27・令嬢救出作戦(前編)
──ラヴィーナ王国の地下には迷宮がある。
竜鉱石を採掘した坑道の跡だ。
その迷宮の更なる地下に、邪神が封印されている。
『邪神』。
傭兵王によって魂を救われた闇の竜神さまが遺されたお体。
狂信者たちが目覚めさせようとしている存在だ。
彼らにとっては、むしろ闇の竜神さまの魂がないほうが都合よい。
邪気に蝕まれた空っぽの体を巫女に操らせて、この世界を破壊したいのだから。
わたしとダヴィートは、静寂に包まれた真っ暗な坑道を歩いていた。
道は激しく入り組んでいて、どこがどうつながっているのかわからない。
月も星も見えないので方角も不明だ。
長く歩き続けたため、今自分たちが地上の王都のどの辺りにいるのかもはっきりしなかった。
緊急のことだったので地図が用意できなかったのだが、あったとしても役に立つのかどうか……そんな迷子のようなふたりを導くのは赤い武竜の幻影、怠け者が浮かばせた炎の輝き。
ダヴィートも青い武竜の幻影を出現させている。
厳密にいえば、進む道を決めているのは青い武竜のほうだった。
水の属性の武竜は気配を察知する力に長けている。
ここから脱出するときにも、空気の流れから出口を見つけてもらう予定だ。
本当は風の属性が一番敏感なのだけれど、わたしたち四人の契約武竜にはいない。
炎の属性の怠け者は今のところ、ただの照明係だ。
わたしは銀の鞭を手にしたダヴィートに尋ねてみた。
「……どうだ?」
「わかんねぇ。邪気を帯びたなにかが動いてるのは感じてるんだが」
「……そうか」
もちろんわたしはイオアンの姿で、銀の弓を手にしている。
ヴェニアミンさまとフォマーは、べつの道から探索していた。
ここにいない彼らは、フォマーの武竜に導かれて進んでいるはずだ。
二手に別れたのはこの地下迷宮があまりにも広いから。
おまけにところどころでひどく細くなるものだから、四人で歩くのが難しかったのもある。
竜鉱石を採掘するのに坑道が細くてはやりにくかっただろうが、地上の王都を陥没させるわけにはいかなかった。
そんな苦労をしてまで採掘したのは邪神封印後も各地に災霊が出現し、にもかかわらず王都外の竜鉱石は掘り尽くしてしまったからにほかならない。
王都の中と外、ふたつの坑道はつながっている。
坑道を利用して王都に侵入する者がいないよう、内外の入り口には見張りが立てられているのだが、あまりに広く道が多過ぎるため見落としがあるようだ。
狂信者たちはそれを利用して侵入し、攫った令嬢を連れ去ろうとしている──のではないかと、言い出したのはダヴィートだった。
彼が両親とともに隣国リョートから亡命したとき、王都外の入り口から王都の礼拝堂にある出口に至る坑道を通ったのだという。
亡命自体はラヴィーナ王国の許可を得ていたのだけれど、ダヴィートのお父さんは隣国王宮の近衛騎士だったから、リョートの追っ手を振り切る必要があった。
国家機密をも知り得る立場だものね。
というか、そういう情報を持っていたから、亡命が許されたのかもしれない。
政治の世界はいろいろあるって、ユーリアが言っていたっけ。
幼かったダヴィートは、もう採掘がおこなわれていないにもかかわらず、ラヴィーナ王国に渡された地図に記されていない脇道が増えていることに気づいた。
報告を受けたラヴィーナ王国が調査した際は、その脇道は見つからなかったらしい。
しかしダヴィートはそれが幼かった自分の気のせいではなく、土砂や岩石を利用して道が塞がれただけではないかと考えている。
そして、今回も利用されているのではないかとゴトフリート先生に調査を提案した。
ゴトフリート先生は彼の言葉を受けて、わたしたち四人にこの地下迷宮の捜索を命じた。
地上の王都については、まだ帰郷していなかった、あるいは今週は帰郷する予定のなかった生徒たちが捜索しているはずだ。
「前に俺の親父が災霊に襲われたって話、イオアンナ嬢か辺境伯閣下に聞いてるか?」
「……うん」
「あの礼拝堂の中にもこの地下迷宮への入り口があったんだ。礼拝堂で結界を張ることで、坑道から立ち昇ってくる邪神の邪気を封じるためにな。って、この国生まれのお前なら知ってるか」
「……一応。でも普段は意識していない」
「まあ、そんなもんだよな。あの事件は、前の司教が老いて結界を張る力が弱まったために災霊が出現して、礼拝堂と孤児院の人間を襲ったってことになってる。実際俺も武竜に呼ばれて飛び込んだ燃え盛る礼拝堂の中で、食い散らかされた死体を見ている。だが……」
亡命のときに世話になってからずっと親しくしていたその司教は老いてなお元気で、衰えていたようには見えなかった、とダヴィートは言う。
だれかが坑道の入り口から礼拝堂に侵入して司教を殺し結界を破壊したのではないかと、そのときから疑っていたと語る。
もっともそのときは、狂信者の存在など知らなかったわけだが。
「そもそも俺が倒した災霊、火を放つ能力持ってなかったんだよな。礼拝堂に火を放っただれか、もしくはべつの災霊がいたはずなんだ。……俺に呼びかけた武竜は、眠っててなにが起きたのか見てなかったって言うし」
「……礼拝堂に保管されている武竜が眠っているのは、前の契約者を失った悲しみを癒すためだから」
「武竜を責めてるわけじゃねぇよ。ただ、残念なだけだ」
ダヴィートが口にしている武竜は、彼が持つ銀の鞭に巻きついた青い武竜とはべつのようだ。
前から思っていたように、ダヴィートにはほかにも契約している武竜がいるのだろう。
見せてもらいたい、けど……今はそんな場合じゃないわよね。
それにわたしだって左足に巻きついた光の竜王姫のことどころか、自分がイオアンナだということさえ打ち明けてない。
罪悪感に痛む胸から意識を逸らすため、わたしは思いついたことを口にしてみる。
「……もしかして、だけど」
「なんだ?」
「……その事件の犯人も狂信者たちだとして、もしかしたら孤児院の子どもを攫って巫女にしようとして侵入したんじゃないか? いや、狂信者だとしても表向きは誠実な竜神教徒なんだから普通に司教を訪ねて来て、逃げるときだけ坑道を利用したのかも」
「行方不明の子どもはいなかったぞ。ボロボロにはなっていたが、全員の死体が確認されている。……いや、待てよ。そういや妙なことがあったな」
「……妙なこと?」
「頭が残ってた死体の額に邪悪の鱗が、あれが先生の言っていた……ん?」
会話の途中でダヴィートが前方の別れ道に目をやった。
複数の道は、細い細い柱で隔たれている。
すっと腕を伸ばし、彼は一方の道を指し示す。
「邪気が近づいてくる」
「……災霊か?」
「人間だと思う。ひとりで……邪気が小さい」
「……小さい?」
武竜の力を矢に変える。
手にした弓を構えながら、わたしは聞き返した。
邪気が小さい、だなんて不思議な表現だ。
ダヴィートは眉間に皺を寄せる。
「災霊は全身邪気を感じるし人間は人間の気配なんだけど、なんつうか人間の気配の中の一部だけが邪気に変貌してるっていうか……」
彼の説明を聞く必要はなかった。
さっき指し示された道から出てきた少女の姿を見れば理解できる。
わたしの赤い武竜が浮かばせた炎が、護身用の短刀を手にして現れた彼女を照らし出す。
泥だらけのドレスを身に纏った令嬢の額には鱗が張りついていた。
邪悪の鱗だ。
人間の気配の中に紛れた小さな、一か所だけから放たれる邪気。
ゴトフリート先生が言っていた通り、彼女は邪神の巫女にされようとしているのだ。
隣国リョート王国の女性はみんな死んでしまったという話だから、やはりラヴィーナ王国の人間には耐性があるのだろう。
浮かぶ炎の煌めきを反射した鱗は紫色の花びらのようで、なんだかなにかに似ているように感じる。
その『なにか』がなんなのかは思い出せない。
銀の鞭を手にしたダヴィートが呟く。
「そうだ。あのときも額に……」
自力で逃げてきたのだろうか。
肩を上下に揺らしながら荒い息を漏らしていた令嬢が、わたしたちに気づいた。
彼女は叫んだ。
「ここは危険です! 早く逃げなさいっ!」




