……)


 心の声で呼びかけると、眠そうな意識が返ってきた。

 この子は竜兵なので、人間の言葉はしゃべれない。

 わたしはリェンチャイにお願いした。


(今日は寒いから、あなたの炎で包んでちょうだい。優しくね)


 今も地下を流れる竜鉱脈の影響で、最北端でありながらほかの土地よりも温かく過ごしやすいラヴィーナ王国だけど、空は北の空のままだ。灰色で、雲は厚く夏は短い。

 春の初めの今ごろは、日によってまるで気温が違った。

 受諾する気配の後、武竜の赤い力がわたしの──


「きゃああぁぁぁっ!」


 体を包んで燃え上がった。

 慌てて炎の竜兵に呼びかける。


(ごめん、止めて!)


 全身を包んでいた炎が、一瞬で消える。

 服は少し焦げてしまった。

 わたしは男性の体に合わせた大きな服を着ている。

 男性に見せかけるために体を覆っている光の竜王姫の力には実体がないけれど、外へと押し出す圧があるのを利用しているのだ。反発するような圧が弾力を感じさせるので、触れられても実体がないことに気づかれないで済む。

 ほら、空気を吹き込むと袋が膨らむように、ね。

 光属性は外へと広がる力、拡散の力を持つ。

 同時に増幅の力も持っている。

 拡散が広げて薄める力なら、増幅は集めて高める力。

 裏表の力を持つわけだ。

 光属性だけに可能な浄化とは、邪悪の鱗の邪気を広げて薄め、内部に散らばっている穢れていない闇の竜神さまのかけらを集めて増幅することにほかならない。

 今わたしが火だるまになったのは、光の竜王姫の力に包まれていることを忘れて炎に包まれたせいで炎属性の力が光属性の力に増幅されて、思っていたより強い炎になったから。

 光属性の力に包まれていたから熱くはなかったけど、服が焼け落ちたら大変だった。

 それにやっぱり驚いたしね。


「……大丈夫か?」


 ダヴィートに言われて、大きく頷いて見せた。

 教壇の麗しの先生が笑いながら、わたしに話しかけてくる。


「イオアンくん、僕に憧れる気持ちはわかるけど、授業中にいきなり服を焼いて好意を表現するのはどうかと思うな」

「……いえ、違います。もう一度やらせてください」

「いいよ。このまま終わったら、みんな怯えて後に続かないだろうしね」


 心の中でもう一度、炎の竜兵に呼びかける。


(リェンチャイ、今度は弓を持っていないほうの手のひらに小さな炎を灯して。髪の毛の断面よりも小さいのね)


 ──今度は上手く行った。

 髪の毛の断面ほどの小さな炎は、あっという間に増幅されて天井まで届きそうな炎になった。でも届いてないから大丈夫!

 よく見ると教室の天井は、わたしが焼かなくても焦げていた。

 穴が開いたり土がこびりついたりしている場所もある。

 これまでの新入生の仕業かなあ。

 力を発動中の武竜の幻影は、彼らの心のまま自由に動く。わたしの炎の竜兵は燃え盛る炎の周りを舞い踊った……ら可愛かったのだが、実際は手のひらの上で寝転がっていた。

 契約で名前を教えてもらったとき、ちょっとだけイヤな予感はしてたのよね。

 しゃべることはできない竜兵も、契約の証でもある自分の名前だけは契約者に伝えることができる。

 わたしの契約武竜の名前は、『怠け者(リェンチャイ)』だったのだ。

 角のない小さな赤い竜兵が丸まった姿は、ちょっと猫みたいで可愛かったけど。


「うん、今度は上々。自分の力を理解して、無茶はしないようにね。次に武竜の幻影を見せてくれるのは、だれかな」

「俺やります」


 次に手を上げたのはダヴィートだった。

 炎を消し、弓を竜環に戻したわたしが座るのと交代に、彼が立ち上がる。

 ダヴィートは机の横にかけた道具袋から水筒を取り出し、飲み干した。

 逆さにして、一滴も残っていないことを見せる。

 それから彼は自分の竜環を、銀糸で編まれた鞭へと変えた。


「さぁて、お立ち会い」


 子どものころ辺境伯領で見た旅芸人のように言った彼は、鞭を振るって水筒をつかむ。

 ぺしゃんこだった防水布の水筒が膨らむのと同時に、銀色の鞭に巻きつくようにして青い武竜の幻影が浮かんだ。ほっそりした感じの美しい武竜だった。

 麗しの先生が拍手して、ダヴィートに称賛を送る。


「うん、よくできたね。武竜と心を通わせるためには、僕みたいに普段から武器の形で持ち歩くのもいいと思うよ。ダヴィートくんなら、帯の代わりに腰に巻いておくのもありじゃないかな」

「ありがとうございます。……でもコイツ、災霊を食えないときは竜環の形で眠っていたいみたいで」


 武竜は、屠った災霊に含まれる闇の竜神さまの穢れていないかけらを食らう。

 ダヴィートの契約武竜は水筒が膨らむと同時に幻影の姿を見せて、次の一瞬で消えてしまった。握られていた鞭も左腕の竜環に戻っている。水筒だけは膨らんだままだけど。


「食いしん坊さんなんだね」

「はは、そうなんです」


 困ったような笑顔を浮かべたダヴィートが座った後、ヴェニアミンさまが手を挙げた。

 大地属性が持つ力は硬化と軟化。

 自然でも大地は硬い石や宝石、柔らかい粘土や泥を生み出す。

 斧を握った彼の腕に、黒曜石の籠手が生じる。

 生じた籠手は、二本の角を持つ黒い幻影と一緒に消えてしまった。

 ダヴィートが水筒に詰めさせた水とは違う。

 攻撃のための力ではないものの、戦闘のときに特化した力の使い方のようだ。

 ……最初のわたしの失敗で恐れをなしたのか、今日武竜の幻影を披露したのは三人だけだった。

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