23・ヴァルヴァーラさまは恋してる?
「あっ……ああああのっ、そのっ……」
ヴァルヴァーラさまは顔を真っ赤にして俯き、お茶を飲む。
王都にあるバグローヴィ辺境伯家の別邸にいらしてから、ずっとこんな感じだ。
なにか言おうとしては興奮が頂点に達し、真っ赤になって黙ってしまう。
今日は無の日。
闇の日の昨夜、ダヴィートの家から戻ったわたしを待っていたのが、彼女からの手紙だった。別邸へ遊びに来たいというのだ。
行くだけ行って断られたら帰るので返事はいらないと書いてあったけれど、一応今朝お返事を運ばせた。
手紙に記してあった予定時刻ちょうどにいらしたヴァルヴァーラさまをお迎えして、今は露台に出した円卓でお茶会の最中。
……お天気で良かった。
ぽかぽかと、春の陽気が心地良い。
視界の端で白いレースのカーテンが風と踊っている。
ちょっとうつらうつらしてきたので、わたしもお茶を口にした。
沸かしたてのお湯で淹れた美味しいお茶だ。
お茶うけはヴァルヴァーラさまが持ってきてくださったメレンゲ。
もちろん王室御用達のお菓子屋さんのものだ。
光の日の図書室から始まって、昨日今日と、メレンゲに縁のある週だったな。
好きだし、美味しいんだけどね。
せっかくいただいたので、ひとつ取ってカリリと齧る。
うん、やっぱり飽きない。
「……」
ヴァルヴァーラさまは俯いたまま、なんだかもじもじしていらっしゃる。
こちらから招待したわけではないものの、一応この別邸の女主人であるわたしのほうから話題を振ってあげるべきかしら。
……普通の令嬢って、どんなこと話してるんだろう。
ユーリアと過ごすときは、いつもなんの遠慮もなく武竜の話をしてたからなあ。
彼女は彼女で政治や経済の話をしてた。
気の利いた考えを出せないわたしに、だれかに話すだけで考えがまとまるんだって言ってくれたっけ。
ヴェニアミンさま経由でイオアンの存在は知られていると思うけれど、だからって、大地の日にイオアンの弓がヴェニアミンさまのお腹に突き刺さるところだったんですよなんて、言えるはずないし。
「えっと……」
「あの……」
空っぽな頭のまま意を決して口を開いたとき、運悪くヴァルヴァーラさまも声を発した。
「ヴァ、ヴァルヴァーラさまからどうぞ」
「い、いえ、ここはイオアンナさまから。こちらはイオアンナさまのお宅ですし」
ですよね。
そのほうがいいみたい。
自分の話を先送りできると思ったせいか、ヴァルヴァーラさまはいつもの、真面目で正義感の強い性格のにじみ出た、キリリとした表情に戻られた。
緑玉の瞳が、眩しいほど輝いてわたしを映す。
見事な金髪が陽光を反射して波打っている。
ヴェニアミンさまには悪いけど、ヴェニアミンさまを竜神教の聖職者にして、ビェールィ侯爵家をヴァルヴァーラさまに任せようとした周囲の気持ちがよくわかる。
なんというか、ヴァルヴァーラさまのほうが頼りになりそうなのだ。
問題は、わたしがなにひとつ話題を思いついていないこと。
オシャレ? 令嬢の話題と言ったらオシャレなの?
踵の高い靴って、まだ流行してる?
今日のヴァルヴァーラさま、どんな靴でいらしてたっけ。
馬車から降りられたときに見たはずだよね。
「っ! メレンゲ」
「……はい?」
ヴァルヴァーラさまが目を丸くする。
円卓の上のメレンゲが視界に入ったので、つい声が出てしまったのだ。
でもおかげで、話すことを思いついた。
「その……王宮の様子はどうですか? わたしもう、一カ月以上離れているので」
「ですわね。お気になさられてますわよね。あたくしのほうからお話するべきだったのに、申し訳ございませんわ」
ヴァルヴァーラさまは優しく微笑んだ。
ひとつ年上のせいか、お姉さまのような感じがする。
社交界でも密かに慕われていらしたっけ。淑女学院でも人気がありそう。
身分の高さを笠に着ず、むしろ高い身分に付随する責任を重視する方だから。
それ故に、たまにとんでもない行動をなさったりもするのだけれど。
「王宮は……相変わらずですわ。むしろ隣国で革命が起こったにしては、驚くほどいつも通りですの。リョートの向こうの国々では革命に怯えた貴族による平民の弾圧や、逆にリョートの事件に背中を押された平民の暴動などが起こっておりますのに」
ユーリアの予想通りね。
わたしの元許婚さまはそつがない。
「ユーリイ国王陛下は精力的にお仕事をなさっていますが、ときおり寂しそうに見えると噂されていますの。新しい許婚を決めるための舞踏会の開催予定もないので、婚約破棄には理由があって、いつかはイオアンナさまを……ごめんなさい。ご本人にお伝えするような噂ではありませんでしたわね」
「いいえ、王宮の様子がわかって嬉しかったですわ。国王陛下がお元気なら、わたしはいいんです」
話してくれないってことは、今は話せないからだろうしねえ。
どんなに強い武竜でも、契約者が未熟だと真の力は引き出せない。
わたしが武竜学院で頑張るのが、一番ユーリアのためになるのかも。
「……イオアンナさまは、本当に国王陛下がお好きなのですね」
好きという言葉が耳に入った瞬間に、なぜかダヴィートの顔が頭に浮かんだ。
なんだか顔が熱くなる。
べべ、べつに昨日の告白が印象深かっただけで、ダヴィートが好きとか、欲しくて欲しくてたまらないとか、そういうんじゃないと思う。うん、違う。
無性に恥ずかしくなって俯こうとしたとき、ヴァルヴァーラさまがなにかを決意したような表情になられた。
「イオアンナさま!」
「ひゃいっ」
「あたくし、あなたの秘密を存じておりますの!」
「えええええっ?」
どど、どういうこと?
どの秘密? 光の竜王姫たちと契約してること? イオアンに姿を変えて武竜学院へ通っていること? それともまさか光の竜王姫の力でユーリアを──
「うちのバカ弟に聞きました。あなた、庶子の兄君がいらっしゃるのでしょう?……まったくあの子は、よそのお宅の秘密をペラペラと」
……ああ、そっちかー。
わたしは胸を撫で下ろした。
「いえいえ、公然の秘密というヤツです。お気になさらないでくださいな」
「ありがとうございます。それで……あの……」
ヴァルヴァーラさまは、また真っ赤になって口籠った。
イオアンのことを口に出したってことは、イオアンに関する話なのかしら。
わたしの頭にとんでもない想像がよぎった。
「もしかしてヴァルヴァーラさま、ヴェニアミンさまがおっしゃった婿養子交換計画を実行なさるおつもりですか? あの、申し訳ありませんがイオアンは……」
「違います! あたくしは……武竜学院についてお聞きしたかっただけですの。お兄さまとお話しなさっているのではないかと思って」
「ヴァルヴァーラさまも武竜に興味が? そうですよね。あんなに素敵な存在はいませんものね。侯爵家の大地の竜王は別格だと思いますが、ヴァルヴァーラさまはどの属性の武竜がお好きですか? 武器としての形もいろいろあって素晴らしいですよね。もしよろしければ今度我が家の馬車を出しますから、礼拝堂を巡って武竜を鑑賞なさいませんか?」
「……」
「ヴァルヴァーラさま?」
「も、申し訳ありません。確かに大地の竜王は大事に思っておりますが、あたくし、武竜にはそれほど興味が……災霊からラヴィーナ王国、いいえセーヴェル大陸全土を守ってくれている大切な存在として常に感謝はしていますけど」
「そうですか」
……しょぼん。
だけどいいこと思いついちゃったな。
今度ダヴィートを誘って礼拝堂巡りをしよう。彼とだったら徒歩でもいいし……も、もちろんカルルたちも一緒にね。オヤツに巻き巻きリンゴを持っていこう。
ヴァルヴァーラさまが、小さく溜息を漏らす。
それから、真っ直ぐにわたしを見つめた。彼女の頬は赤いままだ。
「あたくしっ! あたくしは、その……武竜学院の先生について知りたいんですの」
「えっ? まさかパーヴェル司教?」
「どなたですの?」
首を傾げたヴァルヴァーラさまにホッとする。
さすがに竜神教の聖職者が貴族令嬢をはべらせたりはしないと思うけど、ゲンリフがわたしをそうなんじゃないかと疑ったっていうのが、なんか怪しいのよね。
「あたくし、あたくしが知りたいのは、ゴトフリート大公閣下のことですわ」
「麗しの大公閣下のことですか?」
「ええ、あの……あの方が武竜学院でもドレスを着てらっしゃるのかどうか、お兄さまにお聞きになったことはございません?」
「着てらっしゃいます……と、聞いています」
「そうですの……」
「でも恋愛対象は女性だそうですよ。自分には恋しないようにと、生徒たちに注意したそうです」
「まあ!」
一瞬沈みかけたヴァルヴァーラさまの表情が、一気に大輪の花のように咲き誇る。
「そうですの。そうでしたの……そう……」
「もしかして大公閣下とのご縁談が?」
ヴァルヴァーラさまは首を横に振る。
「一番下の叔父が閣下と仲良しなんですの。武竜学院でも同期生でしたわ。だから子どものころ、よく我が家に遊びにいらして……我が家にいらっしゃるときは男性の姿でいらしたのよ」
「そうだったんですか!」
王宮ではドレス姿しか見たことがない。
「初めて王宮でお会いしたとき、あたくし驚きのあまり、全然ドレスが似合ってないと失礼なことを言ってしまって。……そういえば、イオアンナさまにも失礼な真似をしてしまったことがありましたわね」
「いえ、あれは、わたしに問題がありましたし」
武竜目当てで婚約しただなんて、たとえ本当でも口にしてはいけないことだ。
今考えると、あれって不敬罪だよね。
「国王陛下……あのころの王子殿下がイオアンナさまのお気持ちを許していらっしゃったのなら、部外者が文句を言う筋合いはありませんでしたわ。それに……あたくしも、その、殿下に大公閣下を重ねていたところがございますし。ほら、おふたりはよく似ていらっしゃるでしょう? 瞳の色は違いますし、今はかなり雰囲気も変わりましたけれど」
鈍いわたしにもなんとなく察せられた。
「ヴァルヴァーラさま、大公閣下がお好きなのですか?」
「……ちちち違いますわ。あたくしはただ謝りたい。そう、謝りたいだけなんですの。失礼なことを申し上げてすみませんでした、本当はドレスとってもお似合いでした、って」
彼女は切なげな吐息をこぼした。
「でもやっぱり男性のお姿のほうが凛々しくて、とても……」
どう見ても麗しの大公が好きですよね?
とはいえ我が家みたいに婿養子を迎えるのが当たり前でもなければ、貴族の結婚はそのときの政治的な情勢で決められるものだ。心のままには動けない。
ビェールィ侯爵家令嬢のヴァルヴァーラさまとゴトフリート大公の結婚は、身分が釣り合っているがゆえに難しいだろう。単独でも大きな権力が結婚で倍増するからね。
ユーリイ国王陛下と大公の仲は良好だから、王族という枠組みで力を集めるためになら結ばれてもおかしくない縁組だったりもする。
わたしは武竜学院でのゴトフリート大公の様子を話し、ヴァルヴァーラさまは王宮での国王陛下の様子を話し、お互いに情報を交換し合ってお茶会は終了。
その日の夕方わたしたちは、ときどき手紙を交わし合うことを約束してお別れしたのだった。
夕焼けを浴びて走っていく馬車を見送りながら、わたしはヴァルヴァーラさまの幸せを祈った。わたし自身の幸せは──自分でもよくわからないけれど。




