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24・図書室の麗人、再び

 黒髪が、図書室の窓から吹き込んできた風に揺れる。

 朝の光を浴びて、いつもは黒く見えるほど深い色の瞳が青く煌めく。

 浅黒い肌は引き締まっていて張りがある。

 骨ばった長い指が、すっ、と前髪をかき上げた。

 彫りの深い端正な顔が、わたしを向く。

 彼がキラキラ輝いて見えるのは、一昨日告白されたからだろうか。

 薄い唇が開いて、低い声が紡がれた。


「……おい、イオアン。なに人の顔ジロジロ見てるんだ」


 うっ、そうだ。

 今のわたしはダヴィートが告白した辺境伯令嬢イオアンナじゃない。

 光の竜王姫の力を纏った筋肉少年イオアンでした。

 うろたえるわたしに彼は、なんてな、と笑う。


「イオアンナ嬢から、あのこと聞いて気にしてるんだろ? お前らお互いになんでも話してるもんな。……てか、そんなに仲が良いのに、なんでたまに相手の存在忘れてんの?」

「ぶ、武竜のことを考えてると、つい」


 同一人物だとは言えないとはいえ、こんな言い訳じゃ通用しないかと思ったのに、ダヴィートはあっさり首肯する。


「ああ、お前ら武竜バカ兄妹だもんな」


 否定はしないけどさ。


「……そんな娘の、どこがいいんだ?」

「本人には言った」

「……聞いてはいるが、その、どうも決め手に欠けるというか」

「そんなもんだろ。俺もこうなるまで知らなかったけど、こっちの都合や事情なんかまったくお構いなしに、恋ってもんには落ちちまうんだ。まあお前に言った通り最初から金と身分目当てで狙ってたし、結婚したら浮気もしないつもりだった。だから……」


 ダヴィートは、わたしから顔を背けた。

 揺れる黒髪から覗く肌が、赤く染まっている。

 消え去りそうな声で、彼は言葉を続けた。


「……惚れるのが前倒しになっただけだ……」

「え? 恋のお話かい?」

「「うわっ」」


 ゴトフリート先生がいきなり本棚の陰から顔を出したので、わたしとダヴィートは跳び上がった。もちろん本日も彼は麗しいドレス姿だ。

 今日は光の日。

 ほかのみんなが講堂で礼拝をしている間、わたしとダヴィートは図書室の蔵書整理をしている。

 先週ゴトフリート先生が言った通り、この前片づけたことが幻だったかのように、本棚は乱れていた。とはいえ、新しい入れ間違いまで確認していたらキリがないので、まずはもらった紙を見ながら、確認されている行方不明本を探しているところ。

 ダヴィートよりも明るい青の瞳を細めて、ゴトフリート先生が微笑む。


「僕も恋のお話に混ぜてくれないか?」

「イヤです」


 ダヴィートは言いながら、行方不明本の表に視線を落とした。

 作業を続けるつもりのようだ。

 ゴトフリート先生が目を見開く。

 白い肌をほんのり朱に染めて、彼は恥ずかしそうに言った。


「も、もしかして僕が好きなのかい? それはダメだって、最初の授業のときに言っただろ?」

「違ぇよっ! じゃなくて、違います、先生」

「じゃあだれが好きなんだい?」

「イオアンナ嬢……あ」

「ふーん、そっかー。いいねー、若いって」


 真っ赤になって俯いたダヴィートの前で、ゴトフリート先生はドレスの裾を翻してクルクルと回った。楽しそうだ。


「イオアンくんも好きな人いるの?」

「……あ、俺は」

「コイツは恋人がいるらしいですよ」


 ダヴィートに助け舟を出されて思い出す。

 そういえばそんなこと言ったっけ。……すっかり忘れてた。


「へーえ。みんないいね、青春だねー。ところでふたりとも、そろそろお昼休みだから今日はここまでにしてお茶にしようよ」


 わたしとダヴィートは頷いた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 本日のお茶うけは、砂糖でくるんだ木の実だった。

 色とりどりの砂糖衣が目に楽しいお菓子だ。

 茶碗に注がれるお茶の香りが芳しい。

 ゴトフリート先生こと麗しの大公のお気に入りは、王室御用達店の特級茶だった。王都にあるうちの別邸でも飲んでいるお茶だ。

 ……あ。

 芳しい香りに、昨日の出来事が蘇る。

 ヴァルヴァーラさまが謝りたいと思ってらっしゃるってこと、ゴトフリート先生に伝えたほうがいいのかしら。

 頼まれてはいない。

 手紙の交換にしても、ゴトフリート先生が武竜学院で、どうしているかを知るだけで良さそうではあったのだけれど。


「……ゴトフリート先生」


 口を開いたのは、ダヴィートのほうが早かった。

 まあ、いいか。

 ヴァルヴァーラさまの件は微妙な問題だから、勝手に話さないほうがいいかもしれない。

 もう少し考えてからにしようっと。

 思うわたしの前で、ダヴィートがゴトフリート先生に質問をする。


「パーヴェル司教が隣国へ行かれたというのは本当ですか? 神聖ダリェコー教国はリョート王国の革命政府を認めるつもりなんでしょうか?」


 今日は先週と違って、図書室の前でパーヴェル司教と出会わなかった。

 礼拝の当番かと思っていたのだけれど、違ったみたい。

 ゴトフリート先生の形の良い眉が、ぴくりと動く。


「おや、どうしてそのことを?」

「パーヴェル司教の弟に、昨日聞いて……秘密でしたか?」


 ダヴィートがちらりとわたしを見ると、ゴトフリート先生は首を横に振った。


「いや、今ごろはほかの生徒たちも講堂で聞いているよ。パーヴェルが隣国へ向かったのは事実。神聖ダリェコー教国が革命政府を認めるかどうかについては不明。……認めるかどうかを決めるため、パーヴェルが調査に向かったっていうのが正解かな」


 そこまで言って、ゴトフリート先生は顔色を曇らせる。


「先週もここで、隣国の革命政府について話したのを覚えているかい?」


 わたしとダヴィートが頷くと、ゴトフリート先生は溜息を漏らした。


「この前、今の革命政府は仲間内で自分を凌ぎそうな人間を追い落とすために処刑をしているって話をしただろう?」

「はい。それで、行方不明の王子を探す一派がいるとか……なあ?」

「……そうお聞きしました」

「それが、間違いだったみたいなんだよ」

「間違い?」

「間違いっていうのも違うかな。確かに勢力争いによる処刑は繰り広げられている。でもそれ以上に死者が多いんだ。特に女性の死者が」

「国が乱れてるんだから、男より体力的に劣る女性が死にやすいのは当たり前じゃないですか?……混乱に乗じる輩も多いでしょうし」

「まあね。だけどそういうことを考えに入れても……多過ぎる」

「……ゴトフリート先生詳しいですね。パーヴェル司教が教えてくださったんですか」


 ゴトフリート先生はさらりと話したけれど、隣国がそんなことを公表しているとは思えない。しかし神聖ダリェコー教国なら、革命後も各地に留まっている司教たちから情報を集めることも可能なはずだ。

 パーヴェル司教がそんな情報まで教えたのだとしたら、ゴトフリート先生に恋しているというのも、案外信憑性のある話かもしれなかった。

 わたしの質問に、ゴトフリート先生は笑って首を横に振る。


「まさか。とは言っても、向こうは僕がわかってること前提で話してくるけどね。これでも大公だもの。ラヴィーナ王国のため大陸全土に密偵を放ってるんだ」

「……密偵?」

「そんなこと、俺らに話していいんですか?」

「うん。貴族が密偵を放って情報を集めるのは公然の秘密だもの。あ、でも公式の場では、信頼できるものから聞いた噂なんですけど、って言うのがオシャレだよ」


 お父さまも密偵を放ったりしているのかしら?

 なんだか想像がつかなかった。

 お母さまが経理のための書類と一緒に情報を集めて、陰からお父さまを操ってるっていうほうが納得できるわ。隠居したことになってるお祖父じいさまが担当しているというのもありそうだ。


「……ゴトフリート先生。行方不明の王子が戻って来たら、隣国は平和になると思いますか?」


 突然放たれたダヴィートの疑問に、ゴトフリート先生は首を横に振って見せた。


「意味がないとは思わないよ。でも隣国が落ち着くには、なにをするにしても時間が必要だと思う。もしかしたら女性の死者の多さは流行病かもしれないしね。そういうこともパーヴェルが確認して来てくれるよ」


 流行病だとしたら、この国にもいずれ影響があるだろう。

 大陸の北端にあるラヴィーナ王国は、隣国リョート王国を通らなければ大陸のほかの国へ行くことができないし、実家の辺境伯領には多くの避難民が保護されている。

 ……情報、か。

 昼休み開始の合図の鐘の音が鳴り響き、わたしとダヴィートは図書室を出た。


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