29・ユーリアの訪問
……眠い。
微睡む瞼の裏に、傷だらけで倒れているヴェニアミンさまとフォマーの姿が浮かんだ。
胸の中に焦りと恐怖が満ちていく。
そうだ、助けに行かなきゃ!
もうアドリアナ嬢はゴトフリート先生に託した、だから──
「ダヴィート!」
一緒に行こうと呼びかけて、わたしは周囲の状況に気づいた。
ここはわたしの部屋、天蓋付きベッドの上。
降ろした天幕の向こうから、太陽の光が差し込んでくる。
今日は闇の日、のはず。
微睡みの中で思っていた通り、アドリアナ嬢はゴトフリート先生に託した。
それからダヴィートと一緒に地下迷宮に戻って、ヴェニアミンさまとフォマーを見つけ出したのだ。
幸い、思っていたよりも早く合流できた。
ふたりは、さっきのわたしの想像みたいに倒れてはいなかったから。
アドリアナ嬢を見つけ出した直後、彼女を追って現れた穢された武竜に激突されて気絶していただけだった。
だから意識が戻ると、破壊された坑道を辿って移動していたのだ。
とはいえ泥だらけだし、せっかく見つけ出したアドリアナ嬢と離れてしまったことで落ち込んでいたっけ。
ヴェニアミンさまはぶつかられたときの衝撃で骨折して、足を引きずっていたし。
もしかしたら、しばらく武竜学院はお休みするかもしれない。
そして、それから──
「……イオアンナさま」
「ひゃっ?」
呼びかけられてベッドの上で飛び上がる。
いつも隣室に控えてくれているメイドの声だ。
普段は呼ぶまで来ないのだが、帰宅したときのわたしの様子を心配したばあやが見張りを命じていたのだろう。
貴族である以上、常に監視状態にあるのは仕方がない。
昨日の記憶のおさらい、知らない間に口に出したりしてなかったわよね?
光の竜王姫に力を借りて男の子の姿になり、武竜学院に通っていることを別邸の人間は知らない。普通の手段で変装して、淑女学院に通っていると教えているのだ。
武竜の力で姿を変えられることは超重要機密だし……武竜学院に通っていることをばあやに知られたら、とんでもないことになる。
「お友達のユーリアさまがお越しです」
「ではこの部屋にご案内して差し上げて」
「お着替えは?」
「ユーリアだったら、このままで大丈夫よ」
「かしこまりました」
寝室の扉が開く音がする。
この別宅の人間は、ユーリアがユーリイ国王陛下と同一人物だということを知らない。
お父さまとお忍びで辺境伯領を回っていたときに出会った、平民の娘だということで紹介してる。成長した彼女は、王都の親戚の家で花嫁修業をしているという設定。
ユーリアとユーリイ、よく似た名前でも気づかれる可能性は低い。
王子殿下としてユーリイがお生まれになったとき、あやかって子どもに同じ名前を付けた親が多かったから。
見られたら絶対に疑われる美しくも高貴な外見も、大きな帽子やベールで上手く隠している。
それにしてもどうしたのかしら。
まさか昨日の地下迷宮の件で、地上の王都が陥没でもしたの?
昨日……というかヴェニアミンさまやフォマーと合流したときは、すでに日付が変わってて、週末の闇の日になっていたんだっけ。
おかげで別邸に戻ったときは、ばあやに大目玉を食らったわ。
……まあ、ほとんど寝てたからお説教は聞き流しちゃったんだけど。
ぐっすり眠ったおかげか、地下迷宮での疲れを引きずっている様子はない。
起きて最初は眠かったものの、ゴロゴロしてたら頭もはっきりしてきたし。
今はきっと闇の日の夕方ね。
明日訪問してもいいか、ダヴィートの家に使いを出そうかしら。
約束はしていないのだけど、地下迷宮の件で被害を受けていないか気になるわ。
などと思いながらユーリアを迎えたわたしは、今が無の日の夕方だと教えられた。
道理で体に疲労が残っていないはずね。
丸一日以上眠っていたんですもの。
銀の髪に紫の瞳、透き通るような白い肌。
世界で一番美しい親友は、いつも一緒にくつろぐときの気楽な下着姿でベッドの上に座り、そっとわたしに背中を向けた。
そこには見慣れた、六弁の花びらが円を描く赤紫色のアザ。
「……あ」
わたしは、浮かぶ炎の煌めきを反射していたアドリアナ嬢の額に埋められた鱗を思い出した。
ダヴィートの武竜が邪気を吸収したことで、花びらのようにはらりと落ちた鱗を。
ユーリアはわたしに向かって座り直し、唇を開いて話し始める。
★★ ★ ★ ★
私が男であると偽っていたのは、父上の再婚や王位継承権の問題だけではないの。
……ほら。
その表情からすると、もう気づいているのでしょう?
地下迷宮でアドリアナ嬢の額にあった鱗と、私のアザがとても似ていることに。
私の母上はね、狂信者たちから救出された巫女たちのひとりだったの。
それもただの巫女ではないわ。
唯一……いいえ、たったふたりだけ成功した完全な巫女だったの。
狂信者たちが巫女を作るとき、彼らは候補者の体に邪悪の鱗を埋め込んだわ。
邪神とのつながりを作るためにね。
問題は埋め込む場所。
頭の近くに埋めた候補者は、邪気とともに邪神が飲み込んでいた人間の悪意の声が頭に流れ込んできて、みんな心を壊してしまったそうよ。
ええ、そうね。
アドリアナ嬢は幸運だったわ、あなたたちに助けられて。
かといって頭から遠くても良くなかったというわ。
手足に鱗を埋め込まれた候補者たちは、その部分が壊疽して落ちてしまったというの。
最終的に背中か胸が一番だということになった。
候補者を生かしたまま、邪神と交信できるようになるまで鱗を埋めるのに一番いい場所、ということなのだけど。
私の母上には妹がいらっしゃったの。
狂信者たちはちょうどいい実験体として、母上の背中、叔母上の胸に鱗を埋め込んでいったわ。どちらの場所がよりよいのかを確かめたかったのね。
ほかにも何組かの姉妹が実験に使われたわ。
だけど、六枚の鱗を埋め込むまで生きていたのは母上と叔母上だけだった。
みんな途中で死んでしまったのよ。
鱗が最終的に六枚になったのは、たぶん属性と関係があるのね。
週と同じ。
光から始まって、炎、風、水、大地、最後に邪神と同じ闇──
母上と叔母上は六枚の鱗を埋め込まれたけれど、それだけでは邪神と交信することはできなかった。
ふたりで力を合わせて、初めて邪神とつながることができたの。
闇の竜母神さまの意思を失い抜け殻だけになってしまった邪神は、狂信者たちが望んだ通り巫女の力で操ることが可能だった。
地下で何度か実験が行われて、地上の王都にも被害が出たというわ。
私たちが生まれる前のことよ。
その実験で父上たちが異常に気づき、狂信者たちの隠れ場所に乗り込んで母上たちを救出したの。
それには、闇の属性になっても心を失わなかった一柱の武竜の活躍もあった。
ゴトフリート大公に聞いているわよね?
狂信者たちが邪神の邪気で武竜を穢し、自分たちに都合の良い心の壊れた道具にしていたことを。
母上と叔母上が巫女になっても邪神の封印を完全に解くことはできなかったので、狂信者たちは新しい候補者をさらって来て実験を続行していたわ。
巫女の数で勝負するつもりだったのでしょう。
父上たちに救出された巫女候補は母上たちのように完成されていなかったけれど、ある程度可能性のある人々だった。
そうでなければ死んでいたしね。
狂信者の生き残りに狙われる危険を考えて、彼女たちは名前を変えて元の故郷とは違う場所でべつの人間として暮らすことになった。
姉妹だと狙われやすいかもしれないから、母上と叔母上も離れて暮らすことになった。
目立つ行動はしないほうがいい。
国民に注目される王妃だなんてもってのほか、だけど──
父上は、母上と離れることができなかったの。
★★ ★ ★ ★
「それは仕方がないんじゃないかしら」
わたしは自分の考えを口にした。
「仕方がない?」
「お会いしたことはないけれど、亡くなった王妃さまはユーリアに似ていらしたんでしょう? ユーリアは世界一美しいのだもの。そのあなたにそっくりな女性がいたのなら、先代陛下も恋に落ちずにはいられなかったと思うわ」
「世界一美しい? 気持ちは嬉しいけれど大げさではなくて?」
「そんなことないわ。女性の姿だけじゃなくて、男性の姿だって世界一美しいわ。……それになにより、恋をしたらきっと自分でもどうにもならないのよ」
言いながら大地の日の食堂でのことを思い出す。
そんなつもりなんかないのに、気がつくといつもダヴィートを見ていた。
欲しくて欲しくてたまらない『恋の好き』なんかじゃない、と思う、のだけれど。
ユーリアが口元をほころばせる。
「ふうん? 恋ってそういうものなの?」
「っ! じゃないかな、って話」
「……そうね、そうかもしれない。私は父上と母上の娘として生まれてきたことを誇りに思っているわ。巫女にされたことで体が弱っていた母上が、命と引き換えに私を産んでくださったことにも感謝をしている。問題は」
彼女は肩越しに自分の背中を眺めた。
「正しい心を持つ竜神教徒に浄化されて、母上の体からも消えた邪悪の鱗が、こうしてアザとして私の背中に浮かんでいたこと。父上が光の竜王姫の力で私を包ませたのは、最初は武竜の力で浄化させるつもりだったからよ」
「ユーリアが武竜と契約できないのは、もしかして?」
「ええ、このアザのせい。ちゃんと邪神とつながっているようなの。ある意味、竜母さまの亡骸が私の契約武竜というわけね。光の竜王姫たちの力で包むだけでなく男性の姿に変えてくださったのは、王族として民に顔を晒したとき母上との血のつながりに気づく者がいても、女性でなければ巫女として狙われないから」
わたしはベッドの上で体を起こし、目の前のユーリアを抱きしめた。
怪訝そうな声が耳元で呟く。
「急にどうしたの?」
「だって……ユーリアがそんなに大変だったなんて知らなくて。わたしだけ武竜学院で楽しい日々を過ごしていたのが申し訳なくて」
「あなたは恋もしているようだしね」
「そそ、そんなことないわ」
「うふふ。今は追究しないでおいてあげるわね」
彼女から離れて、わたしは俯いた。
なんだか顔が熱いのだ。
もし赤くなっていたりしたら、やっぱり恋をしているのだと思われてしまう。
そんなことはない、たぶん。それに──
「そんな大事なこと、教えてくれてありがとう。もしかして、そろそろ王宮へ戻ったほうがいいのかしら」
「ううん、そうではないの。今日は許可を取りに来たのよ」
「許可?」
「ええ。……イオアンナ」
真剣な表情のユーリアは細く形の良い眉を吊り上げ、思いもよらない言葉を口にした。
「あなた以外の人と婚約してもいいかしら?」
「え?」




