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33・舞踏会の夜③

「こんばんは、ふたりとも。今宵は楽しんでいきなさい」


 舞踏会の主催者であるユーリイ国王陛下はまだ大広間にいらっしゃらないので、わたしとダヴィートは陛下に次ぐ権力者であるゴトフリート先生に挨拶しに行った。

 女性の姿でも麗しの大公と呼ばれていたのに、本来の男性として正装した姿は光り輝くばかりで、わたしたちの前に挨拶しに来た貴族たちはその場から動けないでいる。

 大公閣下に媚を売りたい気持ちもあるかもしれないが、うっとりと彼を見つめる表情は完全に魅了されているようにしか見えなかった。

 まして大公閣下の同行者で隣に立っているヴァルヴァーラさまに至っては、なにかきっかけがあれば溶けてしまいそうなお顔をなさっている。


「ありがとうございます。こんばんは、ヴァルヴァーラさま」

「こんばんは。今宵は月が眩しいですわね」


 唇は挨拶の言葉を紡いでいるものの、彼女の瞳はこちらを見ていない。

 もちろんそんなの無礼極まりないから、一応顔は向けられている。

 それでも、どうしても麗しの大公から視線を逸らせないでいるようだ。

 ヴァルヴァーラさまはビェールィ侯爵家のご令嬢だし、結局のところほかのみなさまも麗しの大公から目を離せないでいるので、責めるものは出ないだろう。

 頭上で煌めく数多のシャンデリアは王宮の大広間全体を照らしているのに、人々はふたつの場所に集まっていた。麗しの大公の周りと、もうひとつ。


「大盛況ですね、大公閣下」


 王家主催の舞踏会が盛況でなかったら、ラヴィーナ王国の今後が心配になるけどね。

 わたしの言葉に、大公閣下は苦笑を浮かべた。


「今夜はラヴィーナの人間だけでなく、神聖ダリェコー教国の教主さまもいらしているからね」


 彼とはべつの集団の中心が、教主さまだった。

 麗しの大公は、わたしと話している体で周囲にも聞こえるように話を続ける。


「もっと特別なお客さまもいらっしゃるらしいよ」


 大公閣下に見とれていた貴族たちの瞳に理性が灯った。

 いささか鈍いわたしも悟る。

 教主さまは偉大なお方だ。

 バグローヴィ辺境伯家の令嬢として、神聖ダリェコー教国へ騎士団を派遣するときの費用や予算の問題で、教主さまに恨みや怒りがないといえばウソになる。

 とはいえラヴィーナ王国の国教であり、この大陸全土の人々の救いであり、なにより各地の礼拝堂で契約者を失った武竜を保護してくれている竜神教の頂点に立つお方に対して尊敬の念を抱くなと言われても無理がある。


「……そういうことですか」


 わたしの隣で、ひとり言のように呟いたダヴィートに大公閣下が頷く。

 彼の呟きはここにいるすべての人間の想像を代弁していた。

 どういう形になるのかはわからないが、特別なお客さま──革命後の隣国リョートに関わるだれかが教主さまに会いに来ているのだ。

 武竜学院で教師としてのゴトフリート先生にいろいろ聞いてきたけれど、革命前も革命後も苦しめられてきた人々が幸せになれる結末になるといいな。

 簡単なことじゃないこともわかっているけどね。


 ──軽くお互いの幸運を祈り合って、わたしたちは大公閣下とヴァルヴァーラさまから離れた。

 それが合図だったかのように、ほかの貴族たちも大広間に散らばっていく。

 もうそろそろ舞踏会が始まるころだ。


☆☆ ☆ ☆ ☆


「やあダヴィート! 君はイオアンナさまと一緒だったのかい?」


 バグローヴィ辺境伯令嬢として、自分の身分に合った立ち位置でユーリイ国王陛下による舞踏会の開始を待っていたとき、陽気な声が聞こえてきた。

 ヴェニアミンさま。

 未来のビェールィ侯爵ヴェニアミンさまだ。

 今の声からすると、もう全然わたしには関心がないんだろうなあ。

 ……べつにいいんだけどさ。

 彼の隣には先日出会った女性の姿がある。


「……シエールィ男爵家のアドリアナさま」


 不思議そうな表情を一瞬で打ち消して、アドリアナさまが優雅に会釈する。


「初めまして……でございますわよね、イオアンナさま」

「え、ええ。自己紹介もせずに失礼いたしました。あなたのことはこちらのダヴィートに聞いていましたの。大変な苦難にお遭いになりましたのね」


 ダヴィートがもの言いたげな視線を向けてくる。

 ゴメン、話すらしてないよね。

 でもあの場にいたなんて言えないじゃない。

 わたしがイオアンだなんてこと、ダヴィートにだって言ってない。

 イオアンが実在していたとしても気軽に話題に出せる存在じゃないし。

 ダヴィートは諦めたような溜息を漏らし、アドリアナさまにお辞儀を返す。


「お元気そうでなによりです。私の口の軽さをお許しください」

「いいえ。イオアンナさまのお立場なら、お知りにならないでいるほうが難しいことでしょう。……ほかのお二方は?」

「私と一緒にいたものは、こちらに来れるような身分ではありません。私にしてもイオアンナさまのご厚意に甘えさせていただいただけで。もうひとりは……」


 イオアンについて卒なく誤魔化してくれた後、ダヴィートはヴェニアミンに視線を送った。

 確かにフォマーのことはわからない。

 あのとき怪我をしたヴェニアミンさまもいらしているし、同じ身分の男爵家のアドリアナさまも招待されている。彼が来てない理由はなんだろう。

 お父さまが出席されているのかしら?

 武竜祭が控えているとはいえ、人脈を広げる好機を見逃すフォマーとも思えないのだけど。

 先ほど大公閣下に見とれていた姉君と同じ表情でアドリアナさまを見つめていたヴェニアミンさまが、ダヴィートの言葉にハッとする。


「フォマーのことは私も詳しくは知らない。最後に会ったときは、甘やかされて育った従姉のせいで厄介ごとに巻き込まれそうだとか言っていたな。ダヴィートのほうこそイオアンに聞いていないのかい?」

「イオアン?」

「フォマーの従姉を甘やかしたのはイオアンだという話だよ。……三角関係とか略奪愛とかいう話は苦手なので、それ以上聞かなかったんだが」


 んんっ?

 ダヴィートが視線を送ってくるけれど、ちょっと待って。

 わたしにも状況が把握できてない。

 でも……でもまさか、そういうことなの?

 ユーリアに聞いた話、フォマーに言われた言葉、いろいろな断片が頭の中でつながっていく。

 武竜学院の食堂でヴェニアミンさまに彼を紹介されたとき、紫色の瞳が同じだと、彼女のことを重ねた記憶が蘇る。


 ──わーっ。


 歓声が上がって、思索に耽っていたわたしも人々の視線の先に顔を向けた。

 大広間にユーリイ国王陛下が現れたのだ。

 シャンデリアに照らされて輝く銀の髪、澄んだ紫の瞳。

 世界で一番美しい元婚約者は、今夜も男装だった。

 護衛の近衛兵たちを挟んで立つのは、竜神教の司教と隣国リョート風の正装に身を包んだ男性がひとりずつ。大公閣下の話していた特別なお客さま、だろう。

 司教は狂信者ではない人なんだろうか。

 少なくともパーヴェル司教ではなかった。

 異国風の服を着た男性は、なんだかひどく怯えているように見える。

 そして、彼ら二人とも隔てられた位置に小柄な女性の姿があった。

 ヴェールで顔を隠しているにもかかわらず、ドレスの胸元は大きく開いている。

 まるでその痩せた胸元に咲き誇る、六弁の花びらが円を描く赤紫色のアザをだれかに見せつけるかのように──


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