2・最初の授業は竜神学。
婚約破棄の舞踏会から一カ月。
わたしは、王都にある武竜学院に入学した。
冬の長いラヴィーナ王国の暦は、春に始まり冬に終わる。
武竜学院も春に学年が始まり、中間に長期休暇を挟み、秋の終わりに学年が終わって、長い冬の休みを越えた次の春に進級する。それを二回繰り返したら卒業。
昨日が入学式で、今日から授業が開始された。
王宮でもバグローヴィ辺境伯領でも家庭教師はいたけれど、同世代の生徒たちと同じ教室で授業を受けるのは、生まれて初めての経験だわ。
記念すべき初授業は『竜神学』。
セーヴェル大陸全土の国が信仰する竜神さまについての学問なの。
もちろんラヴィーナ王国の国教も竜神教だった。
子どものころから聞かされてきた神話を、濡れたような黒髪が印象的なパーヴェル司教が、抑揚をつけた渋い声で語ってくれる。
窓際にある自分の席で、春のうららかな陽射しを浴びながら耳を澄ませた。
「……こうして、偉大なる二柱の竜神さまは世界をお創りになったのです」
パーヴェル司教の手には神話や教義の書かれた聖典と、黄金に輝く杖がある。
杖に宿っているのは光の属性を持つ武竜。
光の属性を持つ武竜と契約しているのは、聖職者とラヴィーナ王国の王家だけだ。
まあ、竜神教の聖職者とラヴィーナ王国の民以外で武竜と契約している人間自体まずいない。他国の生まれでも、武竜と契約した後はこの国に移住してくるしね。
「竜神さまたちは、ご自分の体に似せて最初の知恵ある生きもの、竜を生み出しました」
武器に宿る前の竜は実体を持ち、鱗に覆われた体で自由に空を飛んでいたという。
なんて素敵。でも──
「竜たちは闘争心に身を任せ、自ら滅びの道を辿ったのです。それから竜神さまたちは、私たち人間を創り上げました。そして人間が竜の二の舞を演じることを怖れた竜母さま、すなわち闇の竜神さまは、人間たちが吐き出す悪意をご自身が吸い取ることをお決めになりました」
この先を知っているわたしは、きゅっと心臓が痛くなる。
そもそもセーヴェル大陸の人間で、この神話を知らないものなどいない。
静かな教室に司教の声と足音、杖が床に降りる音が響いていた。
「ですがそれは、闇の竜神さまのお心とお体を蝕む行為にほかなりませんでした。満ちた悪意を抑えきれなくなった彼女は、あふれる邪気を撒き散らしながら大陸全土で暴走し、ついには大陸の最北端、私たちの住むラヴィーナの大地に辿り着いたのです」
竜母さまは氷雪を放ち、この土地ごとご自分自身を凍りつかせた。
それでも彼女の体からは邪気があふれ、死体や無機物に宿って生き物を襲い続けた。
今も暴走時に撒き散らされた邪気によって穢された土地からは、『災霊』と呼ばれる存在が出現して害を成している。永遠に満たされぬ激しい飢餓によって蠢く存在だ。
「奥方の悲痛な願いに応え、光の竜神さまは闇の竜神さまを滅することをお決めになりました。光の竜神さまは御身を捨てて、死せる竜の魂にお与えになったのです」
竜の魂が宿ったそれは、後にラヴィーナ王国となる大地に流れ込み、武竜のもととなる竜鉱石の鉱脈になった。
掘り出されて武器になることで、滅びた竜の魂は新しく生まれ変わったのだ。
武竜は宿る魂の属性と強さによって変化し、災霊を屠ることで成長する。
属性はいつつ、光・炎・風・水・大地。闇の属性の武竜はいないという。
武竜にはいないけれど、光・炎・風・水・大地に闇と無を加えたななつは週と呼ばれる時間の単位に利用されている。光の日から始まって、無の日までの七日間で一週間。闇の日と無の日の二日間は週末と呼ばれ、学校や店舗が休みになる。
武竜の強さは上から順に、竜王・竜王姫、竜将、竜兵。
竜将以上の武竜は、ほとんどが貴族の家で受け継がれていた。
竜鉱石が属性に見合った宝石に変わった竜王・竜王姫の幻影の頭には角があり、竜将以上の武竜は契約者と心の声で話すことができる。竜兵は言葉を発しないものの、うっすらと感情を伝えてくる。
竜兵と竜将は属性に関係なく、竜兵は銀色、竜将は金色の武器になった。
竜王・竜王姫と呼ばれる武竜は特別で、神話のころに創られ、闇の竜神さまと直接戦った存在だ。
「竜王と竜将が契約者とともに襲い来る災霊を打ち倒していく中、竜神教初代教主猊下の作りし聖なる結界の内から、傭兵王ユーリイ陛下と妃殿下が、対になりし麗しき光の竜王姫弓によって輝ける矢を放ちました。これによって闇の竜神さまの魂は救われたのですが」
遺されたお体は『邪神』として、ここ、ラヴィーナ王国王都の地下深く封印されている。
災霊も消えていない。
穢された土地から、あるいは人間の悪意が蓄積されることで、今も現れ続けている。
その災霊を打ち倒すのが、武竜。
特に光の属性を持つ武竜は特別で、その力がなければ災霊を滅しても、残る邪悪の鱗を浄化できない。
──パタン、と司教が聖典を閉じた。
「争いによって自滅した竜たちは、偉大なる竜母さまをも蝕んだ悪意を厭います。武竜に選ばれたあなた方が、これからも彼らと生きていけるよう、心身ともに優れた人間に成長してくれることを祈って、少し早いですが最初の授業を終わります」
授業の前に決められた級長の号令に従って、わたしたち生徒は立ち上がり、司教に感謝の意を唱えてお辞儀をした。
武竜学院は二年制。
年度によって生徒数は変わるが、今年の一年生は三十人前後ずつの三組いる。
全部で百人ほどかしら。
早めの昼休みが始まり、少年たちが嬉々として教室を出ていく。
教室にいるのは男性ばかりだ。
武竜学院は男子校なので、花嫁修業がしたい貴族の令嬢や豪商の娘たちは近くにある兄妹校の淑女学院に通う。闇の竜神さまとの戦いのときは普通に女性もいたのに、いつからか武竜の契約者は男性だけになってしまった。
選ぶのは武竜なので、女性の契約者が現れたとしても処罰の対象ではない。
ただし武竜学院は女人禁制だ。
バグローヴィ辺境伯令嬢のわたし、イオアンナが武竜学院に入学しているのは──
「すまない、話があるんだ。少しつき合ってもらってもいいかな?」
わたしの机に手を置いて言ったのは、未来のビェールィ侯爵ヴェニアミンさま。
さっき授業終了の号令を発したこの組の級長で、侯爵令嬢ヴァルヴァーラさまよりひとつ年下の弟君。なおヴァルヴァーラさまは、淑女学院に通っていらっしゃる。




