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30・図書室の麗人、お休み

 ──光の日。

 武竜学院の図書室には、ダヴィートの姿しかなかった。


「おはよう」

「……おはよう、ゴトフリート先生は?」


 質問を口に出してから気づく。

 ゴトフリート先生は麗しの大公閣下だ。

 ユーリア、いやユーリイ国王陛下が婚約するとなったら忙しくなるに違いない。

 王侯貴族の結婚にはどうしたって国の政治と経済が絡む。

 婚約相手によっては、ユーリイ国王陛下を廃して大公閣下に即位してもらおうという意見も出るだろう。そもそも閣下が王位継承権を返上したという話は聞いていない。

 趣味で女装しているだけだ。

 それにしても……国王陛下の新しい婚約者は女性なのかしら男性なのかしら?

 昨日尋ねたときは、ヒ・ミ・ツと微笑まれて誤魔化されたんだっけ。


「王宮のほうで用事があるらしいぜ。まあ、この前の週末はいろいろあったからな」


 うん、本当にいろいろあった。

 ユーリアの爆弾宣言はもちろんのこと、地下迷宮でのことだって忘れていい事件じゃない。もっとも今のところは、アドリアナ嬢の捜索に関わった数名の生徒以外には、事件のこと自体が伏せられている状態だ。


 ……穢された武竜。


 大地の日の食堂でゴトフリート先生が言っていた通り心は壊れていたものの、意識を失い持ち手の思うがままに動く道具、とは思えなかった。

 災霊のように飢餓に突き動かされていたあの感情が、武竜自身ではなく持ち手のものだったとすればべつだが。


「あー……」


 黙って思索に耽っていたわたしは、ダヴィートの声で我に返った。

 武竜を穢した狂信者への怒りを消すことはできないけれど、今は考えても仕方がないことだ。


「……ゴメン。先生がいなくても、いつも通り作業に入ろう」

「お、おう」


 だけどダヴィートは、普段のように動き出さなかった。

 目を泳がせながら唸っている。


「んー、あー……」

「……どうした?」

「えっと、な?」


 彼がわたしを見上げる。


「俺の武竜のことなんだけどよ」

「……あ! 闇の属性!」

「コラ! しーっ! いくらほかのヤツらは講堂で礼拝中っつっても大声出すな」


 ダヴィートの両手で口元を覆われて、わたしは何度も首肯した。

 本来なら存在するはずのない闇の属性の武竜。

 ゴトフリート先生が言っていた心を失わなかったという一柱なのかしら?

 イオアンらしく低くした声を潜めて尋ねると、ダヴィートは頷いた。


「……その通りだ。親父が災霊……今考えると、本当にそうだったのか?……に襲われたとき、俺に呼びかけてきたのが、あの礼拝所に保管されていたアイツだったんだよ」

「そうだったんだ! ねえ、また幻影の姿見せて!」

「お前……」

「あ、ゴメン。礼拝は自由参加だから、だれかこっちに来るかもしれないもんな」


 わたしは慌てて取り繕った。

 ユーリアの背中のアザと一緒で、これは知られてはいけないことだ。

 狂信者も怖いし、邪神と化した闇の竜母神さまと重ねて、打ち壊すよう喚いてくる人間も出てくるだろう。

 ……そう。ユーリアが巫女の娘だと知られたら、狂信者以外の人間も敵になる可能性があるのだ。


「お前さあ、相変わらず声替わりしてねぇのな。さっきの叫び声、まんまイオアンナ嬢じゃんよ。しゃべり方までそっくり」

「……兄妹だから」


 ユーリイ国王陛下に新しい婚約者ができるからって、今はまだわたしのことを打ち明けるわけにはいかない。

 新しい婚約者との関係がどんなものかもわからないし、さっき考えたように彼女の情報が広がればどこからか攻撃を受ける可能性もあるのだから。

 お腹を抱えて大笑いした後、ダヴィートは不意に不安そうな表情になった。


「昨日……イオアンナ嬢なにしてた? あ、いやべつに毎週遊びに来るって約束してたわけじゃないんだけどよ」

「……あー、ちょっと王宮からの連絡があって」


 ウソは言っていない。……本当とも言い難いけれど。

 わたしの言葉を聞いて、ダヴィートは真っ青になった。


「え? もしかしてイオアンナ嬢、国王陛下と縒りを戻すのか?」

「……」


 ……どうしよう。

 こんなことでダヴィートが衝撃を受けて、悲しそうな顔をしてくれるのが、なんだかとっても嬉しい。嬉しいのと同時に、彼を苦しめているのが辛い。

 わたしは頭を左右に振って否定した。


「違う違う、そうじゃない。そうじゃなくて……」


 必死で頭の中身も回転させる。

 この週末に知った情報のうち、ダヴィートに伝えても良さそうなものはないだろうか。

 そういえばユーリアは爆弾宣言の後も、いろいろなことを教えてくれたんだっけ。

 隣国リョート王国で活動している竜神教徒の中に狂信者の生き残りがいることは神聖ダリェコー教国も気づいていて、本当はもっと早く公表されるはずだったとか。

 それを察した狂信者たちがリョート王国の不満分子を操って革命を起こしたため、各国の王侯貴族が平民のみならず竜神教徒をも信じられなくなって疑心暗鬼による暴虐を行わないよう、公表が延期されたとか。

 神聖ダリェコー教国もいろいろ頑張っていたのね。

 だからといって辺境伯領への支払いを遅延して、経理のお母さまを苦しめていたのは許さないけれど。

 今のリョート王国では本当の竜神教徒(派遣されているパーヴェル司教とかね)が、国民による革命軍と入り込んだ狂信者の離間を──あ、そうだわ。


「パーヴェル司教、向こうで怪我をしてしばらく戻れないんだって」

「へー、パーヴェル兄ちゃんが。今の隣国は物騒だもんな。なるほど、それでゲンリフに手紙が来ないんだ」

「心配してたの?」


 さらっと言ってしまい、少し焦る。

 イオアンナと違ってイオアンは、クルーク商会三兄弟末っ子のゲンリフと会ったことはない。

 幸いダヴィートは気づかないでくれたようで、首をふって言葉を返してくれた。

 イオアンナ経由で話を聞いていたと思ってくれたようだ。


「いや、喜んでた。やっと一人前と認めてもらえたんだって。パーヴェル兄ちゃん毎日手紙寄越してたから、ゲンリフは自分が頼りないせいで余計な時間を取らせてるって、すげぇ悩んでたんだ」


 ……過保護だなあ。

 でも兄弟ってそういうものなのかも。

 ひとりっ子のわたしでも、ほとんど一緒に育ってきたユーリアのことはいつも心配で気になってならないものね。

 ユーリアのほうがしっかりしてるから、あんまりできることはないのだけれど。


「しっかしイオアンナ嬢も大変だな」

「え?」

「要するに辺境伯令嬢だから、そういった情報にも対応していかないとならねぇんだろ?」

「う、うん、そういうこと」


 良かったあ。

 わたしは胸を撫で下ろした。

 なんかダヴィート、自分の中で上手く理屈をつけて納得してくれたみたい。


「だから次の週末は……」


 イオアンナがダヴィートの家へ遊びに行ってもいいかと聞こうとしたとき、図書室の扉が開いた。


「……フォマー? おはよう」

「おはよう。どうしたんだ? まだ礼拝の最中だろう?」

「おはよ。いろいろあって武竜学院に来るのが遅くなったから、もう礼拝は欠席することにしたんだ。ヴェニアミンさまは例の骨折で学校自体お休みだしね」


 そう言って、彼は図書室を見回した。


「君たち蔵書整理を任されてるんじゃなかったの?」

「ちょっとしゃべってた、これから本気出す。配置図と行方不明の本の表が余ってるから、お前も手伝えよ」

「イヤですぅ」

「来週ゴトフリート先生が来たら、お前が手伝ってくれたって売り込んどくぞ。人脈欲しいんだろ、フォマー?」

「大公閣下とは王宮で会えるから。……イオアン」


 動き出したダヴィートを追って蔵書整理を始めようとしたら、フォマーに呼び止められた。

 頭のてっぺんから足の先までジロジロと見つめられた挙句、溜息を漏らされる。


「……なに?」

「僕もそれくらい身長があったら、こんな思いはしなくていいのに」

「……なにかあったの?」

「君はさ、ユーリアを甘やかし過ぎてると思うよ?」

「ユーリアッ?」

「どうした?」


 思わず上げてしまった叫び声に、本棚の前にいたダヴィートが振り返る。

 ユーリア自体は珍しい名前じゃない。

 この国にはユーリイ国王陛下にあやかって、男性はユーリイ、女性はユーリアと名付けられた子どもが多いのだから。

 だけど、わたしにとってのユーリアはただひとりだけ。


「ユーリアって、あのユーリア?」

「ほかにいるの?」

「いないけど……どうしてフォマーが?」


 彼女をユーリアと呼ぶってことは、わたしの状況も知っているってこと?

 視線で尋ねると、フォマーはイジワルな笑みを浮かべた。


「ヒ・ミ・ツ」

「フォマー?」

「ダヴィート、やっぱ僕も手伝うよ。その代わり、僕しばらく休むことになると思うから授業の記録よろしくね」

「お、おう」


 フォマーに配置図と行方不明の本の表を渡して担当場所を支持したダヴィートが近寄ってきた。

 本棚の向こうに消えたフォマーを気にしながら尋ねてくる。


「……もしかしてユーリアって、前言ってたお前の恋人か? まさかフォマーに盗られちまったとか?」

「……俺も、なにがなんだか」


 ユーリイ国王陛下が新しい婚約者を紹介するとき、そこに立っているのはフォマーなのかしら。

 つまりこれまで性別を偽っていたのを告白するってこと?

 本当に、なにがなんだかわからない。


「てかお前ら……」

「え?」

「俺の知らないところで一緒に遊んでたのか? いや、俺は弟たちの世話があるから誘ってもらっても断っただろうけどよ」

「あー……そういうわけじゃないんだけどな」


 わたしは言葉を濁して、自分の担当場所へと移動した。

 拗ねるダヴィートに、ちょっと複雑な気持ち。

 まあイオアンを友達だと思ってくれているらしいのは、嬉しいんだけどね。


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