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25・ダンスの後で

 ユーリイ国王陛下のこと、隣国のこと──ダヴィートの告白のこと。

 考えても仕方がないのに考えてしまうことはたくさんあったけど、刺激的な学校生活がわたしの時間を早送りにした。

 なんだかんだで日々が過ぎ、淑女学院との園遊会も間近い。

 ダンスの授業が始まって、それまでの武竜一辺倒だった生活が変わろうとしていた。


「痛ぁーい!」


 夜の食堂で、わたしはフォマーに睨みつけられた。


「イオアン! 何度僕の足を踏んだら気が済むの!」

「……ゴメン」


 食堂にはヴェニアミンさまもいるのだが、フォマーはすっかり地を隠さなくなった。

 今日は大地の日。

 お休み前のこの日は毎週みんなで食堂の掃除をしてから、フォマーの実家の売りになるようなお芋の料理を考えるのが、わたしたちの習慣になっていた。

 最近は淑女学院との園遊会に向けて、ダンスの練習も行っている。

 ヴェニアミンさまが、不思議そうに首を傾げた。


「気のせいかもしれないが、イオアンは女性のダンスを踊っていないか? だから同じように女性のダンスを踊っているフォマーと動線が重なって、足を踏むことになってしまうのだろう」

「あーそうかもね。……見た目の割には重くないから助かるけど、これだけ踏まれてたらそのうち足の爪が割れちゃいそうだよ」


 イオアンとしての筋肉質な巨体は光の竜王姫によるものなので、実体はない。

 とはいえ毎日励んでいるので、本来の女の子としての体にも筋肉はついてきた。


「俺が替わろうか?」


 厨房でお芋の新作料理を研究していたダヴィートが、お皿を手にして振り向く。

 お皿には薄く切ったお芋を油で揚げて、塩を振ったものが盛られている。

 研究の末に開発されたお菓子だ。

 今はお芋の厚みや塩の分量、下味の有無などを追及している。

 主に作っているのはダヴィートで、わたしたちは味見して勝手な感想をいう係。

 平日にも厨房を借りて作り、学校のみんなに味見してもらったりもしている。

 武竜祭で外部から来る見学者に販売して、存在を知らしめるのが目標だ。


「頼むよー」


 フォマーが皿を受け取って、ダンスのために壁際に寄せている椅子のひとつに腰かけた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ダヴィートだと身長が……」


 慌てるわたしに、ヴェニアミンさまが怪訝そうな顔になる。

 彼はフォマーの隣に腰かけて、揚げたお芋を一枚摘み上げていた。

 このお菓子、気軽に食べられて美味しくお芋なので満腹感もあるということで、校内ではすでにかなりの人気を誇っていたりする。

 生徒会の先輩方にも、よく差し入れをせがまれた。


「むしろ背の高いイオアンには、小さなフォマーよりダヴィートのほうが釣り合うと思うのだが」

「……小さい?」

「……これから身長が伸びる予定のフォマーより、すでに伸びきっているダヴィートのほうが」


 隣のフォマーに睨まれて、ヴェニアミンさまは言い直した。

 ううう。確かに今の見た目なら、イオアンとダヴィートの身長差のほうが一般的な男女の身長差に近い。

 だけど本当のわたしはダヴィートより背が低いし、それに……


「俺はフォマーより優しいと思うがな」


 微笑んで、ダヴィートがわたしに手を差し伸べてくる。

 パリッとお芋を齧って、フォマーが呟く。


「逆」

「う、うん。あー……お手をどうぞ」

「光栄デスワ、いおあんサマ」


 手を伸ばしたわたしに、ダヴィートは甲高い裏声で答えて、ドレスの裾を上げる仕草をしてみせる。

 あの告白からどれくらい経っただろう。

 イオアンナは、ほとんど毎週ダヴィートの家を訪問している。

 カルルたちと遊んでいることが多いのだけど、夜になって馬車の迎えを待つ間はダヴィートとふたりっきりで過ごしていた。

 口説いてきたり直接的な言葉をかけてきたりするようなことはないのだけれど、一緒に星を見ているだけで心が近づいていくような気持ちになる。

 親切な彼に友達としての好意を抱いているだけで、これは恋なんかじゃないはず。

 ……だと思う。

 なのに最近は、イオアンとしてでさえダヴィートに触れるのがためらわれた。

 こうしてダンスのために指先が触れているだけでも、なんだか体が火照ってくる。

 要するに、意識し過ぎ、なのだ。


「いおあんサマ?」

「あ、ああ」


 わたしはダヴィートの体を引き寄せた。

 揚げたお芋を食べながら、フォマーとヴェニアミンさまが床で足を鳴らす。


 タンタンタン、タンタンタン──


 三拍子。ラヴィーナ王国の社交界で踊られるダンスの旋律だ。

 向かい合って抱き合い、男性が主導して女性がそれに体を合わせる。

 なんてことない動きなのだけれど、長年女性として踊ってきたせいで、ときどき動きがおかしくなってしまう。

 腕の中のダヴィートが小声で囁く。


「……俺の動きを待たない」

「……うん」


 さっきフォマーの足を踏んだところをなんとかやり過ごす。

 ヴェニアミンさまが拍手をしてくれた。

 お皿のお芋はいつの間にかなくなっている。……わたしもちょっと食べたかったな。

 フォマーが頬を膨らませて、わたしを睨む。


「なんだよ。僕の足はあんなに踏みつけといて」

「……失敗から学んで、成長したということにしてくれ」

「ダヴィートは指導も上手いのだろう」

「なにそれヴェニアミンさま。僕の教え方が悪かったから、イオアンに足を踏まれてたっていう気ですか?」

「あ、いや違う。……すまない」


 わたしは問題外として、三人の中で一番ダンスが上手いのはダヴィートだった。

 幼いころ母とよく踊っていたと言った後で、慌てて誤魔化していたわ。

 彼のご両親がリョート王国から亡命してきた貴族だということは、わたし以外知らない。

 わたしというのはイオアンナでありイオアンであって、その辺り自分でもややこしい。

 ヴェニアミンさまも上手ではあるのだけれど、ヴァルヴァーラさまに鍛えられたということで、間違えたら怒られるという恐怖が先に立ち、ダンスを楽しむことはできないようだ。

 フォマーは身長的な問題で、女性を導く大胆な動きを取りにくい。

 もっともそれを除けば、特に問題なく踊れている。


「……ほら、次で終わりだぞ」

「……う、うん」


 耳元の囁きに心臓が跳ね上がるのを感じながら、わたしは最後の回転をやり遂げた。

 いつもここで女性のときの癖が出て、相手と同じ方向に回ってぶつかっちゃうのよね。

 ……本当は女性として踊るときも上手いわけではない。

 練習につき合ってくれたユーリイ国王陛下(当時は王太子殿下だったけど)の足も何度踏んだことか。


「上手くできたじゃない、イオアン。ま、僕の犠牲があってこそだけどね」

「素晴らしい。良かったな、イオアン。私たちの足ならいいが淑女学院のご令嬢の足を踏んだりしたら……うん、上手く踊れて本当に良かった。ダヴィートの女性役も見事だったぞ」


 複雑そうな表情で称賛してくれるヴェニアミンさま。

 たぶん仲の良いわたしたち以外の生徒でも、園遊会で粗相があったら彼がヴァルヴァーラさまに叱られるのね。


「オ褒メニアズカリ光栄デスワ」

「ダヴィート、その裏声怖い」

「ふぉまーサマッタラ酷イデスワ。女性ニ冷タクスルト身長ガ伸ビマセンワヨ」

「……うるさい」


 裏声でふざけた後、ダヴィートは笑いながらフォマーたちを見回した。

 もうダンスが終わったので、わたしとは離れている。

 当然のことだし、それでいいんだけど……うん、いいんだけどね。


「悪い悪い。今日の芋はどうだった? 意見があれば改良するし、なければ残りの材料全部使って作るから、食べたら解散にしようや」

「ならば早速机と椅子を元の位置に戻そう。私は芋の味についての不満はない」

「厨房も最終的には片付けなきゃだから手伝おうか? 味への不満はなし。こないだみたいにスープで下味つけてるのもいいけど、塩味だけの単純なのがあってこそでしょ」

「……俺は今回食べてないから、意見はなし」

「わかった。じゃあさっきと同じ味で作るわ。武竜祭のときは二、三種類作ってもいいかもな。芋関係は作りながら片付けるから、フォマーは茶でも淹れてくれ」

「……俺は」


 今の配分ならヴェニアミンさまと一緒に机と椅子を片付けたほうがいいんだろうなと思いながら、わたしはちらりとダヴィートを見た。

 なんでもないときでも彼の姿を視界に入れてしまう。

 無意識なので困っている。


「「「イオアンは力仕事」」」


 ……三人で声を揃えて言わなくてもいいと思うの。

 不器用なのは認めるけど、イオアンナの姿ならお茶くらい淹れられるしお菓子も作れるのよ?

 巻き巻きリンゴはカルルに好評で……アントンたちには飽きたと言われている。

 今度はカボチャでも巻こうかな。

 溜息をついて壁際の机を持ち上げたとき、貴族寮につながる渡り廊下の出入り口からゴトフリート先生が顔を出した。

 パーヴェル司教は、まだ隣国から戻って来ていない。

 食堂を見回して、ゴトフリート先生はヴェニアミンさまに視線を止める。


「ヴェニアミンくん、お姉さまがいらしているよ。面会室でお待ちだ」

「わかりました。イオアン、すまない」

「……大丈夫」


 お茶の用意ができたら、フォマーもこちらを手伝ってくれるだろう。

 ……手伝ってくれるわよねえ?

 フォマーはそっと、わたしから視線を逸らした。

 口角が上がっている。

 ダンスで足を踏んだことへの恨みをここで晴らす気かしら。……まあ、悪かったけど。

 入学直後にもヴァルヴァーラさまがヴェニアミンさまを訪ねて来られたことがあったなあ、なんて懐かしく思いながら、わたしは机を動かした。

 厨房から、ダヴィートがゴトフリート先生に声をかける。


「お急ぎでなければ、俺たちと一緒に芋料理を食べませんか? いろいろな人の意見が聞きたいんです」

「いいのかい? お言葉に甘えるけど、ずっと待ってるのも悪いからイオアンくんを手伝うよ」

「ドレスなのに大丈夫ですか、ゴトフリート先生」

「大丈夫大丈夫」


 ゴトフリート先生はいつもの麗しいドレス姿だ。

 いろいろ悩んだのだけど、結局わたしはヴァルヴァーラさまの言葉を彼に伝えた。

 先ほど顔を合わせたおふたりは、どんなことを話したのかしら。

 ヴァルヴァーラさまの想いは……


「どうした、イオアン? さっき食わなかったから腹減ってるのかな?」

「……ううん、なんでもない」


 気がつくとダヴィートを見つめてしまう自分が、本当に困る。


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