32・舞踏会の夜②
「どうして兄弟ゲンカなんか……」
王宮へ向かう馬車の中でわたしが発した質問に、ダヴィートは呆れたように肩を竦めた。
「おやおや。我が月光は先ほどの私の言葉を耳に入れてくださらなかったのですね」
「……普通に話して」
「普通に話しても同じことだ。弟どもは、俺だけがあんたと出かけるっていうのが気に食わなかったんだよ」
「でも先週も遊びに行ったわ。今週は舞踏会があるから無理だけど、来週も遊びに行けるわよ?……もちろん、お邪魔して良ければの話だけれど」
ダヴィートが吹き出す。
「だーかーら、ちゃんと恋敵だって言っただろ? アントンも双子もカルルも、あんたと結婚したいんだ。王宮の舞踏会に付き添ってダンスを踊るのだって、自分がいいに決まってるだろ?」
噛んで含めるように言われても納得できなくて、わたしは首を傾げてしまう。
「でも……四人とも子どもだわ」
「子どもは恋をしないとでも? 前にイオアン経由であんたに肖像画を渡したことがあるだろ?」
「ええ」
「アントンが他人に贈り物をするなんて、本当は我が家の人間からすると驚天動地の行いだったんだぜ?」
「そうなの?」
「ああ。前にちょっとだけ話したかな? アントンが小さいころは俺もガキで、しかも知らない国に来たばかりで混乱してたって。この国に慣れて親父の仕事も安定したと思ったら双子が産まれたもんだから、アントンには我慢ばかりさせてきたんだ」
「アントンは、いつも飄々としてる風に見えるけど」
「自分の中で我慢することとしないことを選別してるからだ。命に関わるからと食べることだけは我慢させないようにしていたら、いつの間にかとんでもなく食い意地の張った人間になっちまってた。むしろアイツの一番の楽しみであるなにかを作ることのほうは我慢してくれてる。設計図を描くための布は、描いては消し書いては消しして使ってたんだ」
「そんなに大切なものをわたしにくれたの?」
「アイツの本気がわかるだろ? 双子も……今は双子なんて一緒くたにしたら怒りやがる。ヤーコフはヤーコフで、ヨーシフはヨーシフとして、あんたに認めてもらいたいんだ」
……わたしに恋しているかどうかはともかくとして、双子だからってまとめて考えるのは確かに良くないかもしれない。
ちゃんと個々を見てあげなくちゃね。
それにアントンにもなにかお礼をしなくちゃ。
絵を描くのに良さそうな布切れがないか、帰ったらばあやに聞いてみよう。
きちんとした画布を取り寄せてもいいかもしれないわ。
「カルルはなあ」
ダヴィートの口元に微笑が浮かぶ。
「頑固で人見知りで……正直、一番俺に似てると思う。だからこそなのかな、最初っからあんたに夢中だろ? てかアイツ、あんたと結婚するのは自分だって信じて疑ってねぇと思うぜ」
「わたしもカルルが大好きよ。……結婚は、しないと思うけど」
「ああ、もちろんだ。だってあんたはバグローヴィ辺境伯家のご令嬢。武竜が女性を契約者に選ばない以上、武竜と契約した男を婿に迎えなくちゃいけない」
そこで、彼は疲労を滲ませた溜息を漏らした。
「どうしたの?」
「最近休みの日になると、俺が用事してる隙を見て弟どもが武竜に話しかけてるんだ。ずっと身につけてりゃいいのかもしんねぇが、水仕事のときとかは邪魔になるからよ」
「! あの子たちも武竜と話せるの?」
「……ふうん……」
勢いよく尋ねたわたしに、ダヴィートはからかうような視線を向けてくる。
「『も』ってこたぁ、あんたは武竜と話せるのかな? うちの弟どもは、自分と契約してくれないかと呼びかけてるだけで、武竜に応えてもらっちゃいねぇようだがね」
「は、は、話せるわけないじゃない。武竜と話せるのは、その武竜の契約者だけよ? もし仮に話せたとしても武竜と契約者の会話を盗み聞きしたりはできないわ」
「なるほどなるほど」
ううう、話せば話すほど墓穴を掘りそう。
なにかほかに話題はないかしら。
「そういえばダヴィート、その服素敵だけれどラヴィーナ王国風ではないのね?……もしかしてリョート王国風なの?」
「当たり。十年以上前に流行してた意匠だ」
「お父さんのお下がり? わたしも小さいころ、お母さまのお下がりを着ていたわ」
「んー……」
ダヴィートはわたしから目を逸らすようにして、馬車の窓へと顔を向けた。
「一応俺が成人したときのために、親父とお袋が作ってくれてたヤツ。革命が起こるなんて想像もしてなかったから、いつかは向こうへ戻るつもりだったらしい」
「そうなの。……前の王さまもいなくなったし、リョート王国が落ち着いたら戻るつもり?」
パーヴェル司教のような正しい竜神教の使徒が狂信者たちを倒したら、隣国もまともになるだろう。
それでも傷痕は大きい。
革命政府がどこまで狂信者に支配されていたのかはわからないけれど、武竜を穢したことについては、わたしも怒っている。
狂信者たちの身勝手な望みを叶えるために利用され扇動された人たちの怒りはもっと大きいだろうし、大切な人を失ったり傷つけられたりした人たちの苦しみが癒えるのにも時間がかかる。
そもそもどこまで真実が明かされるのかもわからなかった。
「……ああ、そうだな」
ダヴィートの低い声が耳朶を打つ。
一瞬で全身が凍りつくのがわかった。
話題を変えるために口にしたものの、まさかそんな答えが返って来るとは思っていなかったのだ。
「そう、なの? ダヴィート、隣国へ帰ってしまうの?」
「……ぷっ」
「え?」
「なに泣きそうな顔してるんだよ」
一瞬で、彼の顔がすぐ近くに迫っていた。
「そんなわけないだろ。俺ら家族はもう、リョート王国を捨てたんだ。今さら戻ろうったって受け入れてもらえないさ。この国、ラヴィーナ王国に受け入れてもらえたことに感謝して、精いっぱい生きていくしかない。せっかく武竜とも契約できたんだしな」
「そ、そう。そうね」
よく考えてみれば、武竜の契約者となった人間が他国へ行けるはずもなかった。
「……ごめんな」
「え?」
「ちょっとからかうつもりだったんだけど……ダメだ。あんたの悲しそうな顔見てると、俺の心臓が潰れちまう」
「……」
馬車の中を沈黙が支配する。
わたしとダヴィートは、なぜか見つめ合ったまま動けなくなった。
もどかしいけれど、どこか甘く心地良い時間は、馬車が王宮へ着いたことで終わりを告げた。
☆☆ ☆ ☆ ☆
幼いころから王子──今は国王、と婚約していたのに、ある夜突然婚約破棄を言い渡された辺境伯令嬢が社交界に戻ってきたのだ。
注目を浴びることは覚悟していた。
むしろ浴びないわけがないと思っていた。
けれど、わたしに向けられる視線は驚くほど少なかった。
──なぜか。
理由は簡単。
ゴトフリート先生こと麗しの大公が、何年ぶりかの男装を披露していたからだ。
王宮の大広間の視線は彼が独占している。
たまにだれかとすれ違ったときに向けられる視線もわたしではなくダヴィートのほうへ……まあ、バグローヴィ辺境伯家の令嬢がラヴィーナ王国の貴族ではない男性に付き添われて来ていたら、みんな興味を持つわよね。これは当然のことかしら。
ダヴィートの顔を見た後で少し驚いた表情で二度見するのが、王家の信頼が厚くて他国との外交を任されているような大物貴族ばかりだった気もするけれど、我が家の規模を考えれば不思議はないだろう。
だれがわたしの婿になるかによって、この国の勢力図が変わってしまうものね。




