16・三人目の求婚者(ただし本人の意思は無視)
光の日の朝は遅い。
週末、遠方に帰郷した生徒が、余裕をもって武竜学院へ戻れるようにだ。
午前中は授業もなく、講堂で礼拝がおこなわれる。
実質今日は相対稽古だけで終わるようなものだった。
「……ダヴィート?」
「ん?」
平民寮を出たわたしは、前を行くダヴィートを呼び止めた。
「……講堂に行かないの?」
「ああ、自由参加だからな。この間にちょっと金稼いでくる。昼は一緒に食おうぜ。礼拝済んだら教室に戻ってるだろ?」
「……う、うん」
一昨日の闇の日に、彼の弟たちに話を聞いていた。
借金ができたのは一ヶ月前、災霊に襲われたせいで家業の馬車が壊れたからだ。
そのときお父さんも怪我をしていた。
穢れを浄化して傷口を治療したからといって、傷や怪我がすぐに治るというわけではない。
最近仕事を再開したお父さんのことが、ダヴィートは心配でならないようだ。
全寮制の武竜学院に通う彼は週末以外帰れないし、アントンは家で絵をかいたり物を作ったりするほうが好き、双子はまだ乗合馬車の助手を務めるには小さ過ぎる。
学院で小銭を稼ぐのが、今の自分にできる唯一のことだと言っていた。
とはいえ、学院内でお金を稼ぐのも簡単ではないだろう。
働くところではなく、勉強するところなのだから。
「……なにするの?」
「今日は図書館の蔵書整理。そのうち課題の代筆も始める。今日の礼拝で、フォマーが上級生から仕事取ってきてくれることになってんだ」
「……フォマーが」
「ああ、代わりにアイツん家の芋を使って、なんか話題になるような料理を研究することになってる。つってもよ、アイツはアイツで上級生とつながり作っときてぇんだろうけどな。良かったら、お前も芋料理の試食手伝えよな」
「……うん」
「後、毎週大地の日は家に帰る前に食堂の掃除するくらいかな。芋料理の研究は、そのときにする。ほかにも金になりそうなことあったら教えてくれよ」
「……んー、図書館の蔵書整理、一緒に行ってもいい?」
「やだよ。お前、仕事と賃金は有限なんだぞ? 俺の見つけた仕事取んなよな」
「……ゴメン。でも俺の分の賃金、ダヴィートがもらってくれたんでいいから」
ダヴィートは真面目な顔で手を伸ばし、わたしの額を指で弾いた。
「バーカ。……連れてってやるから、賃金はちゃんともらえ。どうもお前は金の価値ってものを、本当にはわかってない節がある。自分で稼いだ金ならもったいなくて、昼食のパン一個に金貨出すようなことできなくなるぞ」
「……お釣りもらうつもりだった」
「そこが甘い。てか実家で動く金の額が大き過ぎて、なんか実感がねぇんだろ」
それはそうかもしれない。
みっつも騎士団を管理してるから出るお金も入るお金も大きくて、重い金貨や銀貨が動くことはあまりなかった。大体は為替だ。
だからたまにお父さまとお忍びで出かけて硬貨が出てくると、なんだかすごく感動したのよね。ここに来るときに渡されたお小遣いも嬉しかった。
「……ダヴィート、本当に一緒に行っていいの? 迷惑なら、俺」
「お前、声変わりまだなわけ? もう二十歳なんだろ?」
「……え?」
「フォマーほどじゃねぇけど、結構甲高い声だよな。そんなに厳つい体してんのに」
「……う、うん。気にしている」
「イヤな思いさせちまったならゴメンな。ただなんか……妹さんの声に似てると思って」
「……イオアンナ?」
「一昨日、会ったんだ。ふたりに聞いてないのか?」
「……聞いてる聞いてる。カルルと別れの挨拶ができなかったこと、すごく気にしてた」
聞いているというか、気にしているのだ、わたしが。
カルル可愛かったなあ。
ダヴィートが微笑む。
「ああ、カルルも気にしてた。ちゃんと別れの挨拶ができなかったから、彼女に嫌われたんじゃないかって」
「嫌うわけない!」
「お、おう。じゃあイオアン、妹さんに、気が向いたら今度の週末も遊びに来ないかって言っておいてくれ。婚約破棄されたからって家に閉じ籠ってたんじゃ、気分転換できないだろ。ひとりじゃ心配だろうから、お前も来いよ」
「……俺は、行けない」
「なんで?……もしかして、仲悪い? そんで一昨日も一緒じゃなかったのか?」
「……用事があって」
「用事?」
迂闊なことを言ったら、わたしがイオアンナだと気づかれてしまうかもしれない。
もう声が同じだと気づかれているのだ。
わたしは頭の中で思考を回転させた。家族と出かけない自然な理由、イオアンとイオアンナが絶対に別人だと思ってもらえる理由──
「……こ、恋人と会う。週末はいつも恋人の女性と会う」
「ウソつけ」
「……え」
「なんてな。案外お前みたいな世間知らずのほうが、ほっとけないって女が寄ってくるもんかもな。でも金目当ての女かもしんねぇから、気をつけろよ。……じゃあ、妹さんがカルルに会いに来るのは無理だな。バグローヴィ辺境伯閣下はもう領地へ戻ったんだろ?」
「……うん、でも、聞いてみる」
別邸の馬車で送り迎えしてもらえば危険はないだろう。
どっちにしろ、わたしには光の竜王姫と怠け者がついていてくれるし。
そうか、とダヴィートはすごく嬉しそうな顔をした。
よっぽどカルルが気にしているのね。早く会いたいなあ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
図書室についたわたしたちの前に、パーヴェル司教が現れた。
中から出てきたのだ。
「あれ、司教さま礼拝は?」
「今日は新しく来た司教が顔見せを兼ねておこなっていますよ」
「新しく来た司教?」
一昨日下町でゲンリフが言っていたように、武竜学院の司教は教職専属とは限らない。
王都にある礼拝堂も担当している聖職者が多かった。
「この前焼け落ちた下町の礼拝堂に来た方です」
「「ああ、あの」」
わたしとダヴィートの声が重なった。
竜神教の司教以上の位の聖職者は、黄金の杖に宿る武竜と契約している。
争い、戦い……というかケンカが好きな武竜だが、人間同士の殺し合いは嫌うし、ケンカ好きだからこそ強いものが弱いものを一方的に蹂躙するのを嫌う。被害が出るとわかっていて、危険な状況を作り出すことも。
だから焼け落ちた礼拝堂の再建工事に立ち会っていなかった例の司教も、根は悪い人ではないのだと思う。武竜に契約者として選ばれているのだもの。ただちょっと面倒くさがりだっただけだ。でもそのせいで災霊が出現して、ダヴィートとお父さまがいなければ大変なことになっていたのだけれどね。
一昨日の事件は目撃者が多くて、秘密にすることはできそうにない。
お父さまが討伐してくださったので、辺境伯の武勇伝の新たな頁として上手く情報を操作するのだと思う。
ラヴィーナ王国と竜神教の関係が悪くなってはいけないから、例の司教については情報を抑え、大した処罰もないんだろうなあ。
苦虫を噛み潰したような声音のわたしたちに、パーヴェル司教は苦笑した。
「今日は工事を休止しているし、ほかの礼拝堂の司教が代理で結界を監視しているから大丈夫ですよ」
「なら、いいですけどね」
「あ、そうだ、イオアンくん」
「……はい」
パーヴェル司教がわたしを見る。
「あー、はっきり言ってしまうと、私は君の事情を知っています。フォマーくんに教えてもらって」
フォマー、すごい。先生にまで伝えに行ったのね。
「彼を責めないであげてくださいね」
「……はい。この外見ですから、どうせすぐに気づかれてしまいます。でもその、一応秘密ということにしておいてもらえますか」
「わかりました。と、言っておいてなんですが、イオアンくんの妹さん、新しい結婚相手は見つかりましたか?」
「へ? パーヴェル兄ちゃん、なに言ってんの!」
ダヴィートが目を丸くする。
そういえば彼は、パーヴェル司教の弟と幼なじみだったっけ。
「いえね、うちの可愛い弟が彼女の名前を口にしていたんです。イオアンくん経由だったのでしょうが、バグローヴィ辺境伯領に通っている長兄のアリフォンスならともかく、私を知っているのはおかしい。どこかで手を出したのではないかと詰問されて」
なるほど。驚いてたもんね、ゲンリフ。
「……あー、そういうことなら、俺のこと言ってもらってかまいませんよ」
「ありがとう。実はもう言っちゃいました」
「……いいですけど」
「だってあの、私とアリフォンス兄さんがモテるばっかりに女性の汚い部分を見て育ち、女性不信になっていたゲンリフが、怯えもせずに女性の名前を口にしたんですよ? これはもうお祝いものです」
「……そうですか」
「ですのでイオアンくん。もし妹さんの新しい結婚相手がまだ決まっていないのなら、うちの弟も候補に入れておいてください。少し気弱なところはありますが、医者を目指すくらい頭もいいし、三兄弟の中で一番顔もいいんです。借金も相殺しますし、クルーク商会のすべてをかけて辺境伯領を支援させていただきますよ」
「……はあ」
ゲンリフをよろしくと、弟の名前を連呼しながらパーヴェル司教は去っていった。
ダヴィートによると、ゲンリフは年の離れた末っ子で幼いころは体も弱かったため、上のふたりと父親に溺愛されているのだという。……全然、厄介者じゃないのでは?
「ゲンリフは良いヤツだけど……あー、イオアン?」
「……なに?」
俺の求婚も継続中だから、と言って彼は図書室の扉を開けた。