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22・恋した彼に気をつけろ?

「あの……」


 ダヴィートの顔を見つめて、わたしは言った。


「気を遣わなくてもいいわよ。もしあなたがバグローヴィ辺境伯家に婿入りするとしても、前言ってたように結婚してからは浮気しないってだけで、十分だもの」

「イオアンのヤツ、そんなことまで話してんのか」


 というか、同一人物なので筒抜けです。

 まあ浮気なんかしたら、炎の竜王が黙ってないと思うけど。

 ダヴィートが、わたしから顔を逸らした。


「そういうんじゃなくて、恋愛? の好きなんだよ」

「はあ?」


 我ながら、いささか失礼な声を上げてしまった。

 だって、ねえ?

 わたしだって女の子だもの。恋物語に憧れたりもする。

 でも世の中には鏡というものが存在しているのだ。

 光の竜王姫(リェーヴァヤ)の力でイオアンに姿を変える前から、自分がお父さま似だということには気づいていた。下町の礼拝堂で未来の夫にひと目惚れされたお母さまのような美貌は持っていない。

 ユーリイ国王陛下を守れるのはわたしだけだから気合で隣に立っていたけれど、正直あまりの美しさの違いに心折れそうになったときもあった。運命とは残酷なものである。

 武竜が好きなのは本心だけど、ちょっとだけ美しさと向き合うことから逃避するために夢中になってたのもあったかも。


「はあって……」

「ゴメンなさい。でも、わたしはあなたに好かれるようなこと、なにもしてないもの。婿養子に入って家族に楽をさせたいって考えは否定しないから、無理に機嫌を取るのはやめてほしいわ」

「機嫌なんか取ってねぇよ」

「取ってる」

「怒るなよ。怒りたいのはこっちのほうだ。いきなり俺の腕をつかんで話しかけてきて、お貴族のお姫さまが小汚いガキどもの護衛任されて誇らしげな顔しやがって、そうして勝手に俺の心に入ってきたくせに、俺の前で弟たちとイチャイチャして、恋敵の国王陛下からの土産なんか持ってくるし、俺の気持ちまで否定して」

「……だって」


 初めて会ったとき、とダヴィートは話し始めた。


「振り向いたら薔薇色の髪のあんたがいた。それだけで心臓が締めつけられるような気持ちになった。でもそのときは、なんでなのかわからなかった」


 彼は最初、わたしに嫉妬していると思っていたのだという。


「だってよう、カルルは俺が育てたんだぜ? アントンのときは俺もガキで、知らない国に来たばかりで混乱してたし、上手く子育てできたとは言えない。双子は双子だったし、大きくなったアントンに手がかかるから、てんやわんやで」


 落ち着いて子育てに向き合えた初めての弟が、カルルだった。


「もちろん親父やお袋の手伝いとしてだけど、それでも大切に育ててきたんだ。そのせいでちょっと人見知りだったり頑固だったりする……それが、なあ」


 わたしを見つめて、ダヴィートは溜息をつく。

 災霊討伐を終えて家へ戻ってきたとき、カルルがわたしと一緒に眠っているのに驚いたのだそうだ。


「今日会ったばかりでなんなんだって腹が立って腹が立って……でも、気がついたらあんたの頬に触れていた。触れたいと思う気持ちを止められなかった。バグローヴィ辺境伯閣下の言う通り、俺はあんたに惚れていた。嫉妬していたのはカルルにだったんだ」


 彼が視線を戻してきたので、今度はわたしが逸らす。

 心臓が、ものすごくドキドキしていた。

 告白されるのなんて、生まれて初めてだ。

 ヴェニアミンさま? ヴェニアミンさまのは……あれは違う。


「イオアンナ……」


 ふあうっ!

 なんでいきなり耳元で囁くの?

 それにわたしが何度言っても、ずっと『さま』か『さん』付けだったのに、こんなところでいきなり呼び捨てにするなんて。

 ダヴィートの声は優しくて、なんだかとっても甘く感じた。


「俺の勝手な思い込みかもしれないが、さっき国王陛下を好きって言ったときのあんたの好きは、俺の好きとは違う気がした。欲しくて欲しくてたまらない、恋の好き、じゃなくて友達や家族の好きだ」


 それは当たってる。

 だってユーリイ国王陛下は、本当はユーリアだから。

 許婚だったけど恋人だったことは一度もなくて、ずっと大事な親友だったから。

 ででででもでもでも!

 欲しくて欲しくてたまらない『好き』なんて、わたしにはまだわからない。

 わたしは軽く、ダヴィートの体を押した。

 馬車の車輪が回る音がしたのだ。近づいてくる。


「……アントンの描いた絵、学校でイオアンに渡しとく。あんたの絵だからひとり占めにしたくて、どうしても渡せなかったんだ。引き出しに隠して、気がつくとずっと見てた」


 言葉を返せないわたしの前に、別邸の馬車が停まった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「なかなか精悍な若者でしたね」


 馬車に乗ったわたしに、別邸の御者が話しかけてくる。

 ちょっと地味だけど、お父さまが直々に雇った優秀な男だ。護衛としても役に立つ。

 まあ、さすがにわたしがイオアンの姿で武竜学院に通っていることは教えていないけど。


「お嬢さまの秘密の恋人ですか?」

「ち、違います」

「そうですか? ではそういうことにしておきましょう。でもお嬢さまに秘密の恋人ができたと知ったなら、バグローヴィ辺境伯家に仕える者たちはみんな喜びますよ」

「……そうなの?」

「ええ。辺境伯領にいる騎士団員の中にはお嬢さまを案じるあまり、ひとり娘のお嬢さまと無理矢理婚約した挙句いきなり婚約を破棄した国王陛下を襲撃しようと言い出す者もおりまして」

「ええっ! 大丈夫なの、それ」

「ご安心ください。騎士団長が止めました。しかしお嬢さま、騎士団長にも止められない相手がおります」


 別邸にいる人間と領地にいる人間は、情報を交換し合っている。

 イヤな予感を覚えつつ、わたしは尋ねた。


「だぁれ?」

「ご隠居さまでらっしゃいます」

「……ああ」


 わたしは溜息をついた。

 ご隠居さまとはわたしの祖父、お父さまに家督を譲って引退した先代バグローヴィ辺境伯だ。婿入り前から契約している武竜を手に『さすらいの騎士』を気取り、騎士団の災霊討伐に、こっそり加わっている。

 お祖父じいさまは過保護だ。

 炎の竜王でさえ、あれはちょっとな、と言ってるくらい過保護だ。

 幼いわたしが小石に躓いたとき、辺境伯領中の小石を始末するよう民に命じて、お祖母ばあさまに怒られていたこともある。


「今度……お祖父じいさまに手紙を書いておきます」


 武竜学院に入学したことは、お父さまとお母さましか知らない。

 我が家の最高機密だ。

 炎の竜王にも沈黙を約束させている。

 だってお祖父じいさまに知られたら、武竜学院を物理的に潰してしまう。

 わたしに嫌われたくないから反対はせず、行き先のほうをこっそりと。

 でもイオアンの噂が武竜学院外にも広がっちゃったら、お祖父じいさまにも説明しないとね。結婚前という設定にしているとはいえ、お父さまに隠し子がいるなんて聞いたら、お祖父じいさまなにするかわからないし。


「お嬢さま、先ほどの秘密の恋人のこと、別邸のばあやさまにだけはお話ししてよろしゅうございますか?」

「どうして?」

「いえ、ばあやさまは付き合いのある商店から情報を仕入れて、王宮の動きを調査しています。このままではなにか仕出かすのではないかと、別邸中の人間が心配しておりますので」

「……上手く、どうとでも取れるように伝えてちょうだい」


 わたしに秘密の恋人ができての婚約破棄なら、バグローヴィ辺境伯家の人間は動かない。

 祖母の侍女で母の乳母やだったばあやは、お祖父じいさまを上回る過保護だ。

 お祖父じいさまが領地中の小石を始末させようとするなら、ばあやは常にわたしの前に先回りして小石を破壊する、そんな感じだ。

 彼女は王都にある別邸にいる。

 つまりいつでも王宮を襲撃できるということだ。

 ウソをついてでも止めなくてはならない。


「しばらく寝ます。別邸に着いたら起こしてください」

「かしこまりました」


 馬車の揺れに体を預けて、瞼を降ろす。

 ダヴィートがわたしに恋しているなんて、信じられない。

 でも、好きになるのに理由なんてないっていうのは、本当なのかもしれない。

 恋とは違うが、わたしも彼が好きだ。

 いろいろ世話になったから好きなんだと思っていたけれど、そうじゃなかったとしても好きだと思う。むしろ、わたしのほうが役に立ちたい。


 カタン、カタン、カタタン……


 車輪の回る音が、炎の日にダヴィートの部屋に入るとき聞こえた引き出しの閉じる音を思い出させる。あのとき、彼はわたしの似顔絵を見つめていたのね。

 顔が熱い。

 もっと美人に生まれてきたら良かったのに。

 どうしたらもっと綺麗になれるのかしら。

 あまり考えたことのなかった言葉が泡のように頭に浮かんで、泡のように消えていく。

 イオアンの姿で彼を騙していることを思い出して、なんだか胸が痛くなった。


 別邸に戻ったわたしは、お祖父じいさまへの手紙を書く前に、意外な人物から届いた手紙を受け取った──


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