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4・ふたり目の求婚者。

 でも本当に良かった。イオアンナだって気づかれたわけじゃないから、明日の武竜学の授業では武竜の幻影が見れる。……嬉しい。

 と、浸っていたら、裏庭の大きな木がいきなり揺れた。


「イオアン、お前昼食摂らねぇの?」


 枝を揺らして後ろから出てきたのは、寮で隣室のダヴィートだった。

 教室でも隣の席だ。

 そういえば、真っ先に教室を出て行ってたっけ。


「……なにも用意してない」

「んじゃこれやる、感謝しろ。午後からは相対稽古だ。食ってないともたないぞ」


 朝の食堂でもらって来ていたのだろう。

 ダヴィートは焼いた鮭とタレに浸したタマネギを挟んだパンをくれて、わたしの隣に座り込んだ。彼は黒髪で、でもさっきのパーヴェル司教みたいに濡れたような艶やかさはなく、乾いた感じの髪を無造作に整えている。瞳は深い、黒と見紛う感じの青。


「ありがとう。……ずっと、いた?」

「俺が昼休みを楽しんでたら、お前らが来た」

「……うるさくしてゴメン」

「かまわねぇ。てか、早く食えよ」


 お礼を言って、わたしはパンを頬張った。

 パンに染み込んだタマネギのタレが、焼き鮭の味を引き立てている。


「ほら」


 焼き鮭にまぶされていた黒コショウの風味に渇きを感じていたら、ダヴィートが水筒を渡してくれた。水を通さない布の水筒だ。中の水は冷たくて、喉に心地いい。

 ……もしかしてダヴィートの契約武竜、水属性なのかしら。

 幻影の姿が浮かばないだけで、強い武竜は竜環の形でも力を使うことができる。

 わたしの左足に竜環の姿で巻きついた、光の竜王姫リェーヴァヤのように。

 だから竜環を託すことで、相手を守ることができるわけ。

 竜王は貴族の家が確保してるから、なにかで行方不明になった竜将を見つけたのかな。

 まあ昼休みだし裏庭だし、木の陰にいたわたしたちが気づかない間に武器の形にして力を使っただけかもしれない。

 あ、だったら、ダヴィートの武竜の幻影見たかったー。


「ん」


 返した水筒を腰に吊るし、ダヴィートはわたしに手を差し伸べてきた。

 うん、知ってる。


「……わん」


 わたしはダヴィートの手のひらに、丸めた自分の手を置いた。

 懐かしいな。小さいころ、お父さまとお忍びで行ってたバグローヴィ辺境伯領の村のパン屋に、懐っこい犬がいたのよね。今も元気かな。

 ダヴィートは腕を振って、わたしの手を振り落す。


「違ぇよ! てか平民寮にいるわりに浮世離れしてると思ったら、お前貴族のボンボンだったんだな」


 武竜学院の寮には、貴族寮と平民寮がある。

 食堂はどちらからも行きやすいよう、ふたつの寮の中間に建てられていた。


「……う、うん。みたいな感じ? 黙っててゴメン」

「それはいい。だれにだって秘密はあるもんだからな。つうか、お手じゃねぇ。金だ、か、ね! パンと水代寄こせ」

「……わかった、いくら?」


 わたしは、慌てて財布を取り出した。

 武竜学院は国の機関で、生徒は授業料も寮での生活費も支払わなくていい。

 けれどダヴィートは実家に借金があるとかで、お金にうるさいのだった。

 パンと水代か、いくらくらいなんだろう。

 お父さまとお忍びで出かけてたから、わたし買い物はできるんだけどね。えっへん。

 わたしが出した金貨を見て、ダヴィートが頭を抱えた。


「いくら小遣いもらってんのかしんねぇけど、こんなもんで金貨出してたら、あっという間に有り金全部奪われるぞ。……俺に!」

「……え、でもお釣りもらえば」

「四人家族の一ヶ月分の生活費から、パンと水代を引いた額の釣りなんて持ち歩いてねぇよ。お前な、悪ぃこと言わねぇ。先生に相談して両替してもらっとけ。つうか先生に預けとけ」

「……わかった。パンと水代はそれから払ったんでいい?」

「あ? 冗談だ、いらねぇよ。どうせ食堂でもらってきたパンだ。イオアンお前、そんな素直に人の話聞いてんじゃねぇ。あ、でも……」

「……ん?」


 少しなにかを考えるような顔をして、ダヴィートは口を開いた。

 彼の声は低く、乱暴な口調なのに、聞いているとなぜか心地良い甘さを含んでいる。


「寮でも学校でも隣だ。どうせ俺はこれからも、お前の世話を焼いちまうだろう。だからそういうの全部ひっくるめて、お前の妹で手を打つぜ」

「……妹?……あ、イオアンナのことか!」

「なんでいきなり忘れてた。母親が違うとはいえ、ひでぇ兄ちゃんだな」


 忘れてたというか、同一人物なもので。

 バグローヴィ辺境伯令嬢イオアンナは、ひとりっ子なのでございます。

 婚約が決まったころは、そのうち弟か妹が生まれるだろうと思っていたのよね。

 わたしとユーリアの間に子どもはできないから、弟妹の子どもの甥姪か麗しの大公の子どもをもらって王位を継がせる、なんて話を彼女としてたっけ。


「まあ俺はイオアンナ嬢の顔も知らねぇし、そっちにも好みってもんがあんだろう。彼女の心が癒えたころに、武竜学院で親しくしてる同級生だって紹介してくれるだけでいいから。……つっても有能だって噂のユーリイ国王陛下が、気まぐれで婚約を破棄するとは思えねぇ。なんか裏がありそうだから、すぐ許婚に復帰しそうだけどよ」


 ……ぎくっ、ダヴィートってば鋭い。

 そもそも隣国の情勢が落ち着くっていうのが、どういう状態なのかわからないのよね。

 むしろラヴィーナ王国にどんな影響が出ているかで、どうするか決めるんだろうな。

 とりあえず竜神教の本拠地である神聖ダリェコー教国を始めとするセーヴェル大陸の国々は、隣国の革命政府を国として認めてない。

 自由と平等を謳っているけれど、今のところ焼き討ち略奪と王侯貴族の処刑しかしてないからね。

 ラヴィーナ王国以外の国々の王家は親戚同士だから、隣国の王位継承権があると主張して攻め込む国が出てくるかもしれないし。


「……紹介するのはいいけど、ダヴィートはいいの? 辺境伯領は借金だらけ」

「マジで? でも辺境伯ってあれだろ? 国境を守ってるから普通の伯爵より権限が大きくて、侯爵にも匹敵するっていう。王命に逆らっても処罰なしって話じゃねぇか」


 ラヴィーナ王国は、ほかの国より国王の権限が大きい。

 これはこの国が、闇の竜神さまと戦うために集められた傭兵団によって建国されたことに由来する。傭兵団において、命令違反は作戦の失敗と死を意味するからだ。

 辺境伯は遊撃隊のような立ち位置で、最終的な勝利を導くためなら命令違反も許される存在だった。


「災霊の出現数が多いから、浄化した邪悪の鱗を売っても被害額が上回る? てか神聖ダリェコー教国に騎士団派遣して、金もらってんじゃなかったっけ」


 討伐された災霊が残す邪悪の鱗は、聖職者によって浄化されることで、結界の礎や護符としての使用が可能なため、教国が高値で引き取ってくれる。

 武竜となる竜鉱石の鉱脈は、決戦の地であり今も邪神を封じているラヴィーナ王国にしかない。だが、災霊は大陸全土に出現する。

 烈火ガリェーチ疾風ヴェーチェル迅雷グロム──バグローヴィ辺境伯の配下にあるみっつの騎士団は、セーヴェル大陸の真ん中にある神聖ダリェコー教国へ三年周期で派遣され、各地の災霊討伐に勤しむことを義務付けられていた。

 竜将以上の武竜と契約したら、あるいは契約武竜が竜将に成長したなら爵位が与えられるけど、基本的にラヴィーナ王国の騎士は世襲制でなく領地も与えられていない。

 みっつの騎士団所属の契約者を失った武竜は辺境伯家に預けられ、新しい契約者を待つ。

 だから辺境伯家の武竜は多いわけ。

 辺境伯領以外のところだと、契約者を失った武竜は各地にある竜神教の礼拝堂に託されている。ずっと同じ礼拝堂にいると契約者と巡り合えないかもしれないから、数年周期でほかの礼拝堂へ移動するのが普通だった。

 光の日の朝、祈祷するために礼拝堂へ行った子どもが、飾られている武竜に呼びかけられて契約者となる──ラヴィーナ王国で好まれているおとぎ話の冒頭だ。


「……神聖ダリェコー教国……」

「どうした、イオアン」

「……途中に替え馬も用意しないで、急げ急げと急かすだけ急かし、騎士団の馬が潰れても責任は取らない。災霊に怯えない馬を育てるのが、どんなに大変かも知らないで。支払期限を破った上に値切る。こっちが災霊に苦しむ人間を見捨てられないのをわかってて無茶ばかり。聖職者なんて、聖職者なんて……」

「わ、わかった。落ち着け、イオアン」

「……ゴメン」


 一瞬、辺境伯領の経理を司るお母さまが乗り移っちゃってた。

 五歳のころから王宮で暮らしてきたけれど、里帰りするたびにお母さまは予算の運営に困ってらしたっけ。いつもおっとりしているお母さまなのに、経理のお仕事をされているときだけは人相が変わってるのよね。……全部神聖ダリェコー教国が悪い。


「……とはいえ信用問題になるから、一応ちゃんと払ってくれるよ教国は。だから支払いがあるまでクルーク商会に借金して、教国の支払いが入ったら借金返して、の繰り返し」

「クルーク商会? へー、うちの借金もクルーク商会だぜ。本店が家の近くにあるんだ」

「……偶然だね」

「そうだな。……べつに楽しいことでもねぇけどな」

「……だね」


 不意にダヴィートが立ち上がる。

 男性の体のわたしよりは低いけれど、本当の体のわたしよりは背が高い。


「そろそろ午後の授業だ。行くぞ」

「……うん」

「あ、それとイオアン。お前の妹狙うのは金と身分目当てだが、結婚したら浮気しねぇで大事にするから安心しろ。……浮気する男は、クズのクズだからな」


 わたしの結婚相手が浮気をしたら、わたしがどうこうする前に実家の武竜、炎の竜王が黒焦げにすると思う。

 辺境伯家は代々女系で、婿養子を取って続いてきた。

 お父さまもお祖父じいさまも、曽祖父もみんなみんな婿養子。

 そのせいか生まれたときから辺境伯家の娘を見守る炎の竜王は、とても過保護だ。

 お母さまに求婚したお父さまが実力を証明するためお祖父じいさまと対決したときは、宿った大剣から天にも届くような炎を立ち昇らせて、


 ──炎の竜王、お前災霊討伐のときもこれくらい気合い入れてくれ。


 と、契約者を嘆かせたと聞いている。

 まあ災霊討伐のときの炎の竜王は、戦士としてのお祖父じいさまの力量を信頼してるから過剰に能力を発揮しないだけだと思うけどね。

 なんてことを思いながら、わたしはダヴィートと校舎へ向かった。

 武竜学院に入学した翌日にふたりも求婚者が現れるなんて、イオアンナってばモテモテ?……なんてね。

 ダヴィートの武竜は、どんな幻影の姿をしているのかしら。

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