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17・図書室の麗人

 図書室の扉の向こうには、いつものように麗しいドレス姿のゴトフリート先生がいた。

 見た目を裏切る男性でしかない掠れた声で、わたしたちを歓迎してくれる。


「やあ、ようこそ僕の図書室へ」

「遅くなってすいません。それと、イオアンも一緒に手伝いたいっていうんですが」

「いいよ、大歓迎。というか、ふたりでも今日中には無理かな。しばらく毎週、この時間に来てもらってもいいかい? 礼拝に行きたいときは、そう伝えてくれたのでいい」


 わたしたちの仕事は、卒業論文を書くために図書室に籠っていた前年度の卒業生が、間違った棚に返却した本を見つけて正しい棚に戻すことだった。


「フォマーやヴェニアミンも誘えば良かったかな」


 ダヴィートが呟いたのは、ゴトフリート先生が図書室の棚の配置図(中に入っている本の分類も書かれている)と正しい棚にないと確認されている本の表を何枚も用意してくれていたからだった。

 わたしとダヴィートは、とりあえず間違った棚に入った本を抜いていくことにした。

 びっしりと本の詰まった棚が、どこまでも並んでいる。

 王宮の書庫だって、ここまで広くはなかった。

 読書自体は嫌いではないけれど、これからすることを思うと、少し気が遠くなった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ダヴィートくん、イオアンくん、今日はもういいよ。お茶にしよう」


 ゴトフリート先生に呼ばれて、わたしたちは見つけた本を載せた台を押して彼のところへ戻った。台の下には車輪がついていて、重たいものでも軽々と運べる。以前パーヴェル司教経由でダヴィートが頼まれて、アントンに作ってもらったものだという。

 そのときは、ゴトフリート先生が麗しの大公だとは知らなかったらしい。


「……すいません。表の四分の一も見つけられませんでした」

「そりゃそうだろうねえ。武竜学院ができてから、年々増えていった行方不明本だもん。今日の放課後から図書室が解放になるから、今日見た棚も来週にはぐちゃぐちゃになってるよ。きちんと貸出返却を通してくれればいいんだけど、適当なところに持っていって見て適当なところに戻すからね、アイツら」


 深刻な表情で謝ったダヴィートとは裏腹に、ゴトフリート先生は明るく笑う。


「……ダヴィート」

「なんだ、イオアン」

「……だったらずっと、仕事があるから良かったね」

「うん、まあ、それはそうかもしんねぇけどな」

「そうそう。イオアンくんみたいに前向きに考えたほうがいい。あ、でも君たち、一緒にいる時間が長いからって、僕に恋したりしないでね?……もう僕は、パーヴェル司教のような犠牲者を出したくないんだ」

「パーヴェル兄ちゃん……司教さま、ですか?」

「ああ……」


 貸出返却受付の台にお茶の用意をしながら、ゴトフリート先生は顔色を曇らせる。


「僕と彼は、この学院の同期生なんだ。彼は神学校で武竜と契約してから、こちらに入学したんだけどね。そのころから美しかった僕は、彼の心を射止めてしまった。彼は僕に恋する気持ちから目を背けようと女性を口説いたせいで、あんなに女性関係が乱れてしまったんだと思う。罪な男だよね、僕は……」


 どこまで本気なんだろう。

 でも本当だとしてもおかしくないくらい、ゴトフリート先生は綺麗だった。

 ……ユーリイ国王陛下の次にね。


「お昼は友達と食べるって言ってたけど、お菓子くらいならいいだろう?」

「メレンゲ!」


 ゴトフリート先生が出してくれたのは、わたしが大好きな王室御用達のお菓子屋さんのメレンゲだった。


「これ、甥っ子の許婚の好物でね。……あ、ごめんイオアンくん」

「……大丈夫です」


 フォマー、ゴトフリート先生にも伝えてたんだね。

 ちょっともう、尊敬したくなってきた。


「前はよくお裾分けしてもらってたんだけど、今はもうもらえないから、王室御用達の菓子店で買ってきたんだ。ちょっと買い過ぎちゃったんで、湿気る前に食べてくれないか」


 頷いて、わたしはメレンゲを手に取った。

 硬くてもろくて、口の中で甘く溶けていく懐かしい味。

 ……ユーリア、今ごろどうしているのかな。

 とりあえず大地の日に手紙を出してみた。でもすべての事情を返事に書いてくれる、なんてことはないだろうしねえ。


「ゴトフリート先生」

「なんだいダヴィートくん。愛の告白ならお断りだよ」

「違います。あの……隣国の革命って、今はどうなってるんですか?」

「どうもこうもグダグダだよ。前より民が幸せになっているとはとても思えない。バカなことをしたもんだよね」

「先生は革命反対派なんですか? どんなに苦しめられていても、王や貴族を殺してはいけないと?」

「そうだね、殺すのはダメだ。僕は暴力自体反対派だ。でも隣国の民が苦しめられ続けていたほうがいいなんて、思ってないよ。もっといい方法があると良かったのにね」

「……そうですね」


 ダヴィートは肩を落として、メレンゲを食べ始めた。

 美味しかったらしく、ちょっと口元がほころぶ。

 お父さまが言っていたように、彼の食べ方は綺麗で上品だった。

 わたし、わたしは……とりあえず鳥の丸焼きは素手のほうが食べやすいと思う。

 骨が多いからね!

 ゴトフリート先生が静かに語り続ける。


「殺人には常習性がある。というか、恐怖が背中を押すんだね。一度人を殺した人間は自分が殺されることを怖れて、殺される前にと他人を殺していくんだ。今の革命政府は貴族ではなく、仲間内で自分を凌ぎそうな人間を追い落とすために処刑をしている」

「……」

「革命政府の中で民を思う一部の人間は、王子を探しているそうだよ」

「……塔から落ちて亡くなった?」

「その彼だよ、イオアンくん。当時からあの死には疑いがあった。父であるリョートの国王が手を下したという説も強いけれど、一番信憑性があるのは貧民街で買ってきた子どもの死体と入れ替えたって説だね。なにしろ王子の死体は顔が潰れていて、まだ寒い時期だったにも関わらず腐りかけていたんだよ」


 生きて隣国、つまりラヴィーナ王国へ逃げ延びたのではないかと噂されているのだという。


「……母親である王妃の実家ではなくて?」

「そうだったとしたら、とっくの昔にリョート王国は滅んでる。乗っ取られてる、かな? 他国の正統な王位継承者を手に入れた国が、黙って革命を待っているはずがないからね。ラヴィーナ王国は特殊なんだよ」


 邪神の封印からもう何百年も経つのに、傭兵王を始祖とするこの国は、ほかの国々の王家同士の血縁関係が濃いセーヴェル大陸においては新参者のままだ。


「足元に邪神が眠り、他国の災霊討伐まで任されているラヴィーナ王国には、領土を増やしたいなんて野望を抱いてる余裕はない」

「……俺は、この国が好きです。武竜がいるから」


 わたしの言葉に、沈んだ顔でゴトフリート先生の話を聞いていたダヴィートが吹き出した。


「お前、本当に武竜バカだな」


 ゴトフリート先生も笑う。


「イオアンくんは揺らがないんだね。うん、僕もラヴィーナ王国が好きだよ。武竜も好きだし……」


 銀色の髪を束ねる金色の針にそっと触れ、彼は言った。


「地下に眠る邪神も嫌いじゃない。結果はともかく、彼女は人間を愛したからこそ悪意を受け止めようとしてくれたんだから」

「……リョートの王子さま、見つかるといいですね」

「そうか? せっかく王や貴族を滅ぼしたんだ。これからは民が、自分たちの力で生きていくのが一番だろ」

「まあ神聖ダリェコー教国の対応次第だね。セーヴェル大陸全土で信仰されている竜神教に認められた国に攻め込むほど、他国の王家もバカじゃない。今攻め込んで、自滅しかけの革命軍を倒したところで名誉は得られないし。……でも、ラヴィーナ王国の窓口として他国と交渉する役割は魅力的だと思うよ。前のリョート国王はそれを、あまり活用していなかったようだけど」


 貧しいだけだと思っていた隣国にも、それなりの旨みはあったようだ。

 確かにラヴィーナ王国は、リョート以外と国境が接していない。

 上手く立ち回れば、ラヴィーナ王国と他国の間の物流を支配できるだろう。

 ちょうど出されたメレンゲを食べ終えたときに昼休み開始の合図の鐘が鳴り、わたしとダヴィートは図書室を出た。

 いろいろと勉強になった時間だった気がする。

 社交界を離れると、噂話はあまり耳に入ってこない。

 もちろん賃金ももらえた。ゴトフリート先生は、最初の提示額を人数で割るのではなく、わたしにもダヴィートにも同じ金額をくれたのだった。


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